協力者

 赤部は、あれから、三日と空けず、しな子の様子を見に来ている。心配なのだ。それと、己の誠を行動でもって示そうとしている。

「ほら、しな子。弁当だぞ」

 しな子は、放っておくと、まる一日何も食べなかったりする。以前なら自己管理は任せっきりにしていたところであるが、状況が状況だけに、こうして吉祥寺にまで車で通っているのだ。

 デュオニュソスの効果は、計り知れない。つい数日前も、一瞬にして標的を黒焦げにしたところである。

 それは、ちょうど、クリスマスの日。


「しな子、大丈夫か」

「ええ」

 しな子は、少し開けたアルファロメオの助手席の窓から窮屈そうに逃げてゆく煙草の煙を眺めながら、きらびやかに飾られた街を伊達眼鏡に映している。

「早く、髪、伸びるといいな」

「大丈夫、というのは、髪のこと?」

「いや、ぜんぶさ」

「そう。わたしは、平気」

「なら、いいんだ」

「赤部さんは、どうして、そんなにわたしを気遣うの?」

「そりゃあ、お前」

「自分で、自分を責めているのね」

 しな子は、デュオニュソスが頭に入ってから、やや多弁である。

「責めている。たしかに、そうかもな」

「言ったじゃない。怒ってないって。気にしないで」

「お前が怒っているかどうか、心配なんじゃない」

「じゃあ、何が心配?」

「お前のことさ」

「わからない。わかるけど、ね」

「このまま、お前を、誰かの道具になんて、させやしない」

「赤部さん」

 しな子の首が、運転席の方を向いた。こうして今時の格好をしていると、とても可愛らしい。普通の女の子にしか見えぬし、まさか、今後量産されるであろう念象力者の母となるとは思えぬ。赤部は、その下がり眉と、白黒のコントラストの激しい潤んだ瞳が自分をじっと見ているのを、横目で見た。

「それ、前も聞いたわ」

「そうだな、でも、何度でも言うさ」

「そう。好きにして」

「あぁ、好きにするさ」

 ウインカーの音。緩やかに、左折。東京のクリスマスには、賑やかさと静けさが共存する。しな子は、助手席の窓から吹き込んできて煙草の煙と混ざる、静かな冬の風を嗅いでいる。

「もう、着くぞ」

「ええ」

 ある埠頭。警察も、まさか、こんな時にここで武器取引が行われるとは思っていないだろう。武器取引というのは見せかけで、武器を買う側から、売る側を密かに始末してほしいという依頼であった。

 互いの素性を、しな子は知らぬ。ブリーフィングで聞いた気もするが、ほとんど記憶していない。赤部が指した者を、手当たり次第に焼けばいいのだ。黒焦げの死体の回収は、依頼者の方で勝手に行うらしい。

 今度は、対象が複数いる。多対一でのデュオニュソスを搭載した特別被験体の威力を知る、いい機会なのだろう。

 埠頭には既に男が数人いて、赤部を迎えた。

「あなたが、赤部さん」

 暴力団関係の者だろうか。黒いスーツにコートを着込んだ、いかにもという風体の男が赤部を迎えた。

「内閣諜報局、特務実行部の赤部です」

「すると、そちらのお嬢さんが」

「ええ、彼女は、丹羽と言います」

「よろしくお願いします」

 しな子は、無言で会釈をした。初対面の相手は、やはり苦手である。

「国際問題には、したくない。お力を得られ、助かります」

「全力で、ご依頼を果たします」

 話しぶりからすると、暴力団関係者にしてはと言えば語弊があるが、わりあい物腰は柔らかく、どちらかと言えば大企業の役員という感じの男だった。年は四十代半ばくらいか。夜だから、正確には分からない。

