第2話 絶望の惨事~陽はまだ昇らない~

吐く息は白かった。

ポケットに手を突っ込み、やや猫背気味にトボトボと線路沿いを歩くと、駅にたどり着く。

もう、だれもいない駅だが、待合のベンチに座り一息ついた。

ベンチ脇の自販機は煌々と明かりがついており、動作していることに安堵のため息をつくと、凍える手でホットコーヒーを選択し、電子マネーで会計を済ませる。

ピピッと受領音がして、ガシャンと缶コーヒーが排出される。

暖かな缶コーヒーを、かじかんだ手でさすりながら暖を取った。

少し指の動きが落ち着くと、冷めないうちにと缶を開ける。


コーヒー特有の焙煎の香りがふわっとただよい、鼻腔をくすぐる。

コーヒー好きに言わせれば、たかが缶コーヒー、レギュラーに比べればと鼻で笑われるかもしれないが、私は缶を開けた瞬間のこの香りは好きだ。

インスタントだって、香りは申し分ない。缶コーヒーもブラックタイプであれば最近は香りにこだわったものも少なくない。

確かに、レギュラーのほうが素晴らしいのかもしれないが、私の鼻ではそんなに繊細な香りは嗅ぎ分けられないし、気にはしない。

本人が良ければいいのだ。


そっと、コーヒーを口に含む。暖かな飲み物はそれだけでごちそうだ。

冷めないうちに一気に飲み切ると、ふぅとため息をつき、待合室の時計を見る。


3時20分


さて、これからどうしようか。

いや、きっとどうにもならないだろう。

この絶望的な状況で、私はふと口の端に笑みがこぼれていた。

「クッ……クック……。全く、傑作だ。」

傍から見たら、気がふれたのかと思われるかもしれない。

ああ。確かに、少しおかしくなっているのかもしれない。

いや、十分におかしい。実際、私は笑いが止まらなかった。


ひとしきり、笑い終えると、急に睡魔が襲ってきた。

いや、この場で寝るのはさすがに命の危険があるかもしれない。

とはいえ、こんなおっさんをどうこうするような輩はいないだろう。この駅に来る道にも、人はいなかった。

睡魔に抗うものの、徐々に瞼が重く感じられ、下がってきた。


まもなく、手から空き缶が落ち、地面に転がっていた……

まどろむ意識の中、「陽はまだ昇らない」そんなフレーズが脳裏にこびりついていた。


 * * *


話を戻そう。なぜ私がこんな状況になったのかを。


その日は翌日からの連休のための残業で、珍しく終電ぎりぎりまで仕事をしていた。

慌ててホームをぬけ、停車している電車に駆け込む。ぎりぎりでドアが閉まり、なんとか終電に滑り込む事に成功し、安堵した。

終電だけあって、かなりの空席が目立つ。

せっかくだから座っていこう。自宅の最寄駅は終点である。万一寝てしまったとしても問題はない。

私は、適当な席に座り込むと、うとうととまどろみ始めた。


私は駅員の声で目が覚めた。

「お客様、終点でございます」

「あ、ああ、すまない。ありがとう」

泥酔者ではないことに安堵とした駅員が、にっこり微笑み、会釈する。私はいそいそとホームに降り、そして違和感を覚えた。


「……ここは。どこだ?」


見たこともないホーム、聞いたこともない駅名。あれか、いわゆる異世界……そんなわけないか。

最近流行りの異世界召喚ラノベに毒されていた私は、そんなことを思い出しては自分で否定する。


こういうのはスマートフォンでチェックすれば一発なのだ。

「……やらかしたか」

チッと舌打ちをする。

間違えて逆方向に乗り、終点まで来てしまったらしい。

スマートフォンで妻に連絡し、帰宅が朝になる旨を伝えた。


まぁいい。何とかなるだろう。

なんならホームで時間をつぶしてもいい。寒くて死にそうだが。

駅員にその旨を伝えると、改札を抜けた待合いならいいが、ホーム上ではさすがにダメだと言われたので、やむなく外に出る。

不本意ながら、結構な額の切符代を払うこととなり、かすかな理不尽さを感じながらも、自分のミスによるものだと言い聞かせた。

とりあえず、改札を出れば時間をつぶせる場所はあるだろう。そうタカをくくって改札を抜ける。


さすがにここからタクシーは万を超えそうなので、使いたくはない。


駅員にこの辺で時間がつぶせるところがないかを聞くと、線路沿いに、ある程度遅くまでやっているチェーン居酒屋が一軒。

24時間営業の漫画喫茶やファミレス、ファストフードなどはなく、ホテル等もタクシーを利用しないとないといわれる。


中心部から外れた土地なんてこんなものかと思いつつ、駅員に礼をいって、駅を後にした。


駅から10分ほど歩くと、懐かしい名前のチェーン居酒屋があった。

ああ、ここ、まだチェーン展開していたのか。昔はよくお世話になった。


扉をくぐり、適当なテーブルに腰掛けると、熱燗2合と、時間をつぶせそうな酒盗と塩なしのポテトフライを頼む。


熱々のポテトフライに酒盗をチョンとのせ、熱燗でキュっと飲み干す。

