其の弐 《昔語 上》
「それはこの地が言霊の幸ふ
里は、群峰に囲まれた盆地に在り。連なる山嶺の数は八つとも、到底数えきれぬともされており、八頭の雄々しき龍神が横たわっているが如き様子から、峰は《おろち連峰》との雅称で親しまれておりました。その高さは富士の山を凌ぐほどであったとか。
山は神域であり、神の導きなくしては登拝してはならぬという信仰は現在でもある程度根づいておりますが、その頃は現在にも増してそうした意識が強く、この連峰を登ることは断じてならぬと決められていたそうです。
一族が暮らしていたのは連峰の麓であり、それはそれは豊かな暖地であったと言い伝えられています。春には雪融けの清流が田畑を潤し、皐月の声を聴けば、他の如何なる地よりも早く、
その地に暮らしていたのが、一管の筆をもって森羅万象を操る言霊の一族でありました。
かの一族はみずからを《
《
その能力故に言司は一時期、神言の一族と敬われ、数えきれぬ人々が里に集った。言司は神にかわって、救済をもとめる総ての民草に慈悲とかたちある奇跡を授けることを望まれた。あるいは倭朝廷に服すれば、贅のかぎりをつくしても尽きることものない富が与えられるはずだった。だが言司は望まれる儘に言霊を揮うことを拒んだのです。
神と同等の扱いを望まなかったのか。或いは総てを救済だけの御力は持ち合わせていなかったのか。かれらの真意はさだかではありません。
想像するに、理を崩すことを拒んだのではないかと。私がその立場ならば、そう考えます。人にはそれぞれ、業があります。幸であれ、不幸であれ、なるべくして、なる。業の糸が縺れたのならば、それを質すのが道理であって、結びなおした結末が如何になろうと他人が変えてよいものではありません。
ですが、勝手に期待を寄せ、それが勝手に裏切られたに過ぎずとも、人間は相手を憎むことができる生き物だ。
次第に人々の言司にたいする信仰は薄れ、嫌悪だけが募った。
言司はいつしか、《鬼の一族》と疎まれるようになった。
朝廷に隷従すればまだしも、その権勢が及ばないとなれば、絶大な異能を携えた一族など、朝廷の脅威です。朝廷は言司を異端と罵り、《
半数を超える言司が捕らえられ、獄門となった。
集落を焼かれ、僅かに生き残った言司の一族は、山の神の許しを得て、おろち連峰の深くに至り、隠れ棲むようになりました。
おろち連峰に逃げ延びた一族を捜すこともできたはずですが、朝廷はなぜか、殲滅せよとの命令はくださなかった。禁足地を荒らすことで祟りを受けると恐れたのか、あるいは想像していたより遥かにたやすく一族を処刑できたことで、言司など恐れるに足りぬと考えたのかもしれません。
言司は抵抗しなかった。諍おうとはせずに逃走をはかり、捕まって殺された。最後まで、筆言霊のちからを揮うことはなかった。
それだけでは捜索しない根拠にはなりませんか。
実はもうひとつ、重大な訳があるのです。
迫害に堪えかねた一部の言司は、倭朝廷の軍門にくだった。
後に生き残った言司が逆襲してきても、朝廷には恐れるいわれはなくなりました。言には言。対抗できる手段を得たのですから。
斯くして、言司の一族は、人心ひとつで神から鬼にまで貶められたのでございます」
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