敵という存在

「どうして、来たの」

 しな子がスプリンクラーに打たれながら、赤部に詰め寄る。

「もう少しで、あいつらを」

「待て、しな子。一体、どういうことなんだ。どうして、マヤが一緒にいた」

「知らないわ。川北と手を組んでたんでしょ」

「まさか」

 赤部は、マヤをよく知っている。ライナーノーツ時代から分析官として赤部を支えて来たし、しな子が眠ったままであったときもよくサポートをしてくれた。そのマヤに限って、と赤部は思いたい。

「きっと、ライナーノーツで分析官をしながら、国に雇われてもいたのね」

 スプリンクラーの水が止んだ。しな子が放った怒りの炎は、消された。

「しかし」

「赤部さん。あなた、あの女に思い入れがあるんでしょうけど、これは事実。あの女は、デュオニュソスを利用し、何かをしようとする者に手を貸しているの。つまり、わたし達の――」

 敵、としな子は言った。赤部にも分かる。思えば、しな子が複数度に渡り襲われたとき、いつもマヤは側にいた。リトルウィングの本部への侵入を許したときは、マヤが手引きをしたのだろう。そして、川北がしな子のマンションに侵入してきたとき、直前までマヤがいて、部屋の鍵をかけずに出て行った。

 それくらいのことは、赤部にも分かる。

「大丈夫か」

 マヤのことよりも、赤部にとってはしな子のことの方が大きな問題である。タンクトップから露出した上半身に火傷を負っているらしい姿を見て気遣った。

「これくらい、なんともないわ」

 しな子が自らを戒めるロープと椅子に向かって放った爆炎は、一瞬のものであった。知らずのうちに、コントロールが出来るようになっているのかもしれない。

 赤部に促され、倉庫を出た。赤部にとってマヤよりしな子の怪我が気掛かりであるように、しな子にとっては自分のことよりも大きな問題があった。

「佐藤さんが」

 歩きながら、そう言ってまた先ほど中断した佐藤の話題を持ち出し、すすり泣きを始めた。

「佐藤って、佐藤加奈枝のことか」

 赤部はライナーノーツ解体のあとリトルウイングを立ち上げるとき、念象力者としての佐藤に声をかけている。しかし、しな子の、

、そっとしておいてあげて」

 という一言でやめた。

「佐藤加奈枝が、どうしたんだ」

 赤部は訊いたが、答えは分かっている。

「死んだわ」

「そう、川北が言ったのか」

「ええ。彼女と、赤ちゃんには、可哀想なことをした、って。川北は、佐藤さんの読心術リーディングを記憶したデュオニュソスを埋め込んでいる」

「どうりで――」

 赤部は二度川北と対峙して、違和感を覚えていたのだ。戦い慣れているにしては、鋭すぎる。まるで、はじめから赤部がどう行動するのか知っているかのような挙動を見せることがあった。読心術を持つならば、それにも納得がゆく。

 くたびれたアルファロメオ。そのドアを、しな子が乱暴に閉める。しな子の所在が川北に知られて以来、彼女のマンションは引き払い、ホテルを転々としている。全て、リトルウイングが偽装している法人の経費で落とすから、金銭的な負担はない。


 もう、どれくらい、しな子はこのような生活を続けているのだろうか。自らを苛む火で標的を焼き、鍛え上げた体術で敵を沈め、終われれば部屋を引き払い、休まることがない。それでも、彼女は言った。戦いたい、と。

 赤部は、しな子が十八歳の頃から彼女を知っている。念象力者の子供を引き取り、育てる施設からライナーノーツにやって来たしな子を、のは赤部なのである。

 しな子が、そのことについて恨み言を言ったことはない。それが、彼女にとって、たった一つ、この世で生きてゆく術なのだから。悲しいことに、彼女は、それ以外に生きてゆく方法を知らぬのだ。どれだけ傷付き、打ちひしがれても、しな子が生きる限り、戦いは続く。赤部は、強い同情と罪悪感を持ちながら、しな子のそういう姿勢をどこか美しいもののように思ってもいる。

 彼女が、望まずして手に入れた力。それを用いて、しな子は、望まずして奪われようとするものを守り、奪われてはならないものを奪おうとするものと戦う。

 どうすることも出来なかったが、しな子は、佐藤とその子を守れなかったという思いを抱いた。そのことに怒り、苛立ち、言いようのない悲しみを感じている。

 だから、戦うのだ。

 その全てと。

 それが、どれほど強大な敵の姿となり、彼女の前に立ちはだかっても。


 佐藤の姿が、思い出される。

 ぱっと見、念象力があるようにはとても見えぬほど、彼女は至って平凡であった。

 しかし、彼女は確かに念象力者であった。それゆえ、ライナーノーツの構成員として働くことになった。パートナーと関係を持ち、妊娠し、そして、パートナーは佐藤とお腹の子を残し、死んだ。

