亡霊
一人、二人と、しな子も赤部も念象力者を倒してゆく。無関係の一般人にナノマシン化されたデュオニュソスを注入しているというわけだから、殺さぬよう注意しながら。念象力は発動するのに頭の中でビジョンを結ぶ必要があるから、一瞬、間がある。その隙を与えず、次々と気絶させてゆくのだ。十人、二十人くらいまでは良かったが、それ以上となるとしな子も赤部も動作が鈍くなってくる。
しな子が、一人の顎を掌底で突き上げた。次の一人に向かおうとしたとき、既に倒れている者に足を取られた。
「しな子!」
すかさず、周囲の念象力者がしな子と炎を結ぼうとする。
しな子は、直撃は免れることを期待し、そのまま身を伏せた。
熱風と爆炎をかい潜るようにしてかわし、次の一人へ。
別の数人が、しな子を見ている。
それらが結んだのを、感じた。
回避が、間に合わない。
轟音。
赤部が、両手に握った拳銃を発砲した。
三人、四人と頭部や胸部を撃ち抜かれ、死んだ。
「おや、乱暴だな」
吹き抜けの上から、川北が声を上げた。
「なりふりなんて、構っていられるか」
赤部はそう言い、次々と引き金を引いた。両手に握った拳銃の弾を撃ち尽くし、それで十二人が即死した。
「大した腕前だ。クリント・イーストウッド」
川北が冗談を言うが、無論赤部としな子に答える余裕はない。
「しな子!」
しな子は、戸惑っていた。
今赤部が殺害した十二人にも、人生があるのだ。帰りを待つ人が居るかもしれず、死んで悲しむ人が居るかもしれない。それらの人々は、また、奪われてはならぬものを、今奪われたのだ。
「しな子、腹を括れ。じゃなきゃ、お前が死ぬぞ」
赤部が回転式弾倉をむき出しにし、素早く弾丸を再装填する。その間に後ろから掴みかかろうとしてきた一人に気を合わせ、弾き飛ばした。二つ握った拳銃のうちの一つはそれで再装填が完了し、もう一つ。
「赤部さん!」
数人に襲い掛かられて赤部は転び、装填途中の拳銃を取り落とす。
片方の拳銃の六発を全て、撃ち尽くした。赤部は、尻餅をつきながら、死を覚悟した。
群がり集まる念象力者。誰が俺を殺すのかとでも言わんばかりに、その一人ひとりの顔を見た。
「つまらないな。エンドロールにはまだ早いぞ」
川北が嘲笑う声。
念象力者たちが、赤部を見る。その姿が燃え、焼ける様を結ぶ。
また、爆炎。凄まじい熱風が渦を巻く。
ようやく作動したスプリンクラーが、頼りない雨を降らせているが、それをもものともしない威力。
「――しな子」
焼け、悲鳴を上げながら転がる念象力者たち。その向こうに、揺れるしな子の姿。
「ごめんなさい」
しな子はそう短く言い、次の一撃を放つ。
地響きを伴って、閃光。そこに、大輪の紅の蓮が咲いた。
そうしながらも、体術を駆使し、次々と敵を薙ぎ倒してゆく。
「凄い。これが、丹羽しな子――」
川北が嘆息する。
赤部の周りを焼き払い、赤部をも爆風で吹き飛ばし、しな子が暴れ狂う。
大切にしていた、縫いぐるみ。その抱き心地を、思い出していた。
名前を付けていたが、それは思い出せない。
握る縫いぐるみの手が、いつの間にか母の手に変わっていた。
しかし、やはりその顔は思い出せない。
父の姿。苦しそうに、壁にもたれかかっている。
もしかしたら、それは赤部なのかもしれない。
今、しな子は、自動車の後部座席の中。
その瞬間を、繰り返していた。
車線を越え、対向車。父が、咄嗟にハンドルを切る。
天地が逆転し、凄まじい衝撃が世界を覆い尽くす。
そして、地響き、閃光、熱風。
しな子の左腕に巻きつく、紅い蛇。
蛇は、しな子に従順であった。何故か、しな子が、ゆけ、と思えば、蛇はその身体を伸ばし、その牙に敵をかけ、一呑みに飲み込むのだ。
また、車が横転する。
何度も、蛇はしな子を慕い、巻きついて来る。
その度に、命じるのだ。
――ゆけ。
しな子の側に、幼い頃の彼女の姿。
耳に残るのは、お囃子の音。
