言わぬ方がよいこと
しな子の頭に埋め込まれた、開発コード・デュオニュソス。幸い、拒絶反応も出なかった。
それは、しな子の後頭部にある。気にいっていたおかっぱ頭は無惨に刈り上げられ、痛々しい包帯が巻かれている。
そのしな子の隣に、赤部はいた。布団から、少しだけ、しな子の手が出ている。その手を握ろうとして、自分にそんな資格などないことを思い、やめた。その代わりに、布団をかけ直してやり、何人もの敵を葬り去ってきたとは思えぬその白い手を中に入れてやった。
自分のために、しな子を利用したのだ。そして、自らがもたらしたデュオニュソスを移植させ、しな子を兵器にしたのだ。
マスコミや警察の眼からしな子を匿うとして被験体にされたのは赤部のせいではないにしろ、高松議員の案件で、もっと上手く立ち回っていれば、このようなことにはならなかったのではないかと、つい考えてしまう。それが逃避と自己弁護であることは分かる。
口では守ってやるなどと言いながら、どこか、しな子に甘えていたのではなかったか。
しな子の力の悲しみから眼を背け、国のため、組織のためとその力に群がり集まって利用する者と、同じことをしてはいなかったか。
考えても仕方がないことは分かっている。しかし、考えざるを得なかった。
今日は、しな子が目覚める日。街は、クリスマスムード一色である。
赤部は、軽快なクリスマスソングの届かぬ、眼を引くデコレーションの一切ない、清潔で無機質な病室で、しな子の側に座っていた。
しな子が目覚めるまで、と思い、スマートフォンのゲームをしてみるが、いつもより成績が悪い。それでも、しな子よりは、ずっとマシだった。
びっくりするくらい、不器用な女なのだ。それに、びっくりするくらい、ものを知らぬ。それが、不思議と、腹立たしくはない。それは、きっと、彼女が、自らに強いコンプレックスを抱きながらも、それに負けぬよう、いつも戦っているからであろう。
思考は、またもとの位置に戻る。
どれだけ後悔をしたところで、彼女に対する罪悪感は消えぬし、彼女の魂を救うことはできない。
赤部にできることといえば、せいぜい、しな子が目覚めたときに側にいて、済まん、と詫びて、殴られてやることくらいしかない。
そのときが、来た。電極とチューブまみれのしな子が、うっすらと眼を開けた。眠ったままだったからか、眼を開けたとき、涙が一筋、流れた。
「しな子」
赤部が、その顔を覗き込む。
「気分は、どうだ」
「平気よ」
しな子の眼が、赤部の方を向いた。
「待ってな、今、看護師を呼ぶ」
赤部が、ナースコールのスイッチを押そうとした。
「赤部さん」
しな子の弱々しい声が、赤部の動作を止めた。
「どうして、わたしに、優しくするの」
赤部はその問いに答えることができず、スイッチを押した。
すぐに、看護師と医師が駆け付けてきた。
「丹羽さん。気分は、どうですか」
「ええ、悪くないわ」
「名前を、言えますか」
「丹羽、しな子」
「起き上がれますか」
しな子は、ゆっくりと起き上がった。
「動けそうですか」
医師が質問をする間に、しな子の身体に繋がれた電極が、次々と外されてゆく。病室用の寝巻から覗く白い肌には、うっすらと痣が出来ていた。
「しな子」
点滴をしたまま、ガウンをはだけさせた状態でベッドから起き上がるしな子を、赤部は支えようとした。
「赤部さん、ごめん」
その手を、しな子は、そっと払い除けた。赤部が、身を少し竦めた。
「触らないで。ごめんなさい。今、とても、気分がいいの」
そう言うと、しな子は、医師達に連れられてどこかに行ってしまった。
しな子は、必要な検査を経たあと、部長の部屋へと連れて行かれた。医師が、しな子のバイタル・データについて部長にあれこれと説明をするが、その間、しな子は、ずっとテーブルの上の灰皿に山盛りになった吸い殻の本数を数えていた。
