第二部 失い、得る

よるとあさの隙間

 しな子は、目覚めた。三本ラインのジャージの上は流石に脱ぎ、タンクトップ姿であるが、下は穿いたまま。

 いつの間にか、タオルケットを蹴飛ばしていたらしい。

 立て鏡に、上体だけを起こし、柔らかな曲線を持つ女の輪郭が青く映っている。

 しな子が、その女を、女だと思ったのは、柔らかな胸の重さを確かめ、陰部に手を伸ばしたからであった。

 よると、あさの隙間。

 濃くなってゆく青に浮かぶ女の身体は、傷だらけであった。

 癒えても、痕は残る。

 弾丸の跡。切り傷。何で付いたか分からぬ、茶色い痣。

 そして、左腕の火傷。

 左膝が、痛む。

 しな子は、暫く、抗い難い快感に悶える女を鏡の中に見ていた。

 やがてそれが満ち、解き放たれたとき、彼女の髪の、金髪のメッシュが少し揺れた。


 あれから、髪はすっかり伸びた。

 何度か美容院に行き、お気に入りのおかっぱ頭を保っている。

 左耳のピアスは、洗面所だろう。たまに、どこに置いたのか忘れるのだ。

 彼女は、ベッドから、青黒い世界に足を降ろした。

 それを見計らったかのように、スマートフォンがうるさい光を放つ。

「もしもし」

 暫く、通話の相手の言うことを、聞いている。

「ええ、分かってる。起きてるわ」

 部屋の電気は、点けなかった。

 黒が青に塗り替えられてゆく時間。

 そこに、しな子はいる。

 今もなお。

 肩と耳にスマートフォンを挟み、通話は続く。

 その間、しな子は歯を磨いている。

 それが終わり、タンクトップを脱ぎ捨てようとしたが、上手くいかない。

 さいきん覚えた、スピーカーモードでの通話。そのアイコンを押すと、がさつな声が部屋に充満するから、嫌なのだ。

 だから、彼女はそれをするよりも、耳に電話を当てて通話をするという古式ゆかしいやり方を維持したまま、着替えをするということに工夫を凝らしていた。

 なんとか、タンクトップを脱ぎ、干してあるものを着た。

 その上から、三本ラインのジャージを。

 夏であるが、半袖は着ることが出来ない。

 女としてはあり得ぬ傷だらけの身体を、世に曝すわけにはゆかぬのだ。

 ピアスのことを思い出し、洗面所に戻る。

 スマートフォンを右耳に挟み換え、左耳に穿たれた穴に、武骨なステンレスの環を通す。

 スピーカーモードにしなくとも、声が部屋の中に漏れ聞こえてきた。

 それに、しな子は、答えた。

「ああ、そう」

 通話を切り、スマートフォンをポケットに押し込む。


 マンションのドアを開く。

 あさ。

 陽の出である。

 うるさい。

 しな子は、ドアを開いたまま、太陽を睨み付けるように眼を細め、施錠し、エレベーターへと向かった。

 エレベーターは、今まさにしな子の住む七階から一階へと降りはじめたところであったから、しな子は舌打ちをし、階段へと向かった。


 足音が、響く。


 とん、とん、たとん。

 とん、とん、たとん。

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