とん、とん、たとん。
とん、とん、たとん。
その拍子に合わせ、しな子は足を踏み鳴らし、踊る。
そうしているうちに、いつしか、それは自らの鼓動の音に。
耳を流れる、血の脈の音。
それが、蓮の形にぱっと開く。
そして、焼け付くような高速道路のアスファルトの上に横たわるしな子が、眼を覚ます。
そこで見たのは、横転し、炎上する車ではなかった。
スプリンクラーの雨に打たれる、何十もの黒焦げの死体であった。地獄がもしあれば、このようなものであろうかと、蘇りつつある意識の中、思った。いや、地獄でも、ここまで酷くはないだろう。
背後の殺気に、身体が反応する。掴みかかって来る気配を捉え、腰を捻りながらその顎に肘を食らわす。そこに、また小さく火が咲いた。
それで、あたりは静かになった。
スプリンクラーの水の音のみが、そこにある。
あとは、荒くなった自らの呼吸。
音が、もう一つ。誰かが、手を打ち鳴らしている。
「いや、素晴らしい。想像以上だ。ほんとうに、お前は素晴らしい」
川北。何が面白いのか、満面の笑みを浮かべながらしな子を賞賛している。その隣ではマヤも薄笑いを浮かべている。
「ほんとうに、お前は強い。これが、お前の力か。しな子」
「降りて来なさい、糞野郎」
髪から水を滴らせながら、しな子が川北を睨み上げた。
「汚い言葉を使うな。これから、お前は人々のお手本になっていくんだぞ」
「わけの分からないことを、言わないで」
「上がって来い。性能試験を、仕上げよう」
しな子は、どこかを痛めたらしい赤部をちらりと見、吹き抜けの上へと繋がる階段に向かった。
「しな子」
赤部の声が、それを弱々しく追う。
「大丈夫よ」
少しだけ振り返り、そう答えた。
階上へ。
「あんたの念象力者たちは、皆、死んだわよ」
しな子が、右足を引き、構えを取った。
「それでいい」
「それでいい?」
「しな子。お前、俺が俺の雇い主に従順だと思っているのか」
「どっちでもいい。興味ないわ」
「いいね。そういう所もいい」
川北は、聞きもしないのに話を始めた。
「俺の雇い主は、どうやらクーデターを起こそうとしているらしくてね」
「ああ、そう」
「この病院との繋がりをいいことに、ここの患者どもを念象力者にしてしまった。その力を背景に、この国を生まれ変わらせるんだとさ」
「興味ないわ。デュオニュソスは、一つ残らず、この世から消す」
「雇い主曰く、嫌気が差したそうだ。この国に。不和雷同、迎合主義。出る杭は打たれるが、出ない杭を誰も助けない。持つものは持たざるものから更に多くのものを奪うくせに、与えようともしない。未熟な人間が、未熟な人間を統べる。そうして、また政治という愚かなショーと、それが生む不満と欺瞞と怠惰がこの国の一層深くまで浸透してゆく」
しな子は、話を殆ど聞いていない。川北とマヤの出方を交互に伺いつつ、少しでも息が整わぬものかと思っていた。その点では、川北の口舌は有難い。
「お前は、デュオニュソスを一つ残らず消し去ると言ったな」
「ええ、そうよ」
「なら、止めなければならない。そうだな」
「ええ」
「俺はな、しな子。俺の雇い主の思想は少し極端だと思ってはいるが、ある部分では賛同しているんだ」
「だから、何」
「少しだけ、違う。俺の雇い主は、念象力者の力を背景に、自分がこの国を率いてゆくつもりらしい」
「そうみたいね」
しな子は、軸足を変えた。
「だが、それでは駄目なんだ。それでは、結局、同じことの繰り返しになる。そうだろう?」
「その理屈では、あなたの雇い主が、この世の誰よりも優れていないといけない、ということになるわね」
「そうだ。流石に、頭がいいな」
「馬鹿にしているの」
「いいや、俺は、心からお前を尊敬している。お前より優れた人間など、どこにも居ないんだ」
しな子は、背筋が寒くなるのを感じた。
それでは、まるで、と思ったところで、川北がその続きを言った。