「もうすぐ、約束の刻限です」

 二十三時。時間ちょうどに、スーツケースを持った男がやって来た。護衛とおぼしき者も合わせ、十人ほどの一団。

「赤部さん、どれ」

「あれを、全部だ」

 コンテナの陰から、その姿を視認する。しな子の中のデュオニュソスが敵を見つけ、嬉しそうに身震いをした。

「動く気がする」

「なに?」

「動く、気がするわ」

「なにが」

 しな子は、一人が大事そうに持つスーツケースを見た。

 結ぶ。

 スーツケースが激しく男の手から滑り、落下した。

 慌てた他の男が、落とした男を叱責するように声を上げた。中国語のようだ。赤部は、驚いた眼でしな子を見ている。

 男が拾おうとしたスーツケースを、更に見た。

 男が拾おうと取手に手を伸ばしたとき、それはひとりでに激しく跳ねた。

「しな子、お前」

「ほら、ね、赤部さん」

のか」

 それには答えず、しな子は更に対象を見る。

「駄目。焼くには、遠い」

 念象力とは、それぞれ固有の効果範囲がある。それより離れると、発動しない。複数の力を持つ念象力者は未だ確認されていない。しかし、今、しな子に、効果範囲の違う別の念象力が、備わっていることが分かった。

「土井紗和の力を、記憶している?」

 赤部が、呟いた。あるいは、紗和の記憶そのものか。

「駄目、赤部さん。火が、結べない」

 しな子は、言った。まだ火を結ぶには遠いのだ。ふらふらと誘われるように、中国語を話す男の方に歩いてゆく。

「しな子」

 赤部が制止しようとしたが、遅かった。一人がしな子に気付き、止めようとする。

 とーん。

 激しい炎熱と、光。そして、紅の蓮が、現れた。その男は燃え上がり、火だるまになった。

 とん。

 驚いた別の男三人が、しな子に向かって駆ける。

 たとん。

 やはり、それらも、しな子に辿り着くまでに身体から火を吹き上げ、転がった。

 五人ほどが一気に、恍惚の笑みを浮かべながら、火の紅を頬に浮かべるしな子へ向かった。

 しな子は、パーカーのポケットに手を入れたまま。

 すり抜け、かわし、子が遊ぶように。

 とん、とん、たとん。

 とん、とん、たとん。

 幼き日の、残り火。

 それが、夜を照らす。

 焼いて、どうするかは、知らぬまま。

 火のあと、残るのは、黒の夜。

 とん、とん、たとん。

 とん、とん、たとん。

 しな子の、淡く浮かんでは消える想念が、途切れた。

 火が、結べぬ。最後の一人。

 ほんの僅かな、距離がある。

 とん、とん、たとん。を詰めて。

 地を蹴り、上って、白い脚を。

 そして、咆哮。

 左膝を鼻柱にまともに食らったスーツケースの男は、血を吹き、のけ反った。

 その身体に、蛇のとぐろが巻く。

 

 闇が戻り、彼らが黒く炭化し、転がっている。焦げ臭い臭いが、冬の波の音に混じり、溶けていた。

 依頼者は、念象力を、はじめて見たのだろう。恍惚の表情を浮かべ、立ち尽くすしな子に、言葉もないらしい。

「松本さん。任務は、完了しました」

 依頼者の名を呼び、赤部はしな子から視線を外させた。

「契約のときにもしつこく言われたとは思いますが、彼女のことは、最高機密にあたります。くれぐれも、他言は無用です」

「わかって、います」

 松本と呼ばれた男は、他言したとき、あの恐ろしい火の蛇が自分に噛み付いてくる様を想像しているのか、身震いをした。

「松本さん。ひとつ、お願いがあるのです」

「なんでしょう、赤部さん」

「我々は、協力者を、探しています」

「協力者?」

「あなたは、私と同じ。パルテノン・コーポレーションの者であるのが表の顔。しかし、裏では、こうして、をしている」

「ご存知でしたか。ならば、あなたも、そうだと言うのですか」

「私の場合は、逆ですがね。こうして、ライナーノーツとして働いている裏の顔が、表の顔。世界を股にかけるパルテノン・コーポレーションのケチな雇われスパイというのが、裏の顔」

「面白いことを仰る」

「人間、表かと思ったら裏、裏だと思えば表。そんなものなのです」

「それで、パルテノンの一員としての私に協力を求めていらっしゃる。それは、表の赤部さんか?裏の赤部さんか」

 赤部の顔が、ハロゲン灯の光に不敵に浮かんだ。

「どちらでもありません。ただの赤部健一郎として、お願いをしています」

「内容によります」

 松本と呼ばれた依頼者と、赤部の会話は続く。どうやら、松本はパルテノンの社員としての身分を隠して依頼をしてきたらしい。

 無論、依頼者の身辺調査は、徹底的に行われる。それでも、彼がパルテノンの社員であることは分からなかった。彼は都内で小さな税理士事務所を経営していることになっていた。