うまい。やばい、これでは時間があまりつぶせない。

チェイサーを絡めてちびちびやりつつ、スマートフォンでツイッターやらニュースをチェックし、なるべく時間をかけて消費しようとする。


一時間そこそこたっただろうか? というところで、店員が申し訳なさそうに声をかけてきた。

「すみません。お料理のラストオーダーの時間です。ほかにご注文はございませんか?」

「え?」


……時間をつぶせそうな。って言ったからには始発まで開店しているものだと思っていた。

「すみません、ここって何時閉店ですか?」

「3時閉店です。お料理は1時間前、お飲み物は30分前にラストオーダーとなります」


なんてこった。って、なんでそんなに中途半端なんだ?

軽くショックを受けつつも、店員に礼を言い、始発までの残り2時間強をどうしようかと思案する。

とはいっても、どうしようもないことは確かで、なんの打開策も思いつかないまま、結局3時には店から放り出されることとなった。


「ああ、そういえば駅に自販機があったな……ベンチで休みながらホットコーヒーでも飲んで考えるか」

そう思いついて、駅の方面へと足を向けた。

手袋もしていない手を保護するようにポケットに手を突っ込むと、気がめいってきたのか、だんだんと猫背気味になる。

吐く息は白く、冬の冷たい風が頬を刺す。

まだまだ春は遠いことを再認識させられた。


「ああ、もう、今日は厄日なのかなぁ」

そうトボトボと歩きながら、私は一人ごちていた。


 * * *


「……さま。お客様?」


どうやら眠ってしまったようだ。駅員の声で私は目が覚めた。

途端に猛烈な悪寒が体を襲う。


「お客様大丈夫ですか?」

「ん。ああ…」

「もうすぐ始発が来ますから」

「有難う」


そう言って、始発が来た頃合いを見計らうと、重たく感じる体を引きずりながら、改札をぬけ適当な座席にどさっと腰を下ろす。

ヤバイ。どう考えても風邪である。


何とか家にたどり着いたころには、頭は朦朧としており、鼻水はずるずる。ちょっとした顔面惨事になっていた。

しかも、確実に連休はつぶれるという絶望付きで。

出迎えてくれた妻は心配そうにし、布団を用意し、看病もしてくれた。


連休の最後、大分よくなった私は食事の折にふとその時の話をした。

しかし、それがどうもまずかったようだ。

なぜか私は布団の上で正座をしている。


「本当にあきれた」

「……」

「駅の待合室で、面白い話を思いついて、気が付いてたら寝てたから風邪ひいたとか」

「……」

「それも、夜中の三時だから、惨事とかけたり、居酒屋おんだされて絶望したとか、本当に面白いと思ったの?」

「……」

いや、妻よ。本当にその当時は腹がよじれるくらいに面白かったのだ。

思わず笑いが声に出てしまうくらいに面白かったのだ。

「おまけに。陽はまだ昇らないのは当たり前じゃないの。午前3時なんだから」

「ぐぅ……」

いや、確かに、改めて言われると顔が真っ赤になるくらい恥ずかしい稚拙な話ではある。

なんで当日あんなに面白いと思ったのだろう。


……多分徹夜のハイテンションと酒の力だろう……。恐ろしい。


「あなた」

「ハイ」

「そんなつまらない理由で風邪をひくくらいなら、タクシーで家に帰るか、近くのホテルに泊まって下さい。本当に」

「ハイ」


心配したんですから、と小声でつぶやく声が聞こえ……なんだ。私のことを心配してくれてるのか。と嬉しくなって、自然とニヤニヤしてしまう。


「何ニヤニヤしてんの」

じとっと白い目で見てくる妻に、

「わるかった。愛されてるな。と妙に実感してしまって。つい、うれしくなってしまって……な」

と正直に答える。はっとした妻はちょっと照れて頬を染めた。

「君が同じように風邪をひいて帰ってきたら、同じような事を言うと思うよ。思慮が足りなかった。すまない」

暗に、自分も愛している。という意図を込めてそう言う。


「っ……。じゃ、じゃぁ、私は台所片づけてお風呂はいったら寝るから。あなたもさっさと暖かくして寝なさいな」

ぷいっとそっぽを向き、そう言い放つ妻も、私の意図くみ取ってくれたらしい。まるでテンプレのツンデレのようだ。

可愛い。私の妻は世界一可愛い。

心の中でぐっとガッツポーズをする。


灯りを消し、布団に潜り込む。

結局、今回の連休はつぶしてしまった。次の連休はいつだったか。その時は一杯サービスしよう。

絶望の後には希望があるのだ。


あ、でも、こんなこというと、また、白い目で見られてしまうだろうか?

まぁ、それはそれでいいか。それが自分なのだから。

私は、ニヤニヤしながら、懲りずにくだらないことを考えていた。

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