「丹羽君。おめでとう。君は、生まれ変わったのだよ」
部長の言葉に、ゆっくりと眼を上げた。
「生まれ変わった?」
「そうだ。君の力は、理論上、更に強くなっている」
「理論上」
実証に基づかない、仮説で求められた値。しな子の心を焼く幼き日の残り火を、数値化しているのだ。
「それを、実証する。簡単な任務だ。いいね」
否応はない。逆らえば、実験失敗として消される。
しな子は、点滴の針を引き抜いた。
これまでと同じ紅い血が、玉のように滲んだ。
「ブリーフィングを」
従った。表情はない。
心中、なにを思うのか。
およそ一週間ぶりの目覚めがもたらす目眩を抱えながら、ブリーフィングルームへと。
そこへ、赤部がやって来た。
しな子は、パイプ椅子に座って気配だけを聞いて、眼を合わせない。
赤部が着席すると、ブリーフィングが始まった。
対象は、土井紗和。デュオニュソスを取り出され、パルテノン・コーポレーションからお払い箱となった。解き放たれてはいるが、機密保持のため、消せという。
あまりに、残酷な任務。デュオニュソスを無くして力は格段に落ちたとはいえ、念象力者である。それで、しな子の新たな力を測ると言うのだ。
赤部は、思わず立ち上がりそうになった。しな子を、何だと思っているんだ。そう叫びたくなったが、ブリーフィングが終わるまで、いや、終わっても言い出せなかった。
部長が、二人の様子を、じっと眺めている。デュオニュソスの力以外にも、何かを測るように。
特別の事情がない限り、定められたパートナーを解消することはできない。念象力者の能力や名などは、最高機密であるからである。
今回のことは、その特別の事情には当たらぬらしい。ライナーノーツは、赤部をも、測ろうとしているのかもしれぬ。
二人は、断ることのできない任務を受け、地下二階のジムを通り抜けて、午後の地上に出た。
何の変哲もない目黒の街が、そこにある。一人の人間がどれだけ苦悩しようとも、街には関係がないらしい。誰もが同じような顔をして、目的の方向へ歩いている。
「赤部さん」
しな子は、その人の波を見ながら、ぽつりと言った。
「久しぶりよ、外」
やはり赤部の方を見ずに、呟いた。
「なぁ、しな子」
しな子は、歩き出した。鼻唄を歌っているから、当人の言う通り気分は良さそうである。
しかし、よく聴くと、その鼻唄は、奏太郎の、あの歌だった。赤部は胸を締め付けられるような気持ちになった。
駐車場まで歩く間、その鼻唄は続き、車のところで止まった。
「ねぇ、赤部さん」
赤部は、しな子を見た。やはり、表情はない。もともと表情の薄い女であるが、これほど何の感情も出さぬことは今までなかった。
「どうした」
「全然、悲しみがないの」
しな子の眼は、木の
「大丈夫か、しな子」
「ほんとうは、赤部さんにも、とても怒っているの。それでも、全然、腹が立たないの。奏太郎のことを思い出しても、全然、悲しくならないの」
「お前の頭に埋め込まれた、機械のせいだろう。多幸感をもたらす物質を、分泌させているんだ」
「あぁ、そう」
「なぁ、しな子」
赤部は、憔悴しきった顔で、はっきりとしな子の顔を見た。
「こんなことになって、本当に済まないと思っている。許してくれ、とは言わん。だけど――」
赤部の言葉を、しな子が遮った。
「赤部さん」
赤部の悔いた眼と、しな子の眼が合った。しな子は、困ったように眉を下げ、少し笑った。
「ドア、開けて。寒いわ」
「済まん」
赤部は、古いアルファロメオに鍵を挿し込み、ドアのロックを解除した。もう、作られてから三十年以上も走り続けている車なのに、未だに大切に修理をし、乗っている。一度、しな子がそれを何故かと尋ねたことがあった。それに、赤部は、男のロマンさ。と答えた。四角い造形と、痩せた赤い色は、好き。としな子は言った。そんなことを、何となく思い出しながら。
「音楽、流さないの」
