《本筋之終》
其の壱 《其の嶺は龍の骨の如く》
龍が、横たわっている。
八の峰を振り仰いだ津雲は茫然と立ち竦み、斯様なる感想を胸に擁いた。続けて言い知れぬ感傷が湧きあがり、津雲は僅かに戸惑った。この胸が焼けつくような傷みはなんだろうか。やがて緩やかに理解する。この感傷は《郷愁》だ。
言うまでもないことだが、津雲はこの地を訪れたことはない。
だが覚えている。かれの身に流れる血は確かに、この地の風景を知っている。懐かしいと想う。ずっと還りたかった故郷はここだと訴える。
故郷たる八峰は、紫の朝焼けに照らされ、雄々しくも静かにそびえていた。
その稜線は龍の背骨の如く隆々と鱗雲の
峰の背が寂寥に満ちているのは冬の所為ではあるまい。
津雲は想う。龍は眠っているのか。死んでいるのか。それとも眠ることも死することも奪われて、永遠の苦に身動きひとつ取れずに黙しているのか。
「あれが、君の祖の故郷かい」
津雲はやっとたどり着いた父祖の地を前に、言葉もなくたたずんでいたが、
津雲は緩やかに頷いた。
「故郷であり……祖の曝骨が未だ眠れずに転がる、刑場でもあります」
故郷にして刑場。
墓になれば、まだよかった。終われれば、救われたのだ。
津雲は道なき道に踏みだそうとして、急に激しい咳に襲われる。喉を裂くような咳をしながら、白樺の幹に立ち縋った。朧が津雲の震える背をさする。津雲は口許を羽織の袖で覆っていたが、じわりと紫地の絹に血が滲んだ。
「……津雲」
徐々に咳がとまり、呼吸も落ち着いてきた。
朧が責めるように問い詰める。
「いつから喀血があったんだ」
津雲は唇を赤く濡らして、微かに微笑んだ。朧の気遣いを有難いものと受け取った上で首を横に振る。
「構いやしませんよ。あともう暫く、身体が動いてさえくれれば」
死を恐れぬ眸が山嶺を仰ぐ。ぐいと羽織の袖で乱暴に口許を拭い、津雲はまた歩き始めた。掛ける言葉もなく朧も黙して、それに倣う。
昨日峠の茶屋に寄った際に地元の老婆に聞いたところによれば、裾野まではひとまず道が続いているそうだ。老婆はこう語っていた。「みざましい山ずれ。けん登るんはしちょし。あこは祟り場とよばってて、地元んもんはだあれもへえらないんどう。あいってくんなら、裾野まで道が続いてあるだあよ。そけえらまでにくりょおしよ」ずいぶんと方言がきつく聞き取りにくかったが、あの八の峰にあがると祟りがあるのだと忠告されていることは明らかであった。なにも珍しいことではない。信心深い地元民の間では山とは即ち神体であるとし、そこに無断で踏み込むことは神を土足で踏みにじるのも同義、と忌諱されるのだ。
されど老婆はこうも言った。
「あこには鬼ができるだあよ」
鬼か。津雲はその言葉に一瞬だけ、頬をゆがめた。
この地に言い伝えられる鬼とは紛れもなく、
もっとも津雲が嫌悪を覚えるのは実にめずらしいことだ。
祖が滅びた地。津雲の血の記憶に残るのは、穏やかな郷愁ばかりではないということであろう。
茶屋はあっても旅籠がなかったので樹の根方で一晩野宿し、夜明けを待たずに出発し、朝には山の裾野までたどり着いた。
道はここから途絶えている。鹿の群が枯草を踏み締めた跡だけが、山奥に続いていた。日陰には薄らと雪が残っている。されど道なき道を越えることなど、関所破りの頃から慣れている。朧は鉈を取りだし、枯れ枝をはらった。
「いこうか」
颪を頬に受けながら、八の峰の中腹を目指して歩を進める。
何処からともなく、季節はずれの
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