《面影之噺》

与太噺 《蛍燃ゆる竟の噺》

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 手を繋がれ、林を走っていく。

 黄昏は去りて、あたりには影の帳が掛かっている。

 青を帯びた夏の月が、連枝のすきまから清かな光を投げかけていた。暮れなずむ風景はどこかぼんやりとしていて、昔町で見掛けた走馬燈のなかを走っているような心地になる。ひとりぼっちであれば、心細さに押しつぶされていたに違いない。けれど結ばれた手は強く、林のさきへと僕を導いてくれた。草の根につまづいては繋いだ腕に支えられ、またも走りだす。

 草を掻き分けるごとに青いにおいが巻きあがる。

 どこからともなく、梟の声が響いてきた。昼は蝉が賑やかだったが、日が暮れたら暮れたで、梟や蛙がわれらの出番とばかりに騒ぎはじめる。梟ならば、葉を繁らせた枝のどこかにとまっているのだろうか。蛙は草叢か。声は絶えず聴こえるのに、いくら捜しても姿はない。清流の伴奏にあわせて、かたちのない囀りばかりが林に満ちている。

 雑木林を進むにつれて、清流の音が近づいてきた。

「もうすぐだぞ、頑張れ」といたわりがこもった幼い声が僕の手を引き、誘う。

 

 草を踏んで、枝をくぐれば、ぱっと視界がひらけた。

 瞬間、美しさに息をのむ。


 光が舞っていた。


 数えきれないほどのひかりが川原を漂い、水が緑に燃えたつ。緩やかな流れは光の帯のごとき細波を、ちらちらと揺らめかせていた。香蒲がまの穂にもまるみを帯びたひかりがひとつ、ともっている。

 あたかも星が天の帳から抜けだして、地まで遊びにやってきたかのようだった。僕は驚いて空をふり仰いだが、変わらず星は瞬いていて、なにやら巧みな手妻てづまに騙されているようであった。

 ひかりの群は明るくなったり暗くなったりを繰りかえしながら、風とたわむれ、草に遊ぶ。笹の葉が揺れて、また新たに産まれたひかりが舞いあがった。


 ひかりは飛んで。

 ひかりは落ちる。


 隣から差しのべられた指がひかりを差して、「ほたる」と教えてくれた。

 僕はそれを繰りかえす。幾度も幾度も。涼風に乗って、幼子特有のほんのひとにぎりの憂いも持たぬ笑い声がこだまする。

 兄様と僕が呼びかければ、いつなりと笑いながらこたえてくれた。兄様にこうして手を握っていただくと、いかなることであれ、乗り越えられる気がする。

 兄様の手は大きく、僕の手は小さい。おんなじ親の血を分けていても、あの頼もしさは僕の身体のどこにも宿ってはいないのだ。


 あの晩から十一年の時が経ち、蛍の情景は想い出となった。

 僕はもはや幼子ではなく、兄様もまた童ではない。

 浮世の無情を知り、心の持ちようではどうにもならぬことをいくつも経験した。それでも僕はいまだ、兄様さえいれば、いかなる苦難であろうと乗り越えられると思えてならないのだ。

 それは、僕の手がいつまで経っても、兄様には追いつけないからに他ならない。

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