旦那と奥さんの話

天地朔也

第1話 貪る青い血の野獣

そのもの・・はこの世に生を受け、1年と少々。人語を介さず、手づかみで獲物を捕らえると口に運び咀嚼する。

時折その口から発する言葉は「あー」とか「うー」とか、そういう言語の体をなしていなかった。

まさに野獣と呼べる……


ん?


「ちょっと、あなた?」

「ハイ」

「自分の娘を捕まえて野獣はないんじゃないの?」

「いや、ちょっと軽い冗談を」


……すまない。ひょっとすると自分のギャグのセンスは壊滅的なのかと疑ってはいる。

いや、でも、自分では面白いと思っているのだ。

だから、妻よ。

お願いだから、そう、私のことを蔑むような白い目で見るのはやめていただけないであろうか。


「バカなこと言ってないで、さっさと食事させて」

「わかったよ」


そういって、娘のところに食事を持っていく。もう離乳食も卒業し、固形物が基本だ。


娘のもとに持っていくと、「あー、あー」と両手を上げて催促された。


「くっくっく、そんなにこの獲物をご所望か?」

「やめなさいっ!」

「ぐぅ」


せっかくの休日。娘と遊びたいお父さんの気持ちがわからないのか、妻よ……


プラスチック製のお盆を娘の前にすっと差し出すと、待ってましたとばかりに、娘が手づかみで食べ始める。

やはり、スプーンとかを使わせたほうがいいのだろうか? と思うのだが、持たせただけですごく嫌がり、放り投げてしまったことがあった。

子育てとして間違ってるのかも知れないが、食べてもらわないことにはどうしようもないので、とりあえず様子を見ている。

育児書にも「手づかみ食べは悪くない」と書いてあったしな…外食するようになったら躾ければいいかと思ってる。


そのちっちゃな手で、わしっと食べ物をつかむと、口に持って行ってもごもごと食べる。

ごくん。と飲み込むとニコニコしながら毎回「あー」と言う。彼女なりに「おいしい」という表現なのだろう。

いつみてもワイルドな食べっぷりではある。


その様子を愛おしそうに眺めていると、妻が自分の食事を持ってきてくれた。

「はい、あなたの分」

「お、サンキュー」

「それにしても、もう1歳になるのに、しゃべらないのよねぇ、大丈夫なのかしら」

「うーん。どうかなぁ。結構個人差あるみたいだよ?あ、食べたときに『あー』っていってるから、マネするかもしれん」

そういって、プレートに乗ったサンドイッチをつまみ、娘に見せびらかす。

すると、娘が若干の興味を引き、こちらを見る。

それを確認すると、うまそうに口の中に入れ、一言発する。

「んまーーーーい」

「コラ」

「え、なんか変なこと言った?」

「女の子なんだから、ンマイはないでしょ!考えなさいよ」


ぐぅ。

妻よ。厳しすぎやしないか?

「んー」とか「まー」とか子供が言いやすそうな言葉を使いつつ、その素晴らしい美味を表現……

すまない。お願いだから、その、突き刺さるような白い目で見ないでほしい。


「せめて『おいしー』にしなさい」

「御意」

「……」


娘はそんな私たちのやり取りをきょとんとした目で見ている。

なので気を取り直して、もう一つサンドイッチを取り出して、口の中に入れ、ゆっくり租借して飲み込む。

「おーいしーーーー」

妻はその光景をみて、無言で頷くと、自分も「おいしー」といってサンドイッチをつまみ始めた。

するとどうだろう。

娘も口の中に入れてもごもごした後、何か言おうとしているではないか。

「あーーーー。おーーー」

お、どうだ。

「おーいーーー」

あと一息!

「ちーーーー」


「「おお!!」」


ちょっと違うが、これはこれでいい!

その後、私や妻が食べて「あー。おいしー」というのをまねて「あーおいちー」というようになった。


おいちい。なんてかわいいじゃないか!!もうメロメロである。


しかし、そこでふと魔が差したんだ。うん。恐怖の青い血の味噌汁という小話を思い出した。


「貪る…青い血の野獣……」


声に出てた。


……妻よ、お願いだから、その、親の仇をみるような、白い目で見るのはやめてくれないか?

今日麩の味噌汁、あーおいち。っていうオチが付く、超有名な小話を君も知って……あ、だめだ。これはよくないパターンだ。


「すまない。何でもない」

「わかればよろしい」


娘は「あおいち」を連発してキャッキャと喜んでいたが、私は冷や汗がダラダラと出て、妻のその視線で生きた心地がしなかった。

そんな、平和であるが、殺伐とした休日の昼下がりの出来事だ。

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