うたう

 十二月十二日。高松議員の出席する講演会の当日。やはり、何かあるならば、そこだろう。

 しな子は、昨夜のことを赤部に伝えなければならないが、まだ言っていない。言ったところで同じであるとも思っている。

 高松議員が何を考えていようと、任務は、奏太郎を誘拐しようとする者を殺すことであること。それに変わりはない。胸の悪くなるような思いと、左肩の痛みに耐えなくてはならぬが、しな子のすべきことは、その他にはない。


 午前中に身支度をし、高松議員とその秘書二人を合わせた六人で、家を出た。品川のホテルまで、車で。高松議員は、秘書の運転するレクサス。奏太郎は、赤部のアルファロメオで。

 さすがに、子供に気を使ってか、煙草は我慢しているらしい。正義の味方に憧れたという赤部は、心底、高松議員に同情していることだろう。


 きっと、高松議員は、息子を失った悲劇のヒーローとして、名を売るつもりなのだ。その悲しみを乗り越え、それでも屈せず、志を貫く。自ら依頼した、奏太郎を害する者はしな子が殺すから、口封じの必要もない。ライナーノーツの役目は、それで終わり。あとは、それを知ったの住人どもが、高松議員の背後にはライナーノーツがあるから、迂闊に手出しはできぬ、と恐れればよい。

 しな子は、ものを知らぬだけで、頭が悪いわけではない。それくらいのことは、想像できる。その上で、高松議員が、何をしようとしているのか。それは、しな子の興味の及ばぬことであった。


 カーブの多い首都高速を降り、目的のホテルへ。会場は、二階。一時に開始。それまでの間、ホテルのレストランで、食事をする。

 赤部は、無邪気に高級なランチに舌鼓を打っている。

「肉に果物のソースなんて、滅多に食えるもんじゃないな」

「あぁ、そう」

 しな子は、憮然としている。意味深な笑顔を向けてくる高松議員がいるが、無視した。

「傷が、痛みますか。丹羽さん」

「いいえ。平気です」

「それは、よかった。奏太郎を、しっかり守ってもらわないと」

 奏太郎は、昨日の今日だから、元気がない。食事も進まないようだ。しな子は、それを見て、胸が痛んだ。

 何があろうと、奏太郎のことは、守らなければならない。任務は、必ず完遂する。それ以前に、しな子は、この無垢な命を守りたいと思った。


 開始三十分前。全員で、二階の会場へ移動した。既に、何名かが並べられた椅子に腰かけている。妙なところはない。

 主催者との打ち合わせのため、高松議員らが席を立った。その隙に、しな子は、赤部に昨夜のことを耳打ちした。

「まさか」

 と、赤部は半信半疑である。

「自作自演だというのか」

「知らない。本人が、そう言ったのよ」

「しな子、お前、落ち着いているな」

「当たり前。わたしのすることが、変わったわけじゃない」

「奏太郎君を守る、か」

 名前が出たので、奏太郎が、赤部の方を見た。それに、笑顔を返してやりながら、

「そんなことを考える人間が、いるのか。本当に」

 と続けた。

「いるわよ。わたしに不思議な力があるからと言って、籠の鳥にして、人を殺しても何とも思わないようなを施し、平然としていられる組織があるような世の中よ」

「こりゃまた、強烈な皮肉だな」

「いいえ、事実」

 開始の時間が近づいて、人が、どんどん入ってくる。大きな講演会らしい。その中で左腕を布で吊ったダウンジャケットから三本ラインの脚を覗かせるしな子は目立っていたが、気にしない。全身に気を配り、周囲の状況を観察した。

「お待たせしました」

 高松議員が、戻ってきた。

「私が、名を呼ばれます。奏太郎と共に、壇上へ。その間、あなた方も、秘書と一緒に、側へ来てほしい」

 赤部がまだ事実を知らぬと思っているのか、どうでもよいのか、高松議員は赤部にそう要請した。

「分かりました」

 とのみ赤部は答えた。

 主催者の挨拶が済み、講演会が進行する。途中で、高松議員の名が、呼ばれた。しな子が、右腕のダイバーウォッチを見ると、時刻は一時二十八分。

 スポットを浴び、会釈をしながら席を立つ高松議員と奏太郎の後に続く秘書の後ろに、しな子と赤部も続く。


 壇上で、高松議員が挨拶をし、自分が男手一人で奏太郎の面倒を見ながら国会議員として活動していることについて、有り難い話をしているその演壇の脇に、しな子は赤部と並んで立った。