 また、デュオニュソス。また、念象力。やはり、それらはどこまでもしな子を追いかけて来る。いつの間にか、日本政府――のうちの一部であるが――をも相手取ることになっているが、しな子は構うことはない。

 ただ、戦うのだ。

「赤部さん」

 アルファロメオの助手席に埋もれながら、しな子はくぐもった声を発した。

「川北を、探したい」

 いつも、向こうから接触してくる。それを、こちらから積極的に追う姿勢に転換すると言うのである。

「わかった。奴を、止めるんだな」

 しな子は、答えない。川北がデュオニュソスを使って何をしようとしているのか、分からない。ただ、あの男は、今日、はっきりとしな子の敵になったのだ。

 それならば、話は早い。

 敵ならば、打ち倒すのみである。



「川北君。本当に、大丈夫なのかね」

「松田先生」

 川北を使いる議員の、松田幸作である。またも失敗した川北の手腕に、不安を覚えているらしい。

「リトルウイングなる組織の構成員の一人を、の諜報局が抱き込んでいたのはよかった。君がそれと繋がりを持っていて、上手く使えると言い出したんだぞ。にも関わらず、どうして丹羽しな子を殺してしまわないのだ」

「申し訳ありません。思いのほか、丹羽しな子が出来る女でした」

「まさか、何か良からぬことを考えているわけではなかろうな」

「と、仰いますと?」

「言葉の通りだ。分かっているね。君は、我々に雇われているんだ。君自身の考えで行動したり、ものごとを決めたりすることは――」

 川北が、コーラの入ったグラスを置き、

「――出来ない。それは、分かっていますよ」

 と被せた。

「なら、いい。くれぐれも、よろしく頼むぞ」

 この夜は、松田の方が先にウイスキーを飲み干し、席を立った。内心、不気味な男だ、と思ったのだろう。松田にしてみれば、第一に優先すべきはデュオニュソスである。丹羽しな子など、どうでもよい。デュオニュソスの事業を妨害してくるリトルウイングを潰し、その中心人物である丹羽しな子なる念象力者を葬り去る。それしかない。ここにきて、川北の動きが妙になってきた。しくじるはずのない仕事をしくじり、丹羽しな子をいつも取り逃がしてばかりいる。

「そろそろ、駒を換えた方が良いのかな」

 バーの前に付けられた高級車に乗り込み、松田はそう呟いた。

 川北は、失うには優秀すぎる駒である。しかし、駒が勝手に意思を持って行動を初めてしまえば、チェスも将棋も出来たものではない。

「ここらが、潮時か」

 その呟きを乗せたまま、松田の車は走り去った。


 松田幸作は、父も祖父も政治家であった名門の生まれで、その地盤を引き継いでいる。彼に、怖いものなどない。幼い頃から、欲しい物は全て与えられてきた。親の口利きで一流大学に入り、妻も親が選んだ美しく教養のある女である。その妻が老い、興味を失っても、いくらでも若い女で代わりが利いた。

 しかし、松田は、不満であった。

 彼に何もかもを与える世界が、不満であったのだ。

 それと、デュオニュソスに、どういう関わりがあるのか。それは、松田にしか分からない。しかし、扱うものがデリケートであればあるほど、川北のような男の力も必要になってくるし、しな子のような者の妨害も入るものだ。

 それでも、松田は己の思想を実現するための計画を遂行する。

「私だ」

 車内で、何者かと通話を始めた。

「そうだ。もういい。急ぐ。妨害が入っているのだ。川北も、使えん。はじめの計画よりも早いが、決行する」

 電話の向こうの相手が、何か焦ったような声を上げている。

「いや、やるのだ。頼んだぞ、院長」

 そう言って、松田は通話を終えた。

「もうすぐだ。もうすぐ」

 運転手に話しかけたが、やはり運転手は答えない。


 しな子らは、無論松田の存在を知らない。

 彼がデュオニュソスを使って何をしようとしているにせよ、これだけは間違いない。

 彼は、川北同様、しな子の敵なのである。

 敵ならば、しな子は、それを打ち倒すのみ。

 時間や立場と共に目まぐるしく表情を変えるその流動的で相対的な存在を支えに、しな子は生きているのだから。

 それを打ち倒した先に、自らの生が拓ける。

 しな子は、そう信じている。

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