第6話 ダンシングキャロット

妻が台所でため息をついていた。

何事かと思ったら、テーブルの上に置いておいた人参が芽を二本出していて、それにがっかりしているようだった。

「ここのところ暖かかったから、伸びちゃったのねぇ」

「別にいいんじゃない?どうしても伸びちゃうものだから気にしてもしょうがないよ」

「そうなんだけどねぇ。まぁ、今日使う予定だからいいんだけど」

そういってしみじみと人参を見ていると、ひょこひょこと娘がやってきて、びっくりしたように言う。

「すごい、葉っぱ生えてる!」


そういえば、最近の人参は葉付きのモノは売っておらず、人参や大根が「根っこ」であることを知らない子もいるんだとか。

思いついたとばかりに、ちょっと提案してみることにする。

「人参って根っこだから、ここから切って、水につけておくと、この葉っぱがニョキニョキ育つよ」

「本当!?」

「……」

目を輝かせる娘。何を言ってるのかという顔をする妻。

「本当、本当。じゃ、お母さん、ここら辺から落として……」

そういって、五ミリ〜一センチくらいの位置を指さして、切り落としてもらう。

棚から小皿を取り出し、軽く水を入れて即席の水耕栽培だ。もちろんなんちゃって。だが。


それをテーブルの中央に置くと、ちょこんとしたかわいい緑が意外と映えた。

「こうしてみると、なんかかわいいわね」

「だろ?ただ、あんまり育たないし、根腐れしちゃうから、ある程度育ったら食べちゃうけどね」

「た……食べるの??」

妻はすごく意外そうな顔をした。食べたことがないらしい。

人参の葉っぱとか、大根の葉っぱとか食べずに捨ててしまう人がいるようだが正直もったいない。

人参は量があるなら、さっと天ぷらにするとうまいし、大根の葉っぱは、油揚げと炒めれば十分うまい。


「そうだなぁ。春菊みたいな感じで、一種の香草のような扱いだから。一人の時は刻んでミートソースに入れてたな。セロリ替わり」

「……なんかすごく貧乏臭いミートソースね」

「セロリ高いんだよ……」

そんなくだらない会話を妻としている間も、娘はその小さな緑に夢中なのか、ずっとテーブルの人参の芽を眺めていた。


数日経つと、人参の芽はすくすくと成長し、そこそこの長さまで伸びていた。

なんだかんだ言っていた妻も、テーブルの上にちょっと緑があると雰囲気が変わって良いねと言い出すようになっていた。


「それにしても、なんか、これ、顔文字みたいね」

「は?」

妻がなんか変なことを言いだした。どうやら、芽の生え方が顔文字のようだという。

「ほら。わーい。みたいな、踊ってるような顔文字があるじゃない。同じ・括弧・山形・小文字のオー・山形・括弧閉じ・カタカナのノ。みたいな」

そういって、台所のメモにすらすらと書く。


ヽ(^o^)ノ


娘がそれを見て、そっくり!という。ああ、手の位置が確かにそれっぽい。


「そうそう、この『同じ』って言ってたやつ、踊り字っていうんだよ」

「本当に?」

「本当、本当。あと、『山形』のやつも、『キャレット(caret)』っていうんだ。人参は英語でキャロットだからなんか似てるよね」

そう聞くと、不思議なもので、あの顔文字のように人参が両手を上げて踊ってるように見えてくる。

娘は、ますます目をキラキラさせながら、それを眺めていた。


さらに数日経った朝、娘がどたどたと音を立てて私のところに来た。

「おとーさん!人参さんが!!」

何事かと思って、台所に行くと、昨日まで元気だった人参が、もう俺ダメっす。という感じでしなびて横たわっていた。


「踊り疲れちゃった?」

娘が心配そうな顔でそんなこと言い出す。そのセンスは素晴らしいが、なんてことはない。水が乾いて干からびてるだけだ。

「そうだねぇ。ちょっとお水入れて、様子見て。そろそろ食べないとダメだなぁ」

「えええ、食べちゃうの?」

「うん、伸びすぎるとね。よくないんだ。」


水を足してやり、夜見るとそこそこ元気を取り戻す人参。

もうそろそろ食べないとなぁと思い、妻に話をして、翌日の夕飯のアクセントに入れてもらうことにした。


でも、一つだけ問題があった。

今まであった、テーブルの中央の緑がなくなると。少し寂しく感じている自分に気づいた。これは想定外だ。

妻も娘も同じ考えらしく、今までと変わらないはずのテーブルがなんだか寒々しい。

「うーん…週末、小さい鉢でもかおうか」


それを聞いて、ぱぁっと顔を明るくする娘。

妻もなんとなく寂しく感じたのか、「そうねぇ」と賛同する。


ハーブなんていいよなぁ。

ルッコラ、バジル、パセリも面白いかもしれない。どれも育てたことはないけれど、やはり食べられるほうがいいかな。


そんなことを考えながら、週末のお出かけプランを妻と娘に相談するのであった。

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