また、眠りへ

 赤部は肩を押さえ、苦痛の呻きと共に床に転がっている。

「赤部さん、大丈夫」

「丹羽君、おかしなことは考えるな。おかしな真似をすれば、赤部を撃ち殺す」

「そうすれば、あなたも死ぬ」

 部長に、佐藤の銃口が向いた。

「そうすれば、お前と、お前の腹の子が、死ぬ」

 松本の銃口が、佐藤の方を向く。しな子の位置からでは、赤部が取り落とした拳銃には、届かない。

 誰も、引き金を引くことができない。

「松本、お前」

 赤部が上体を起こし、松本を睨み付けた。

「悪く思うな、赤部」

「裏切ったのか」

「少し、違うな」

「では、初めから」

「そういうことになるな」

 苦痛を知らせる電気信号が駆け巡る赤部の頭の中に、像が結ばれた。

 松本は、念象力者になろうとしているのではないか。デュオニュソスは、どうやら、取り付けた者の念象力を記憶するらしい。いや、特定の記憶から脳を庇うために最適な物質の分泌を促す電気信号の発生パターンを学習すると言った方がよいのかもしれぬ。

 紗和の念動力テレキネシスに、しな子の念炎パイロキネシス。それに、佐藤の読心術リーディング。それらを、松本は取り込もうとしているのかもしれぬ。

 最初から、そのつもりであったとするならば、松本は大量に武器を仕入れ、自ら念象力を操り、何をしようとしているのか。

 赤部は、想像する。量産された念象力者。それらが集まり、組織となる。

 それは、パルテノン・コーポレーションの、私兵部隊となるのだ。金で雇われ、紛争地域などに投入される。

 その頂点にいるのが、松本。

 ただ頂点にいるだけならば、松本自身に念象力は要らぬ。だが、彼が念象力を欲しがっていると仮定した場合、パルテノンそのものに取って代わろうとしているのではと考えることができる。

 世界一の軍需企業。それは、恐らく、世界のバランスを変えるほどの力になる。

「お前は、何が目当てなんだ」

 答え合わせを求めるように、赤部が言った。その顔は、苦痛に歪んだままである。

「そうまでして、金が欲しいか」

 松本は、答えない。その代わり、九ミリ弾を一発、赤部の胴体に向けて放った。

 赤部は、床に再び転がった。

「赤部さん!」

 しな子が、赤部の方に向かおうとする。

「動くな」

 それを、部長が制した。

「赤部君には、可哀想なことをした。逆らわず、己に与えられた役割を全うしていればよかったものを」

「あなた、許さないわ」

「お前に許しを乞うつもりはないよ、丹羽君。人一人の感情など、何ほどのことでもない」

 しな子が、拳を握り締めた。佐藤は、部長の方に、銃口を向けたまま。

「さあ、言う通りにするんだ。お前とて、赤部のようにはなりたくはないだろう」

 松本の薄あばたの顔が、一歩前に出た。

 しな子が、それを見た。

 跳躍。同時に、松本の放った弾丸がしな子の耳元を掠め飛んだ。

 跳んだまま、高く、しな子の脚が上がった。

 それが弧を描き、振り下ろされ、踵が部長の鼻柱を砕いた。

 残心を示すこともなく、しな子の眼が、松本の方に向く。

 踏み込んで間合いに入り、腰を捻りながら掌底を繰り出す。

 払い除けられた。

 銃底で殴ろうとしてくるのを、受ける。

 交差した腕に拳銃を挟み、そのまま更に腰を落として踏み込むと、松本は押し倒され、しな子の手に拳銃が残る。

 それを向けようとすると、倒れた松本が脚を跳ね上げて拳銃を弾き飛ばし、そのままの勢いでもって起き上がる。

 低く繰り出してくる松本の脚を、腿で受ける。そのまま軸足を跳ね上げ、側頭部を狙う。しかし、松本の前腕に防がれ、逆に顎に痛烈な一撃を食らった。

 相当に、体術ができる。しな子は、驚いている。

 よろめく脚を踏み直し、低く構えた。

 松本としな子では、二十センチ以上の身長差がある。高く構えても、勢いが殺され、十分な威力にはならないだろう。助走や跳躍の勢いを使えぬ以上、しな子の選択は合理的と言える。

 しな子ほど戦い慣れた人間は、そうはいない。しかし、それと同等に、松本は体術が使えるらしい。同等ならば、体格において有利な松本が勝つ。

 しな子から、仕掛けることはできない。松本の仕掛けを返し、交差法でもって仕留めるしかないのだ。

 その松本の仕掛けが、来た。

 右の拳。

 しな子は、その軌道を掌で変えた。

 体術とは、身体能力、技の冴えにばかり眼がいくものだが、自らの身体の動きによって生じた隙を庇うことにもまた真髄がある。

 松本の裏拳が、崩れた体勢を補う。

 顔面を庇ったしな子の前腕に、衝撃。

 痛みを感じるいとまはない。

 その衝撃は、身体の間接を通して脚に伝わり、床に抜ける。

 抜けて、身体は、後ろへ。

 後ろへ揺れた身体が、振り子の原理で戻る。戻るときに、膝を伸ばし、勢いはなお増す。

 肘。

 松本の、鳩尾みぞおち目掛け。

 しかし、交差してきた松本の肘が、しな子の顔面を捉える。

 鼻血を吹き上げ、仰け反った。

 その襟首を松本がすかさず掴み、足をかけ、しな子を倒す。そのまま、背後に回り、首を締める。

 しな子の視界が、歪む。

 苦痛が、顔からこぼれ出た。

 口から血泡を吹きながら、足を泳がせた。

 海の中でもないから、それをしたところで、どうにもならぬ。

 頭が熱くなっては、冷たくなることを繰り返す。

 霞む視界に、赤部が倒れている。

 佐藤が、何かを叫んでいる。

 しな子は、気絶した。

 赤部さん。

 声には、ならなかった。


 とーん、とん、たとん。

 とーん、とん、たとん。


 しな子の頭の中を、祭りのお囃子が、通りすぎてゆく。

 火の熱。

 それが生む、風。

 しな子を乗せて、飛ぶ。

 綿毛のように、飛ぶ。

 その降りる先は、自分では決められぬ。

 風は、しな子の後ろから。

 そして、しな子を乗せ、しな子をも越え、前へ。

 自らの意思とは無関係に、しな子は、ゆくのだ。

 火の音が、遠くなってゆく。

 遠ざかり、縫いぐるみを抱いた女の子が、近付いてきた。

 その女の子は、しな子を見つけて、言った。

「こんなところに、いたのね」

 そして、笑った。

「おかえり」

 その女の子の後ろには、赤部。

 女の子の肩を抱いて、笑っている。

「赤部さん、生きていたのね。死んだかと思ったじゃない」

 しな子は、赤部に手を伸ばした。

 眼の前にいるはずなのに、赤部の声が、遠くから響く。

 ――しな子!

 ――しな子!

 答えて、やらなくては。

 あれは、しな子を気遣い、心配しているときの声だ。

 答えて、やらなくては。

 赤部に肩を抱かれた女の子が、しな子に向かって言う。

「あなたは、ここにいて」

「あなたの分まで、わたしが」

 その続きは、聞き取ることができなかった。

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