 すなわち、彼もまた、並の方法で世を渡ってはいないということだ。ライナーノーツと密接な関係にあるパルテノンの社員が、パルテノンであることを隠し、武器の密輸業者の中国人を消すことを依頼してくる。それだけでも、ただ事ではない。

「今夜の仕事。武器の取引をしていることが会社に露見すれば、あなたの命はない。それだけでは、ありませんね」

「はい」

 松本の仲間は、無言で黒焦げの丸太のようになった密輸業者を手際よく大きな袋に入れては、バンへと載せている。

「場所を、変えませんか」

「私の車でよければ。古い車ですが」

 二人は、赤部が車を置いた埠頭前の駐車場へと足を向けようとした。

「しな子」

 促されるまで、しな子は、自らが作ったが、海の音の中、その海に流されるように運ばれるのを、じっと見つめていた。

 赤部と松本は、話しながら、歩いている。二人の会話は聴いているが、頭の中の別の場所にそれは吸い込まれていき、ただ空虚なこだまとなって響くだけだった。

「では、あなたは、パルテノンから、手を引きたいと考えているのですね」

 松本にそう言う赤部の手を、しな子が、後ろから不意に握った。赤部が咄嗟に防御反応を示そうとしたが、その手触りが柔らかなものであることを知り、しな子の手であることに気付いた。

「どうした、しな子」

「手、繋いでいて」

 松本は、よくできた男らしい。二人から、すっと眼を逸らした。

「どうしたんだ、急に」

「怖い」

「なにが」

「わからない」

 赤部の手を握るしな子の力が、強くなった。二人の体温が、じわりと汗を呼び起こす。

「松本さん、すみません。いつもは、こんなではないのですが」

「いえ、構いません。どうぞ」

 赤部は苦笑し、しな子と目線を合わせた。背の高い赤部がしな子の目線に合わせるなら、腰と膝を大きく曲げなくてはならない。その無理な姿勢で、赤部はしな子の肩に手を置いた。

「力を、使い過ぎたんだ。きっと、その反動さ」

 それもあるだろうが、紗和の力が、しな子に宿っているかもしれぬ。しな子は自分の中に紗和を感じ、心が乱れているのだろう。赤部はそう思ったから、あえて、そのことは言わなかった。

 しな子の力、いや、記憶も、この試作型のデュオニュソスは覚えるのだろう。ナノマシン化されたとき、力を持たぬ者にそれを与えるために。

 そして、恐らく、覚えるというより、奪っているのだ。吸い取るように。紗和は、だから、取り外されて力を失った。

 これが、赤部の立てた仮説。

 それを頭に浮かべながらしな子の目を見ると、とろりと溶けたそれが僅かに逸れた。しな子は、眼を見たり、見られたりするのを嫌う。それは変わらないらしい。

「大丈夫。心配ない」

 だから、赤部も、必要以上にそのまるい瞳を覗き込んだりはしない。

 三人は、車へ。赤部が、松本のために助手席のドアを開けてやるが、松本は乗り込まない。

「どうぞ」

 と赤部が言葉で促すと、

「いえ、そこは、指定席でしょう」

 としな子を見て笑った。

「いいえ。あなたが、前に乗って」

 しな子のか細い声が、そう言った。

「おっと。これは、失礼。お互い、完全に信用を得たわけではない間柄。私が、前に乗るべきでした」

 松本は笑って、助手席に乗った。完全に、裏社会の行動理念である。たとえば、後部座席に害意のある者を載せれば、運転席や助手席の者の首に後ろからワイヤーなどをかけ、絞め殺すことができる。拳銃などを持っていれば、なお簡単である。二人が言うのは、そういうことであった。

「しな子」

 赤部がしな子をたしなめようとするが、気にせず松本は助手席に乗った。

「お気になさらず。細かいことには、こだわりません」

 無論、その中に嘘はある。細かなことにこだわらずして、東京の闇の中を泳いで渡ることはできぬ。

 そして、赤部は、松本が泳ぎ着こうとしている先が、自分の求める岸に近いことを、はっきりと感じているらしい。

「それでは、お話を伺いましょう、赤部さん」

 松本も、そのつもりであるようだ。

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