第37話 風呂
足に矢を受けたタスクをおぶり、俺達は
「それじゃあ、お前ら気をつけろよ。また会うことがあったら――まあ、いいか」
「はい。シドウさん、本当にありがとうございました」
「だから礼はいいって」
「……ありがとうございました」
笑ってるのか困ってるのか、よく分からない表情をするシドウさんに見送られ、俺達は裏面の外へと出た。裏面の中ではシドウさんの仲間の人達が
外に出ると、渋谷の街中、薄暗い路地にいつもと変わらない俺達がいた。
「怪我も、治っちゃうもんなあ」
横に立つタスクは、自分の足元を見ながら呟く。
タスクが受けた矢は、引き抜いたら出血が酷いだろうからとシドウさんがそのままにするように言ったのでそうしたが、今では怪我も何もない。自分が怪我した時も同様だったが、裏面の外に出ていつもの現実に戻ると、痛みも恐怖もまるで夢を見ていたかのような感覚になる。
痛みや恐怖は失せるが、今日裏面の中で見た直接的な悪意は心に残る。
人から向けられた殺意のようなものに触れるのは、当たり前だが初めてだ。なんとなく気楽に日常を送ったり、気楽に裏面に潜ったりしていたが、そういったものは俺達が気付いていないだけで日常のどこかに転がっているものなのかも知れない。路地から出て振り返り、ビルとビルの隙間の暗がりを見ながらそんなことを思った。
「とにかく、今日は帰るか……」
「そうだな……」
今日は色々あったので、何かを話すのが嫌でそのまま帰ることにした。
恐らく、タスクも同じ気持ちだろう。いつもはやかましくて仕方がないコイツだが、帰りの電車では珍しく押し黙っていた。言葉数もなく、いつもの近所の道で別れると、その足で家へと戻った。
「ただいま……」
「よしくん、遅かったじゃない〜〜」
「ヨシカズくん、お帰りなさい」
リビングでは母さんとユーリがお茶を飲みながら談笑していた。
いつもと変わらない光景だ。
「どうか、しました……?」
「いや、渋谷で歩き回ったから……ちょっと疲れちゃってさ」
「じゃあお風呂入っちゃいなさい、疲れてる時はお風呂よ〜〜」
「うん」
表情が曇っていたのか、ユーリが俺を見て心配そうな声をかけてきた。
今日あったことが脳裏に浮かぶが、同時にシドウさんの言葉も思い出し、何でもないように振る舞うことにした。
そのまま風呂場へと向かい、簡単に体を流して湯船に浸かった。
改めて、今日起こったこと、これまでのことを反芻する。
タスクと裏面に入ることにしてから、考えてみたらもう二回死にかけている。
一度はユーリに助けられ、二度目はシドウさんだ。
裏面に潜り始めてからまだ一、二ヶ月というところだが、その短い期間で二回死にかけているなんて、笑い話にもならない。一度目はうやむやになったので気にもならなかったけど、今日のは違う。明らかに死んでいた。本当に運が良かっただけだ。
考えようによっては、危なくないように潜ることもできる。今日みたいに、知らない人に言われるがままに裏面に行くなんて以ての外だし、危ない橋を渡らないようにレベルにあった裏面に絞れば、危険などないだろう。しかし、ここまで危ない目にあっておいて、裏面に潜る必要があるのかという思いもある。裏面に潜ろうとする人に対する、世間の目が冷たいことも、今になってその意味が分かった気がする。
「ユーリには説明できないとして、タスクは……明日何を話そうかな」
湯船に浸かりながら、誰に言うでもなくそう呟いた。
今日の裏面の中でのタスクの顔。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになって、助けを懇願する姿。いつものタスクとのギャップも相まって、何とも言えない気持ちになる。
そんな姿を思い浮かべながら、これといった答えも出ず、俺は風呂を出た。
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