六曲目


 肩を震わせているハルに、何も言えないまま僕はじっとしていた。


 動画の中の彼は美しく優しく、舞っていた。どれだけ練習すればあんな風に体を動かせるんだろう。どれだけの時間を練習に費やしていたのだろう。


 なのに、ハルはコンテンポラリーダンスを嫌いだと言った。


「なんで嫌いなの」


 聞いていいのかわからないけど、知りたかった。なんで嫌いなものをあんなに完璧になるまで練習するのか。


「お父さんが、アメリカで活躍してる現代舞踊家で、僕はお父さんの作品なんだ」


「作品」


 ハルがお父さんの作品。


この言葉が、嫌に重たく感じた。まるでハルが「モノ」みたいじゃないか。


「そう、お父さんに恥をかかせられないからさ。やりたくないなんて、怖くて言えなくて、とりあえず練習した」


 ハルがひとつ一つ紡ぐ音が、痛くて苦しい。僕が想像しているよりも遥かに遠い場所にいた。僕は何も知らない。


本当に何も知らなかった。


「ごめん、課題やろっか」


 窓の方を見ていたハルがくるりと僕を見た。声色はからっと明るくなり、口元には微笑がある。


初めて会った時のハルと同じ表情。


「うん」


 返事をしたものの、僕はさっきの消えそうなハルが、頭から離れなくなっていた。


「今日、ジャズの練習休む」


 自分でも意外な言葉を口にしたと思う。

 でも、今のハルは一人に出来ない気がした。驚いた顔をしたハルが目の前にいる。


「一緒に休もっか」


 そう言いながら、ニヤリと笑う顔は心底嬉しそうに見えた。


 窓の外はもう暗くなろうとしている。こんなに話し込んだのは、学校入って初めてだ。


「課題、簡単じゃん」


 いつのまにかプリントを、一枚すでに解き終えているハル。


「やっぱり、頭いいんだ」

「まあ、ナツよりはいいと思うよ」


 勝ち誇った顔をするハルを見て僕は思わず声を出して笑ってしまった。目の前で戸惑っているハル。


「もちろん、見せてくれるんでしょ」


 僕がそう言えば、子供の様な笑みを浮かべる。


「どうぞ」


 そうして僕はハルの回答をカンニングしてあっという間に、三枚とも書き終えた。

 僕たちはそのまま職員室まで行って、課題を出してそそくさと学校から出る。


 先生が、僕とハルの回答が全く同じなことに、突っかってきた時はどうしようかと思った。


「彼が、あまりにも答えに悩んでいたので、一から教えていました。だから、同じ回答になってます」


 あのハルの言葉はかっこよかった。


 まあ、さらっと嘘がつけるあたりが怖いけど。


 校門を潜ると、向かい側にある公園に何やら人だかりが出来ている。ハルと僕は顔を見合わせると、その人だかりに向かって歩きだした。


 公園に入り、人だかりに近づくと歓声の間から音楽が流れていることに気づいた。ビートが早く、弾けるような音。


 ヒップポップだ。


 ハルと僕は人と人の隙間を縫うようにして輪の中心を見ようと前へ足を運ぶ。視界が開けると、サイズの大きな服を着て、リズム良くステップを踏む男の人が目に入った。複雑なステップと派手な体重移動。


 初めて僕はヒップポップダンスを生でみた。


 それはハルも同じだろう。


 力強く、それでいて軽やかな動きにしばらく魅入ってしまっていた。

 もしかしたらハルが、退屈そうにしていたらどうしよう。そう思ってハルを見る。


 そこにはここにいる誰よりも真剣な眼差しでダンスを見つめる彼の姿があった。


 目がキラキラして見えるのは、明るさの強い照明のせいなのか。ハルがヒーローショーを見る子供のようにも見える。


 僕は彼が話しかけてくるまで、そっとすることにした。

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