第3話 悪魔の鳴き声
いや、もうだめかもしれない。
その者の前で、私は頭を抱えながら、懸命に考えたが妙案は出ない。
部屋に冷たく響くその声は、絶望の2文字に彩られていた。
「『あ、熊の鳴き声』とかいうオチだったら、怒りますからね」
声だけではなく、冷ややかな目で見つめる妻からは、恐るべき冷気を感じて身震いする。
妻は、はぁとため息をついて、そのあとに続けた。
「別にあなたのダジャレ趣味にどうこう言うつもりはないけど、娘に聞かせる話として、それはないんじゃないの?」
「いや、かといって、幼い娘に怖い話を聞かせるわけにもいかないし、面白い話のほうがいいじゃないか」
妻はぎゅっと目を閉じて酷い頭痛を感じているかの如く、眉間に指をあてていた。
「それはそうかもしれませんけどね。普通の絵本とか、昔話でもいいんじゃないの?」
「そんなありきたりの話はつまらないだろう」
「つまらないかどうかではなくて、子供の知識としての問題です」
妻がピシャリとそのように言う。
「この間、あの子が『おかーさん。面白いお話があるの』と言ってきたときにね……私は絶句したわよ」
どんな話をしたのか興味があった私は、ほほう。とばかりに身を乗り出す。
「怪談ばなし。とかいうから何かとおもったら、『この階段、四つやぁ!』とか言い出したのよ?」
「ほうほう」
「番町皿屋敷。なんてもっとひどかったわよ。更屋敷という名の番長が出てきたときには、開いた口がふさがりませんでしたよ」
「あれは自分でも良くできた話だったと思うんだ。更屋敷番長のサクセスストーリーだからな……ん、ごほん」
妻に睨まれた私は、目を泳がせて、軽く咳払いをする。
とはいえ、そうかぁ、気に入ってくれたかぁ、と私はちょっとうれしかった。
「で、あなた。今度はちょっと考えて話をしてほしいの。女の子なんだから、もうちょっとね」
「わかったよ。絵本を図書館から借りてくるよ」
そういうと、妻はため息を一つついて、やれやれ、と肩の荷が下りたように、力を抜いた。
「それはそうと。熊の鳴き声ってどういうのなの?」
「そっち?」
「いや、言われてみると、熊の鳴き声って私聞いたことないのよね」
「実際には聞いたことはないけど、きっとクマ……。いや、ちょっと、睨まないで! ほんとそういう説があるんだって!!」
私は必至に取り繕い、スマホで検索した「クマの鳴き声」で検索したものを見せる。
確かに、トップではないが、「クマの名前の由来は「クマ、クマ、クマ」と鳴くからです…」と書かれてるのを見て、愕然とした顔を見せる妻。
そしてドヤ顔を見せる私。
でも、話を作るために、熊がどんな鳴き声かもちろんネットで調べてるので、クマと鳴いてるように聞こえないのは知っているのだが、たまたま見つけた「クマ」と聞こえるというネタが面白かったので披露しているだけに過ぎない。
妻はしばし悩んで、とんでもないことを言い出した。
「実際に見に行きましょうか。熊」
「はぁ?」
「ほら、ちょっと行ったところに動物園があるじゃない。せっかくだから、外出しましょう」
「いや、別にいいけど、動物園の熊ってほとんど鳴かないんじゃないかなぁ?」
もともと熊の鳴き声を聞いたことがないというのは、熊が鳴き声を聞くような状況というのは威嚇の可能性が高いからだろう。
逆に熊の鳴き声を聞くような状況は、熊にとっても人にとっても危機的状況だからなおさらだ。
「いいじゃないの。たまには家族で出かけましょう。お弁当も持って」
確かに、たまには休日に家族で出かけるのも悪くないな。と感じた私は、それに乗ることにした。
* * *
「思ったより人いるんだなぁ」
最初の感想はそんなだった。
閑散としているイメージがある動物園だが、来てみるとどうして、意外と人が多い。
子連れはもちろん、そこそこ若いカップルもちらほらと見かける。
女の子は臭いを嫌がるから動物園はアウトだと思ってたけど、そうでもないのかな?などと考えたりもする。
もっとも、ここは動物園だけでなく、併設されている遊園地とかもあるので、ついでに来ているのかもしれないが。
こちらはというと、娘は久しぶりのお出かけで大はしゃぎ。妻は娘とはぐれないよう、しっかり手を握っている。
「子供用リード、持ってくればよかったのに」
「うーん……久しぶりのお出かけだから、あんまり行動制限するのもかわいそうかなと。それと周りの目がねぇ」
歩けるようになった娘はベビーカーをとても嫌がるので、子供用リードを使うことにしたのだが、時々ヒソヒソ声が聞こえるらしい。
犬やペットかと言って子供用リードを持つ親を非難するという話は自分も聞いたことがある。
それで親の負担が減ればいいじゃないか。と思うのだが、見た目がちょっとという気持ちは確かにあるので、悩ましいところだ。
ついた時間も時間なので、適当なところでお昼にし、手元の園内マップのクマ舎の説明を見る。
「なんかたくさんいるね」
「エゾヒグマ、メガネグマ、ツキノワグマ……」
「あ、マレーグマ。はちみつとシロアリが大好きって、プーさんってマレーグマだったんだね」
「へぇ、言われてみれば、日本の熊って鮭を口にくわえたイメージで、はちみつじゃないもんなぁ」
頭にもやもやと木彫りの熊のイメージを想い浮かべたのか、妻は手でもやを払うような行動をする。
「じゃぁ、一息ついたら、クマ舎行きましょう」
そういってクマ舎に行くと、意外なほど混んでいた。妻は、プーさんのモデルであるマレーグマが見たいようで、少しそわそわしている。
ようやっと、マレーグマに対面すると、親熊の横から、小さなかわいらしい熊がちょこんと顔を出す。
そうすると、周りからも歓声が上がった。
「あ! クマの赤ちゃん!!」
妻は顔をほころばせ、混んでいた理由に得心した後に、ハッとして、こっちを見つめる。
「何も言ってないし、何も思ってないよ」
慌てて私がそう言って手を振る。
ホッとした妻が息を吐いた瞬間
「あくまのあかちゃん?」
私と妻が一斉にその声のほうを振り向く。
娘だった。
妻は額に掌を当てて「あちゃー」という顔をしていた。
「おとーさん、おとーさん、あくまの赤ちゃん!!」
「あくまの赤ちゃんの話なら家に帰ったらしてあげるから、待ってな」
「うん!」
私がにこやかに返すと、娘は満面の笑みを浮かべてしっかりと返事をした。
周りからはクスクスと笑い声が聞こえるが、ほほえましい話でもあるので、見る目はみんな穏やかだ。
妻の心中は穏やかではないかもしれないが、額に手をあてながら「もういいわ」といわんばかりに、私に手で合図を送る。
「悪魔の赤ちゃん」の話は古典でもあるので、さて、どんな風に自分らしくアレンジしようか。
そんなことを考えながら帰路につくのであった。
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