「お前が、この国を率いていくんだよ」
「冗談じゃないわ。そんなこと、出来るわけがない」
「いいや、出来る。お前は、ただそこに居るだけでいい。お前の存在自体が、人に崇められるんだ」
「あなた、どうかしてるわ」
「普通の頭で、生きていけるような世の中か?」
マヤが、一歩前に出た。しな子がそれに応じようと向き直る。
「今、お前は、俺の雇い主の豚親父が考えることを潰した。お前が、俺の雇い主などより遥かに人を統べるに相応しいという証拠だ。今、百を越える念象力者のことごとくを殺したことで、お前には更に強く戦いの記憶が刻まれた」
マヤが、ジャケットを脱ぐ。今までと同じ、白いブラウス姿。清潔感があって、しな子はそれが好きだった。流暢に話す川北とはうって変わって、様子がおかしい。コピー・ペーストされたような薄い笑いを張り付かせたまま、前後に、左右に身体を揺らしている。
「見ろ、この女を。デュオニュソスもまた、人を選ぶ。しな子、お前は、選ばれたんだよ」
「そんなの、どうだっていい」
しな子は、マヤに向かって深く腰を沈めた。
「この人を、返して。あなたが力を奪うために殺した、佐藤加奈子を。おかあさんと幸福に生きていくはずだった、その赤ちゃんの人生を。下で死んでいる人たちの命を。その人を大切に思う人の心を」
川北は、乾いた笑い声を上げた。
「弱肉強食。お前は、そんなことは気にしなくていいんだよ、しな子」
「ふざけないで!」
しな子が、踏み出した。
一気に距離を詰め、鳩尾を狙って拳を繰り出す。
かわされた。マヤは意識があるのか無いのか分からぬ状態らしいが、しな子の心を読んでいるらしい。
「お前は、選ばれたんだ、しな子」
川北は、もう一度言った。
「選ばれてなんていない」
「いいや、お前は、選ばれた。神に、選ばれたんだ。そして、お前は――」
マヤが獣のように唸り声を上げ、しな子に飛び掛ってくる。
「――神になるんだ」
川北の声を切り裂くように、しな子が咆哮した。
飛び掛ってくるマヤの勢いを利用し、向かい合わせで強烈な回し蹴りをこめかみに食らわせた。
「しな子。お前は美しく、清く、そして強い。現代のジャンヌ・ダルクに、お前はなるんだ」
蹴り飛ばされて倒れたマヤが、ふらつきながら起き上がろうとする。
「いいえ」
念象力。
マヤが、しな子を焼くつもりで、結んでいる。しかし、しな子は避けようともしない。マヤとの距離を、一気に詰めた。
炎。それを、まともに食らった。
しかし、しな子は跳躍してそれを突き破り、飛び出した。
高く、高く。
導かれるように。押し上げられるように。
舞い上がったしな子の身体が、それを欲する引力に負け、降下を始める。その転地万物の摂理と、しな子の運動が、重なる。腰を曲げ、腿を前に。
膝が、自らの胸を打つ。
腰を一気に反らせ、膝を繰り出す。
それが、マヤの頭蓋を砕く。眼や鼻、耳から血液と、それとは別の液体のようなものを吹き出しながら、マヤが崩れ落ちる。
殺した。
マヤの笑う声や、ちょっと困ったように
それを振り切るように、川北を睨んだ。
「次は、あなたよ」
「いや、どこまでも凄い。さあ、早く神になろう。迷える哀れな羊たちを、導いてやってくれ」
かつて、しな子のことを現代のジャンヌ・ダルクと呼んだ者が、ほかにもいた。
松本。彼もまた自らに念象力を植え付け、しな子を欲した。
もう、うんざりだった。
いつまでも付き纏って離れない亡霊。
松本も、川北も。政治も、利権も、思想も、正義も、何もかも。念象力も、すべて。
思考を読んだのだろうか、川北は笑って両手を広げた。
そこに飛び込むように、しな子が駆ける。
身を低く。
星のマークのスニーカーで、強く地を蹴って。
――とん、とん、たとん。
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