いつもストーンズなどの古いロックミュージックがかかっている車内は、静かであった。言われて始めて、赤部がCDプレーヤーのスイッチを入れる。
そこからは、ミック・ジャガーの、悲しげな歌声が聴こえてきた。何度も車の中で聴いた曲だから、しな子も覚えている。下手な鼻唄で、そのメロディを追いかけながら、シートベルトをする。
「行きましょう」
「しな子」
しな子は、フロントガラスの向こうを見つめている。
「ごめんな」
「なに、それ」
「今から、お前は、土井紗和を殺すんだ。そんなことになったのは、俺のせいだ」
「そうね」
「悪かった。ただ、謝りたくて」
「いいのよ。わたしは、あなた達の道具。こんなことなら、あの日、父や母と一緒に、死んでいればよかった。そう思うことすら、許されないの」
「しな子」
「何のために、この力はあるのかしら。紗和は、脳がわたしを守ろうとしている、と言ったわ。でも、わたしは、この力に守られたことなんてないの」
お前は、俺が守ってやる。そう思っていても、今は、それは言ってはいけない言葉であった。
言いたくても言えない言葉と、言えるのに言ってはいけない言葉は違う。それを、赤部は痛切に感じた。
「どうでもいい。わたしは、焼けと言われたものを、焼けばいいの。わたしが誰なのかは、関係ないわ」
「しな子。そういうことを、言わないでくれ」
「毎月使いきれないほどの給料を振り込んでわたしを生かすより、火炎放射機でも買えばいいわ。そうすれば、わたしじゃなくても、もっと多く、謎の焼死体を作れるわ」
やはり、しな子の様子はおかしい。先ほどまで眠っているような顔をしていたかと思えば、これほどまでに感情を剥き出しにするのだ。
「しな子」
「やめて、名前を、呼ばないで。あなたなんて、大嫌いよ」
「嫌いでもいい。嫌いでもいいさ、だけど――」
しな子の眉が、下がった。
「だけど、何よ」
「――お前に、生きていてほしいんだ。お前が、生きていてよかったと、俺は思っているんだ」
「なに、それ。あなたが、それを言うの?」
「言うさ。これは、言ってはいけないけれど、言いたいことなんだ。お前に嫌われていても、お前がどれだけ苦しんでいても、誰かの道具になっていても、俺は、お前に、生きていてほしい。お前の言うあの日に、火に焼かれて死んでいればよかったなんて、思わない」
しな子は、戸惑っている。
「じゃあ、どうすればいいの」
金髪混じりのおかっぱ頭を掻き上げたつもりが、そこにそれはなかった。その代わり、柔らかな手触りの、短く刈り込まれた髪があるだけであった。
「俺は、決めた」
髪を触るはずであったしな子の手が、所在なげに、左耳のピアスを撫でた。
「お前を、道具のように使う
「そんなこと、できるわけない」
「どうして、そう言い切れる」
「だって、赤部さん、口ばっかりで、全然使えないじゃない」
はっきりと、分かった。しな子が、皮肉混じりの冗談を言ったのだと。赤部はそれを嬉しいと思った。
「どうせ、細かいことを聞いたって、嘘とほんとうの混ざったことしか、言わないもの」
「馬鹿。俺でも、たまには、本当のことを言うさ」
「たまには、でしょ」
「たまにだから、値打ちがあるんだ」
しな子は、また眉を下げ、はっきりと笑った。
「赤部さん」
赤部は、ちょっと緊張したような顔をした。
「なんだ」
「早く、行きましょう。紗和を、排除するの」
「いいんだな」
「えぇ。赤部さんの道具に、なってあげる。それに」
「それに?」
赤部は、ギアを入れた。ゆっくりと、車は走り出す。駐車券を取り出し、自動精算機に入れ、清算をしている間、しな子は黙っている。
きっと、言いたいけれど、言わぬ方がよいことが頭の中にあるのだろう。
二人は、ゆく。紗和を、殺しに。
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