其の弐 《居候 御座侯ふ》

 翌朝、朝餉の準備をしていた朧がはてと首を傾げた。昨晩確かに満たんにしたはずの米櫃こめびつが、なんとなく減っているように思えたのだ。夕餉に三合炊いたが、これほど減るものだろうか。朧は不審に思ったが、昨晩はすでに暗かったのもあり、もとからこの程度の嵩だったのだろうと、さほど気にせずに朝餉の分の米を取り、洗った。

 朝餉を食べる頃にはすっかりと、そのことは頭から抜け落ちていた。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 さらに翌朝。

 雑穀をまぜた飯になすの漬物、沢庵、よもぎの味噌汁という質素な朝餉を食べながら、朧が口を開いた。


「この頃、朝になると米櫃から米が減っているんだよ。いや、減っているような気がするというべきかな」

「……ほお」


 津雲がなすの漬物を飲みこんでから、返事をする。

 

「ねずみでもいるんじゃないですかね」

「ねずみなどいるものか」


 心底嫌そうな顔をして、朧が飯を掻きこむ箸を止めた。食欲が失せたのか、炊きたての飯が移された木製のおひつに蓋をする。


「ねずみがうちの米櫃に侵入するなんて無理だね。蓋もしっかりとしている。それにねずみならば、なんらかの後を残していくだろう。米の嵩だけが減っている、……ような気がするんだよ」

「気がする、ねェ? 気のせいじゃないですかねェ」


 津雲は唇の端に含みのある微笑を残して、からになった飯茶碗をさげる。「洗い物は任せてください」と言って、そそくさと立ちあがる津雲に朧がなにか言いたげにしていたが、かれは構わずに暖簾をくぐり、土間に消えていった。


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 また翌日。

 不意にあがった驚きの声が、津雲の浅い眠りを破った。まだ夜の帳が解けきらぬ東雲しののめの時頃である。いったい何事かと、津雲は畳から起きだすと暖簾を押しやり、土間を覗いた。かまどの横では、朧が米櫃の蓋を持って棒のように立ちつくしていた。


「朝っぱらから大声をあげて……いったい、どうしたっていうんですか?」

「津雲、これをみてくれ」


 朧が米櫃を指差す。

 どれどれと津雲が後ろから覗きこめば、米櫃の残量が半分にまで減っていた。


「これは」


 数日前に米櫃を満たんにしたのだ。

 五升はあった。約五十合だ。毎食食べているとは言えど、朝は五穀をまぜたりと節約しているので、減ったとしても一五合。このように急激に減るはずがなかった。続けて他の米櫃を覗いたが、黒米と雑穀は減っていなかった。多量に減った白米をすくいあげて、朧が眉根を寄せる。


「解せない」

「泥棒にでもやられたんじゃないですか」


 朧には眠っている時に戸締りをする習慣がない。津雲がそれを指摘すると、朧は相好をゆがめて、鼻で笑い飛ばした。


「僕が泥棒に入られて気がつかないとでも?」

「まァ、それはないでしょうねェ」

「当然だね。けれどだ、黒米と雑穀は減っていない。まるで、君のようだね?」

「あたしが食べたはずがないでしょう」

「ああ、疑ってもいないよ。君がこれだけ、ざっと二升の米を食べていたら、身体のことなど案じなくてもよくなるね」


 言葉の端々ではふざけながらも目は真剣だ。

 これだけの米を、それも精米されたものともなれば、相当な額を払っている。なくなった、残念だった。と終わらせるわけにはいかない。盗まれたとは考えにくいが、だとすればなぜ一晩にしてなくなったのか。それこそ大群でも押し寄せないかぎり、ねずみが食べる量ではない。

 顎に指をかけて、朧は考えこむ。


 津雲は米櫃を眺め、続けて棚に置かれた飯茶碗に視線を動かす。つられて、朧も茶碗を見た。

 見事な波佐見焼だ。青磁に呉須ごすで絵づけされた青い曼珠沙華が、粋でありながら華やかだ。手に取れば、ひやりとなめらかな感触。朝露に濡れているようでもあり、宵の霧を帯びているようでもある。かなり腕利きの陶工とうこうが焼いた物であろうと思われた。

 よくよく考えれば、米が減るのはこの茶碗がきてからだ。


「君は事の真相がわかっているんだろうね」

「ええ。まあ」

「どうなっているんだ」


 津雲は数秒黙って考え、柔らかく微笑んで言葉を濁す。


「取りあえず、今晩は寝ずの番をしておいたほうがいいですね」


 不満げに首を真横に振り、朧が櫃の蓋を閉める。「解ったのならば勿体振らずに教えてくれ」と喉まで出掛けたが、こうなると事が起こるまで梃子でも動かないことは長いつきあいゆえに理解している。もうひとつ、ため息をついて、朧は朝餉の準備に移った。


 津雲は棚の茶碗を眺めながら、ぽつりと言葉を落とす。


「……ええ、もうすぐ、解けるでしょうから」


 こたえるように茶碗が、きんと震えた。

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