雨を降らせる閃光

「案外、早く動いたものです」

「川北君。どうするつもりだね」

 また、である。前と同じバーで、川北はハイボールを、初老の男はウイスキーをダブルで飲んでいる。

と思います」

「しかし、彼らの仕業だという確証がないぞ」

「ご心配なく。それを、確かめにゆくのです」

「ジャージにおかっぱ頭、ピアスの殺し屋が、他に居るとも思えんしな」

「まあ、お任せ下さい」

「君を疑うようなことは、しないさ」

「信頼に預かり、光栄です」

「疑ったりすれば、どういう目に合うか分かったものではないからな」

「ご冗談を」

「冗談で済ませよう。お互いに」

 川北は、まだ若い顔をふと笑ませ、ハイボールを飲み切り、席を立った。



 しな子は、鎮静剤を打たれ、眠っている。

 すぐにデュオニュソスを取り外すことを赤部は提案したが、医師が難色を示した。

「外したところで、どうにもならぬかもしれぬ」

 と言うのだ。

 何故こうなったのかがそもそも分からぬのだから、外して治るかどうかも分からぬらしい。後遺症が残る懸念もある。

「とにかく、外せ」

 赤部は、しな子の手を握りながら、強く言った。

 そのしな子の手に、また僅かに力が甦った。

「赤部さん」

「気がついたか?大丈夫か、しな子」

「おねがい」

 しな子の唇に、耳を近付けた。

「はずさないで」

「しな子」

「おねがい、このままにしていて」

「駄目だ」

「どうして」

 しな子の眼は、とろんとしていて妖しい光を放っている。赤部は、昔、麻薬中毒の標的を見たときのことを思い出した。そういう顔つきをしているのだ。

「危険だ」

「――たい」

「なに?」

「戦いたい」

「駄目だ。今は、休め」

 赤部は、手を強く握り返した。そうすると落ち着くのか、しな子は再び眼を閉じた。

「外そう。頼む」

 赤部は、医師に再び言った。

「わかりました。鎮静剤が切れたら再び麻酔を入れ、手術をします」

「頼む。俺は、こいつに付いている。いつ、出来る?」

「今夜中には切れるでしょうから、明日の朝一番で」

「分かった。こいつが目覚めたら、呼ぶ」

「お願いします」

 医師は一度退室した。

 夜明けまで、まだ六時間はある。

 いつから眠っていないのか分からぬほど、眠い。しかし、眠るわけにはゆかない。

 しな子の掌から赤部のそれに僅かに聞こえてくる脈拍を数え、赤部はじっと待った。


 いきなり、身体が浮かんだ。

 眠っていたらしい、と赤部は覚醒した。

 同じ瞬間、床に叩きつけられた。

 鼻の奥を、つんとした臭いが襲う。

 何が起きたのか、分からない。

 しな子。ただ、そのことだけを思った。

 視界を、呼び戻す。周囲の状況を眼と耳で捉え、脳の中にそれを結ぶ。

 こういうとき、落ち着かなければならない。

 落ち着いていられなければ、このような仕事は務まらぬ。

 しな子。ベッドの上にいた。どういうわけか、上体を起こしている。

 うつ向いているから、髪で表情は分からない。

 そして、人影。

 男。

 それは、敵。

 咄嗟に、赤部は知覚した。

 懐から銃を抜き、構えようとする。

 それより速く、その男は刃物を光らせた。

 しな子。

 それが、振り下ろされた。

 引き金を引くのが、僅かに間に合わぬ。

 鈍い音。

 しな子がベッドの上でうつ向いたまま、振り下ろされる刃物を左の掌で跳ね除け、そのまま腰を捻り、強烈な右の掌底を男の顎に食らわせていた。それで二人の身体が重なるような格好になったから、赤部は引き金を絞ることが出来ない。

