まもる

 三人は、あちこちをぐるぐると迂回し、ライナーノーツの監視の眼をごまかしながら、夕方には、吉祥寺のしな子の新しいマンションに。途中、ホームセンターで大型のクーラーボックスを購入し、佐藤をその中に放り込んだ。無論、生きたまま。

 標的を始末し、クーラーボックスを購入して、山梨の山中に捨てたと報告すれば、時間は稼げるし、大回りの迂回も矛盾しない。佐藤が完全に二人を信用したかどうかは分からぬが、殺されるとしても抗うつもりはないらしく、従った。

 道中、様々なことを赤部は話した。機動隊在籍時のこと。しな子のこと。しな子の頭の中に、ある機械が埋め込まれていて、からしな子を救おうとしていること。パルテノン・コーポレーションがどうとか、そういった難しい話はせず、ただ、自分たちのことを、話した。佐藤は、おそらく、ただ任務を実行するだけの念象力者なのだ。こういった情報は、知らないらしい。なにせ、マスコミに駆け込んでしまうような女なのだ。パートナーからも、何も知らされていないらしい。そのパートナーは、赤部は同じ組織の構成員として名と顔くらいは知っていたが、比較的最近、任務中の事故で死んだと聞いていた。


 佐藤は、妊娠している。定期的な検診が必要だが、彼女は背恰好がわりあい、しな子に似ていたから、検診の際は赤部と出かければよい。

 ライナーノーツが彼らを監視しているのは、街のあちこちに設置された防犯カメラの画像を受信し、その情報によるものが殆どであるから、それで誤魔化せるだろう。

 しかし、いつまでも、隠し通すことはできない。赤部は、それまでに、つもりなのだ。


「ちょっと、松本に連絡を入れる」

 赤部は、スマートフォンを取り出し、通話を始めた。

「松本って」

 佐藤が、しな子に訊く。

「ええと、よくわからないけど、協力してくれる人。パルテノン・コーポレーションの人よ」

「あの、パルテノン?カメラの?」

「そう」

 佐藤は、どうやら、パルテノンが政界に深く食い込んだ存在とは、知らぬらしい。アメリカ、ヨーロッパ、南米、中国、韓国、東南アジアに支社を持つ巨大企業だから、もしかすると各国で、日本と同じような活動をしているのかもしれない。しな子の頭に埋め込まれたデュオニュソスの軍事転用の画策などで、そのことが分かる。米軍や中国人民解放軍などに、医療機器部門が軍用の医療機器などを販売しているから、そのルートを使うに違いない。

「松本。赤部だ。お前の言う通り、佐藤加菜枝を、保護した」

 それで、しな子は、佐藤を保護するのは松本からの要請もあってのことであったことを知った。

「今、しな子の家にいる。そっちは、どうだ」

 言いながら、煙草をくわえたが、妊婦を気遣ってか火をつけず、そのまま唇で遊ばせている。

「そうか。引き続き、何か分かったら、知らせてくれ」

 赤部は、スマートフォンから耳を離した。

「赤部さん。煙草」

「ああ、済まん」

 煙草を箱に戻し、ソファに腰かけた。

「あなたたち、ほんとうに、ライナーノーツを敵に回すつもり?」

「ああ、そうだ。俺は、こいつを必ず、自由にしてみせる」

「その松本って人、信用できるの?」

「今のところは。互いの利害が一致する限り、それは何よりも確かな信用になる」

「わたしを救って、あなた達に、何の得があるの」

「松本が、お前を助けたがっていた。何故かは、知らん。今から彼に合うから、聞いてみよう」

「あなたは」

「俺か。俺は、もうこれ以上、人が、人殺しの道具になるのが、嫌になったんだ。で、最後にしたい」

「それが、あなたにはできるの?」

「分からんさ。だが、このまま、従うか?今日、あんたを迎えに来たのが俺たちでなければ、あんたは今頃、山の中だ」

「私が生きて、ここにいることが、あなたたちの信用証明になるのね」

「そういうことだ」

 赤部は、立ち上がった。

「松本に会ってくる。明日の朝、また来る。何かあれば、すぐ知らせろ、しな子」

「わかった」

 赤部は、皺だらけのジャケットを羽織ると、出ていった。

「しな子ちゃん」

 しばらく無言で過ごし、それが気まずくなった頃、テレビの電源を入れ、佐藤は言った。

「あなたのことは、信用できるの?」

「さぁ、知らないわ」

「あなた、不思議な子ね」

「あぁ、そう」

「でも、どうしてかしら。あなたを見ていると、落ち着くわ」

 佐和の眼が、柔和になった。しな子は、慌てて目を逸らした。脳内を、ややこしい名前の物質が駆け巡るのを、感じたからだ。

「あなたのこと、教えて。私が、あなたを信じられるように」

 教えて、と言われても、しな子には、何も話すことがない。ただでさえ話すのが苦手なのに、自分のことを教えろと言われても、どうすればよいのか分からぬのだ。

「なにも、ないわ」

「なにも?」

「そう。わたしには、何もない」

「気持ちも?思い出も?」

「ない」

「それは、嘘ね」

「どうして、あなたにそれが分かるの」

「私に、赤ちゃんがいるのね、って言ったでしょ。あなたは、優しい人よ、しな子ちゃん」

 しな子は、困った。どう返せばよいのか、分からぬのだ。分からぬまま、俯いて、夕方の情報番組に眼をやった。

「その赤ちゃんの、父親は」

 唯一見つけられた、話題であった。

「死んだわ」

「そう」

 また、会話が途切れた。

「パートナーだったの。任務で私が危ない目に合ったとき、私を庇って、あの人は死んだわ」

「そう」

「今までは、あの人が、守ってくれると思っていた。でも、あの人はいなくなった。別に、たいして好きでもなんでもなかったわ。で、なんとなく、そうなっただけ。それでも、あの人は、私が妊娠したことを知ってから、私を、それまでとは違う方法で、守ってくれるようになった」