 高松議員の話が、遠くなったり、近くなったりする。赤部の表情をしな子は窺ったが、赤部も妙な顔をしている。

 耳鳴り。

 強くなる。

 息も、苦しい。

 そのとき、壇の下の席の、男がにわかに立ち上がった。

 しな子は、咄嗟に、その男にを合わせた。

 奏太郎が、咳き込んだ。苦しそうである。

 男が、席から、前に出た。奏太郎に向かって、真っ直ぐに、駆ける姿勢を見せた。

 しな子の任務は、奏太郎を害する者を、殺すこと。

 それを、実行した。

 左手の、疼き。

 そして、ぱちりと、何かが爆ぜる音。

 男の上着に、火が点いた。

 瞬間。

 耳が潰れるほどの、爆発。

 高松議員も、奏太郎も、男も吹き飛ばされ、しな子と赤部のところにまで熱風が来た。

 場内が騒然となり、非常警報と共にスプリンクラーが作動する。

 その人工の雨に濡れながら、しな子は、奏太郎に駆け寄った。

「奏太郎!奏太郎!」

 抱き起こすが、上半身にひどい火傷を負っていて、息もしていない。

「赤部さん!奏太郎が!」

 同じく、ずぶ濡れになった赤部は、それには答えず、吹き飛ばされた男に駆け寄り、拳銃を向けた。男は無傷らしく、手を上げて、無抵抗の意を示した。

「あなた、それでも、人間なの」

 ぐったりとした奏太郎を抱きながら、しな子は、高松議員を睨み付けた。吹き飛ばされた高松議員は、火傷は負っているらしいが、やはり軽傷のようだ。秘書に抱き起こされ、清潔な笑顔を、しな子に向けてきた。

 人の叫びが、小さくなってゆく。皆、一目散に、我先に、逃げてゆく。小さな奏太郎を、誰も省みることなく。

「悪く思うな。お前を殺すのが、俺の任務だ」

 赤部が、三八口径を、男に向けた。

 男が、不敵に唇を歪めた。

 あの眼は、力を持っている。しな子は、そう察した。

「赤部さん!銃を使っては駄目!空気を、操っている!」

 しな子の叫びが、非常ベルの響きを押し返し、赤部の耳に届いた。赤部は、怪訝な顔をし、今まさに引こうとしていた引き金から、指を外した。

「察しがいいな。さすが、同業者だ」

 男が、眼に力を込めたまま、言った。

「お前、念象力者か」

「どう呼ぼうと、お前の勝手だ」

「そうか。分かった。さしずめ、酸素ボンベというところか、お前の力は」

「それを言い当てて、どうする。クイズ王でも目指すか」

「いいや。確かに、銃は使えぬということだけだ」

 赤部が、拳銃をスーツの下のホルスターに収めた。

「圧縮空気、か。しな子の炎で、爆炎を起こしたのか」

「そうだ」

 あっさり、男は認めた。念象力者は、その力を人に見せることを、極端に嫌う。認めたということは、赤部もしな子も、殺すつもりだということだ。

 赤部が、素手で男を取り押さえにかかる。鋭い突きも、脚も、男は受け流す。

 赤部の、左の回し蹴り。男が頭を退げ、空振りする。

 その左足が、濡れた床を踏んだ。胴体ごと軸足を回転させ、遠心力で高く脚を上げ、かかとで頭を蹴る、後蹴腿こうしゅうたいという蹴り方である。赤部は、意外に脚が長いから、こういった技には冴えが出る。

 男は避けきれず、こめかみに赤部の踵を受け、転倒した。

 すかさず、赤部が男に取りつこうとする。その赤部を、男の眼が、見た。

 赤部が、急に膝をつき、苦しみ出した。

「赤部さん!」

 しな子は、そっと奏太郎を寝かせると、駆け出した。

 こめかみを押さえながら立ち上がる男が、言った。

「酸欠さ。その男の肺の中の空気を、奪った」

「窒息させるつもり」

「そう長くは、続けられない」

 男の言う通り、赤部は、喉を押さえ、激しく呼吸をしている。

 しな子は、それを見ると、もう赤部から興味を失い、男と向き合った。

「お前、名は」

「どうでもいいわ。名前なんて」

「滅多にあることじゃないだろう。こうして、力を持つ者同士が、出会うなんて」

「関係ない」

「おい。つれないな。折角、美人なのに」

「知って、どうするの?今からあなたは、死ぬの」

 しな子の濡れたスニーカーが、床を蹴った。

 右の掌底で、男の顎を襲う。いわゆるゲンコツで顎を殴れば、歯で拳を切ることがあるから、拳打の場合、もっぱら掌底で戦う。

 男にも、素手での格闘の心得があるらしい。巧みにしな子の掌底を受け、膝蹴りを繰り出してきた。

 それを右足を上げてももで受け、左足で小さく跳躍し、膝蹴りを返した。男の右腕が下がり、受けられてしまうが、それこそしな子の技の冴え。半歩、身体を左にずらし、右腕同士を勢いよく絡め、捻り落としながら脚を払った。