 緩やかに、とても緩やかに、しな子はベッドの上に立ち上がった。

 一度、よろめいた。

 男も、口から血を吹き出しながら、大きく体勢を崩している。

 ぎし、とベッドが鳴った。

 しな子の身体が、風に靡く羽衣のように、浮かんだ。

 それが舞い降りるとき、男は顔面を窪ませ、床に叩きつけられた。

 両の耳から、出血。

 死んだ。

「大丈夫か、しな子」

 赤部は銃を右手に握ったまま立ち上がり、点滴の管が入ったままのしな子を支えた。

「まだ、来る」

 しな子は自ら点滴スタンドを引きずり、歩き出した。

 廊下に出ようとドアに向かうところ、別の者が病室に踊り込んできた。

 三人。

 しな子を、殺しに来たか。

「よせ、しな子」

 赤部が叫ぶのと、しな子が呼吸を矯めるのとが、同時であった。

 閃光。

 そして、爆炎。その威力は、先程の比ではない。

 しな子は、安全装置の無い火炎放射機、いや、ケイ素でもって安定化されぬままのニトログリセリンのようになっている。

 非常警報。

 スプリンクラーが、雨を降らせる。

 昨夜のときは、火災報知器が反応するほどのものではなかった。しかし、今回は、それを遥かに上回る威力になっている。

 咆哮。

 そして、また爆炎。

 それを浴びる背が、光の中に一瞬、消えた。

 赤部のところまで、熱気が襲ってくる。

 しな子自身が、火傷で死にかねぬほどの力。

 更に、咆哮。

 いや、それは、言葉だった。

 意味のない言葉。彼女にだけ、その意味が分かるのだろう。

 ドアは吹き飛び、廊下の電灯が割れた。

 赤部の身体に、衝撃。

 自らの爆炎に吹き飛ばされたしな子の身体だった。

 左腕の古い火傷の痕の上に、また新たな火傷を負っている。幸い、そう重くはないようだ。全身びしょ濡れになりながら、一度恍惚とした表情で赤部を見、その左腕を、ゆっくりとガウンの裾の中に入れた。

「やめろ」

 思わず、赤部はその腕を取り上げた。

 念象力者は、その力の発揮と共に、脳内を様々な物質が駆け巡る。特に、快楽物質が濃いらしい。恐らく、今、しな子は本能の塊のようになっているのだろう。

 赤部に取り上げられた腕を強く捻り、しな子はもがいている。外した肩は鎮静剤を打ってから戻したが、痛みが無いはずはない。もしかしたら、痛みすら感じていないのかもしれない。

「しな子、聞いてくれ」

 赤部が、ありったけの力でしな子を抱き締める。

「お願いだ。お前のことが、心配なんだ」

 少し、しな子の力が緩んだ。倒れた点滴スタンドに繋がっている針を、そっと抜いてやる。

「いつも、無茶ばかりして」

 ん、ん、としな子は僅かな抵抗を示している。赤部は、抱き締める力をなお強くした。

「戦いたいな。そうだな。だけど、こんな戦い方をしていれば、お前が先に死んでしまう。守りたいものが、あるんだろう?」

 しな子は、自分の前方にある黒焦げの死体をじっと見つめている。

「赤部さん」

 赤部は、抱き締める力を緩めた。声が、いつもの声に戻っている。

「――あたし、何を?」

「分かるか、しな子」

「全身が、痛いわ。頭が、重い」

「心配するな。なにも、心配するな」

「――雨?」

「そうだ、ただの雨だ。怖がることはないさ」

「あなた、何してるの?」

「何も。お前を、抱き締めている」

「ああ、そう」

 深夜のことだから、上の階のスポーツジム以外には人は少ないが、この東京トワイライトタウンの館内は大騒ぎになっていることだろう。下手に動かぬほうがよい。

 スプリンクラーから降る雨が、止んだ。

 それきり、しな子はまた眼を開けたままの眠りについた。



 結局、この騒ぎのためにデュオニュソスを外すことは出来なくなった。しな子は大人しくはなったが、駄目だった。他のスタッフが赤部に手を貸しに来たところ、また強烈な投げ技で応じたのだ。赤部以外の人間には、近づくだけで反応し、攻撃するらしい。あの強烈な爆炎をまた放たれたのでは、たまったものではない。仕方なく、赤部は濡れた部屋を移動し、自分のオフィスとして使っているかつての部長室にしな子を連れていき、いつものジャージに着替えさせてやり、ソファに寝かせた。

 しな子は、眼を開けたまま、じっと赤部を見つめている。何を思っているのかは、見当もつかない。


 あの黒焦げの死体になった男達。あれが何者なのかも赤部には分からない。そもそも、どうやってここに入って来れたのかも分からない。ライナーノーツ時代と同様、セキュリティは万全である。消防地図にすら載らぬ、偽装されたこの階層の存在を知る者すら極めて少ないし、ひとつ上の階のスポーツジムのVIPルームの隠しエレベータと、駐車場側の運搬口からしか、外の世界と繋がっていないのだ。

 暗証番号や、指紋認証、光彩認証もある。

 決められた者しか、ここには入れない。無論、ライナーノーツ解体の際、赤部がこの施設を受け継いだ際、かつてのスタッフの登録情報は全て消去した。だから、今、リトルウイングのスタッフとして生きている者以外、入ってこれるはずがないのだ。

 黒焦げの三人は、もともとの形すら分からぬようになってしまっているが、最初、刃物で襲いかかってきた一人には、少なくとも見覚えはない。

 セキュリティが、何かしらの方法で、破られたか。あるいは、

 ――誰かが、手引きした?

 考えても、分からぬ。

 じっと見つめてくるしな子に笑いかけてやり、赤部は拳銃の弾を確かめた。

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