「そう」

「あなたも、分かるでしょ」

「分からない」

「あなた、赤部さんと、セックスしていないの?」

「するわけ、ないじゃない」

「そうなのね」

「どうして、そう思うの」

「あの人が、教えてくれた。念象力者に、女性が多いのは、体に巡るホルモンの量に、関係があるって。そのホルモンは、快楽や安息をもたらす。知ってる?男性より、女性の方が、性欲は強いのよ」

「あぁ、そう」

「念象力者は、普通の人よりも、そのホルモンの量が、さらに多い。自分が、ひどい目に合って身につけた力でしょ。もしかしたら、脳が、子供を作ることを、そしてその子に生きて欲しいと願っているのかも、なんて」

「それは、あなたの願望ね」

「そうよ。私は、この子に、私のようではない人生を、送って欲しいと願っているの」

「そう」

 佐藤の手が、しな子の白い指に伸びた。しな子は、身を縮めた。

「頭の中を駆け巡る、声。それに、従うの。あなたのことを、教えて」

 佐藤は、しな子の手を持ち上げ、自らの体に這わせた。甘い匂いのする唇が近付き、しな子のそれに僅かに触れた。

「あなた、女性とは、ことあるのね」

 間近で、息をかけながら、佐藤が笑った。

「あるわ」

「どうりで、自然なわけだわ」

 しな子の大きなパーカーの中に、佐藤の手が入った。

 左手が、疼く。その疼きは、蛇のように、しな子の身体を、這い回る。

 頭にデュオニュソスを埋め込まれてから、しな子は性欲の処理に困っていた。何度、自慰をしても消えぬそれが、いつもしな子の頭の中に、小さな火照りを作っている。 

 佐藤は、念象力者特有の強い性欲を通わせることで、直接的にしな子のことを知ろうというのか。

 彼女もまた、他に頼るべきものはないのだ。彼女は、信じたがっている。赤部の語る理屈ではなく、しな子の存在そのものを。

 しな子の身体が、小さく痙攣した。短い吐息と共に、舌が絡む。

 佐藤が、鋭く声を上げた。

「ごめん、痛い?」

 しな子が、そこから指を引いた。

「しな子ちゃん、知ってる?」

「なに」

「妊娠してたって、セックスはできるの」

 ソファの上に、しな子の白い肌と、佐藤の血色のよい肌が露わになり、それらは激しく重なり、絡まった。二人の声が、互い違いに、暮れてゆく陽射しを濡らしている。

 何度も、しな子は激しく身体を震わせた。

 同じものを、佐藤にも与えた。


 そのことが、済んだ。

「虚しい?」

 佐藤が、肌を寄せたまま言った。

「虚しくも、なんともない。ただ、快楽があるだけ」

 しな子は、そう答えた。

「私ね」

 しな子は、佐藤の声を聞きながら起き上がり、脱ぎ捨てたショートパンツとパーカーを身に付けた。

「この子ができるまで、あなたと同じようなものだったわ。何も、怖くなんてなかった。死ぬなら、それまで。そう思っていた」

「そう」

「でもね、しな子ちゃん。私の中に、別の命が、宿っているの。私には、失ったり得られなかったりしたものが沢山あるけれど、この子には、与えてあげることができるの。こんなに素晴らしいことは、ないわ」

「そう」

「だから、マスコミに全てを話し、身の安全を――」

「思い上がりね」

 しな子が強い語調で遮るので、佐藤は驚いた顔をした。

「あなたは、それで戦っているつもり?」

「そうよ。私は、この子を守る」

「その結果、あなたを殺せと、わたしは命じられたの。あなた、軽はずみよ。赤ちゃんを守ろうとして、二人とも死んでしまえば、何にもならない」

「そうね。考えが、足りなかったわ。まさか、こんなに早く、私を始末しようとしてくるなんて」

「あなた、考えが無さすぎよ」

「そうね、こんな調子じゃ、すぐに死ぬわ」

「いいえ」

 しな子は、立ち上がった。立ち上がると、太股にまだ快楽の残り火が燻っていることを感じた。

「あなたは、死なない」

「どうして」

「わたしが、殺させない」

「どうして、あなたは、私を守るの?今度こそ、教えて」

「わたしの身体を責めても、答えは出ないわ。あなたは、そうやって、勝手に安心していればいい」

 佐藤が、思わず笑った。

「素っ気ないのね」

「なんとでも、好きに言って。あなたは、赤ちゃんを産んで、その子に、与えるの」

 佐藤は、言葉でも、身体でも感じられぬ何かを、丹羽しな子という、この妙な生き物から、感じた。

 それは、強く、暖かく、悲しいものだった。

「――ありがとう」


 しな子もまた、得られず、奪われ、求められなかった者。

 それを、あえて、自ら求めようとは思わぬ。

 しな子は、戦うだけ。

 戦って、守るだけ。

 佐藤に、あったかもしれぬ自分の姿を重ねた。

 それを、守るのだ。

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