 男が、あっと声を上げながら、回転して転倒する。

 腕を捉えたまま、しな子の身体が、宙に舞う。舞って、渾身の浴びせ蹴りを、倒れ込みながら、男の胴体に落とした。男の肋骨が複数本折れる感触が、脚に伝わってくる。

 そのまま、馬乗りになり、男の眉間に、上半身の体重を全て乗せた渾身の突きを食らわせ、失神させた。

「赤部さん、銃を頂戴」

 言われて、咳き込みながら戸惑う赤部のスーツの中から、しな子は拳銃をひったくると、男の方に歩いてゆき、容赦なく、頭に向けて、二発発砲した。

「しな子、お前」

 その銃を乱暴に返し、奏太郎のもとへ。

「奏太郎」

 抱き起こすが、やはり答えはない。

「いや、お見事。はじめ、若い女で、大丈夫かと思ったが、なるほど、赤部さんの言う通り、腕は確かだな」

 高松議員が、笑いながら言った。

「赤部さん、丹羽さん。これで、私からの依頼は、終了です。危険を顧みず、よくやって下さいました」

 しな子の頬に、滴が伝った。スプリンクラーは、もう止まっている。濡れた髪から伝ったものか、あるいは、涙か。

 しな子が、高松議員の方へ、ゆっくりと歩く。

「どうした、丹羽さん。もう、帰っていいぞ。傷の手当てを、よくするといい」

「あなたって人は」

「おい、俺を殺すか。任務の外で。それは、ただの殺人だぞ」

「そんなことは、しない。わたしは、自分のために、人を殺したりなんか、しない」

「いい心がけだ。そうだ。殺人は、いけないことだ。そうだろう?殺し屋」

 高松議員は、しな子や赤部が、自分に危害を加えることなどあり得ないと、たかをくくっているらしい。

「だけど、これだけは、言わせて」

 しな子の声が、震えている。

「伺いましょう」

 清潔で、歪んだ、憎むべき笑顔が、向けられた。

「下衆野郎」

 濡れた足音。強く。

 しな子は、叫んでいた。

 跳び、髪を掴む。

 それを、渾身の力で、引き寄せて。

 に、繰り返し繰り返し見せられた映画の中で、主人公が使っている、膝の蹴り。

 人を傷つけるために、作られた存在。

 そんな風に、自分のことを思いたくなどない。

 しかし、どうしても、高松議員を、許すことができない。

 怒り。

 たぶん、自分への。

 奏太郎を守ることが、できなかった。

 悲しみ。

 それは、溢れ出て。

 あるはずだった人生を理不尽に奪われることを、どうすることもできない。

 しな子は、叫んだ。

 しな子の膝が、高松議員の頬骨を割った。着地したとき、左膝に激痛が走ったが、そんなもの、知ったことではない。

「行きましょう」

 呆然とする秘書達を放ったまま、奏太郎を抱き、赤部を促し、会場を出た。

 駆けつけてきた救急隊員に奏太郎を預け、共に救急車に乗り込む。

 冷たくなってゆく手を握りながら、しな子は、ずっと、歌をうたっていた。


 奏太郎は、病院で、死亡が確認された。肺の中が焼けて、呼吸ができなくなったためらしい。

 あの男の力で引き起こされたこととは言え、しな子の炎が、奏太郎を焼いたのだ。

「奏太郎、ごめん。奏太郎」

 しな子の嗚咽は、続いた。

「お前は、奏太郎を、守ろうとしたんだ。それは、奏太郎が、一番分かっているさ。しな子」

 赤部が、しな子の背に掌をあてながら、そう言った。

 しな子は、それを無視し、ひたすら泣いて、奏太郎に詫び続けた。何度も、何度も。


 夜中になり、ようやく、少し落ち着きを取り戻したしな子は、赤部に送られて、下北沢の自宅に帰った。

「大丈夫か。明日まで、ついていてやろうか」

 しな子は、黙って、首を振った。

「いや、心配だ。お前がどう言おうと、邪魔するぞ」

「好きに、して」

 赤部はコインパーキングに車を回し、数分後、しな子の部屋に入った。

 部屋に入ると、見もしないテレビの光に、ソファに腰掛けたしな子の、おかっぱの後頭部が浮かんでいた。

 その後頭部が、また、歌を、うたっていた。

「――しな子」

 赤部が、ため息をついた。ふと見たテレビでは、今日の事件の特番報道がされていた。

 ニュースキャスターは、耳を疑うような原稿を読み上げた。

「品川で、白昼の爆発テロ。五歳児死亡。容疑者は、二十代女性」

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