第三章 反逆
幕間 虚
しな子は、マスコミなどにもその姿を公開されている。マスコミだけでなく、警察もテロの重要参考人としてしな子を追っているらしい。
それがため、しばらく病室に引っ込んでいたわけだが、僅か一週間ほどのことで、もうマスコミや世間はテロ犯のことを忘れかけているらしい。無論、組織からの圧力などもあるのだろう。
人は、それよりもクリスマスに恋人とどう過ごすかに頭を悩ませ、プレゼントを選び、あるいは一人きりでその夜を過ごすことに諦めと憤慨の入り交じった感情を抱え、自分には関係がないと
気に入っていたおかっぱ頭は男の子のように短くなってしまったが、それでよかったのかもしれない。髪型が違えば、それこそ、もう誰もしな子のことなど分からないだろう。
それでも、念には念を、という言葉がこの世にはある。
「しな子。服装も、変えた方がいい」
復帰にあたり、目立つ格好は控えたほうがよい。しな子のような可愛らしい女がジャージ姿で街をうろついているというのは、目立つものだ。
「服、買いに行こう」
赤部に促されて、しな子は東京トワイライトタウンのショッピングモールで服を選ぶ。
もともと服装にあまり興味がないから、ジャージ以外の服など心底どうでもよいと思いつつ、コンビニの雑誌コーナーに並ぶファッション誌の表紙を飾る可愛いモデルに、ささやかな憧れもある。彼女達は、しな子が望んでもそうはなれず、はじめから選ぶことを許されなかった自分なのだ。
その姿を思い浮かべながら、眼についた服を手に取ってゆく。
スキニーのデニムなどを穿いてみたいが、これほど身体に密着するものを身に付けては、足技が放てぬ。踏み込みも、浅くなる。
そのようなことを言う度に、赤部が苦笑する。
「これ、かわいい」
しな子が手に取ったのは、太股まで隠れる丈の、スウェット地のパーカー。
「お前、でかい服、好きだな」
「いいじゃない。身体の動きが妨げられるのが、嫌なの」
こうして見ると、歳の離れたカップルのようにも見える。すかさず、店員が駆け寄ってくる。
「かわいい!すっごく、お似合いです!」
と、ベッドの上で出す矯声のような声で言う。しな子は、例のごとく、黙ってしまう。
「いや、クリスマスなもんでね。服を、買ってやりたくて」
赤部が、自然な笑顔で、店員と話しはじめた。
「やっぱり、パーカーは定番アイテムです。お姉さん、肌がとっても白いから、こっちの紺色なんかも、よく似合います。短い髪、すっごくオシャレ」
素早く同じデザインのパーカーを手に取って、しな子を着せ替え人形にする。
赤部もはっとするほど、紺色のパーカーは、しな子の白い肌を引き立てた。
しな子が店員の眼を見ず、そのパーカーを自らの腕の中に抱き、助けを乞うように赤部の方を見る。
「うん、お姉さん、ありがとう。あとは、こっちで選ぶから」
しな子のために優しく店員を追い返してやり、またハンガーラックに眼を戻した。
「よし、一着決まったな」
続いてしな子が選ぶのは、同じような紺色のパーカーばかり。一つ気にいったものがあれば、それにこだわり、同じようなものばかりを手にする。それで、赤部は、しな子が紺色のパーカーを気に入ったことを知った。
お気に入りの髪型も、お気に入りのジャージも、奪われてしまったのだ。その代わりにはならなくとも、せめて、気に入ったものを着せてやりたい。
「ほら、こんなのどうだ」
赤部が持ち出したのは、チャコールグレーのチェックのショートパンツ。たぶんパーカーに合わせれば、何も履いていないように見えてしまうかもしれぬが、そういうファッションもある。厚手のタイツでも穿けば、しな子が好むスニーカーともよく合いそうだ。
結局、五着ほどのパーカーと、三着のショートパンツを購入し、試着室を借りて着替えさせてもらった。
出てきたしな子は、別人のようであった。髪は短いが、それが男物のピアスとよく合っている。さらに、赤部が思い付いてレジ前で売られていた大きめの伊達眼鏡を持って来て着ければ、すっかりお洒落で年相応の女の子らしい服装になった。ちょっとカジュアルであるが、ジャージよりは幾らかましである。
これで、ただでさえ移り気な世間の眼も眩ませることだろう。重要参考人の嫌疑の眼からそれで完全に逃れられるわけではないにせよ、少なくとも民間人から通報を受けるということはなさそうだ。
マンションも、紗和を始末したその日から変えていた。下北沢のマンションはそのままにしておいて、今度は吉祥寺に移り住んだ。
赤部が住んでいるらしい港区からは離れたが、大した距離ではない。
また、最低限の家具だけが揃えられた殺風景な部屋。CDやお気に入りのカモミールのキャンドルすら、取りに戻ることは許されなかった。
そこに、衣服という、僅かな人間らしさが増えた。
頭に埋め込まれた、デュオニュソス。当分の間は、その臨床データも取られる。それはライナーノーツの医療班から、パルテノン・コーポレーションへともたらされ、新たな殺人機械の量産技術へといずれ繋がってゆく。
紗和は、しな子に、何を伝え残したのだろうか。デュオニュソスの運用についての重要な情報以外の、なにか大切なことを伝えたがっていたような気がしてならない。
彼女は、デュオニュソスを取り外され、反動のように力が無くなったという。力を失い、しな子に殺され、初めて救われると言った。もし、それがたった一つの真実なのであれば、しな子もまた、何者かの力により頭の中のデュオニュソスを奪われ、その反動で力を失い、誰かに命を奪われることで救われるのであろうか。
死とは、救済にはなり得ない。それくらい、しな子は分かっている。しかし、求めぬものを与えられ、求めるものを奪われるだけの生に意味があるのかどうかは分からない。
そして、しな子の力は、しな子から、大切なものさえ奪ったではないか。
答えは、ない。
ただ、暗夜の霧のような疑問と諦めだけが、漂っている。
そして、悲しみもない。
頭の中のおかしな機械のせいで、いつも、幸福と興奮をもたらす物質が駆け巡っている。
思考の海を泳ぐ暇すら、与えられぬ。
しな子の部屋、スマートフォンが震える。
任務の呼び出し。
誰も知らぬ人間を、誰にも知られず、この世から消す。
その無意味な動作をするため、彼女は、今、生を与えられている。
紺色のパーカーに短い髪、武骨なピアスにショートパンツ。伊達眼鏡も、忘れない。
丹羽しな子はまた、今夜も東京の闇を紅く染める。
まるで、その虚に明かりを灯すことを求めるように。
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