疼き
東京トワイライトタウンの地下で、丹羽しな子が新たな誕生を迎えてから四年。今、しな子は、スカイツリーが間近に見える隅田川脇の河川敷公園で、冬を呼ぼうとする空気を聴き、闇の中街灯に照らされて足元に散らばって浮かぶ銀杏の葉を踏みながら歩いている。しばらくすると、池のほとりに、一人の男。しな子の足音を聴いて、待ち人がいたような様子で、歩いてくる。しかし、しな子が滲ませる影は、明らかに男が待つ者のそれではなかった。男が気付き、足を止める。
「誰だ」
何かの、取引があるらしい。なんの取引なのかは、知らない。知っても、しな子には関わりのないことだ。男は、ひどく動揺しているらしい。
「聞いて、どうするの」
しな子の声が、夜の公園を照らす街灯に揺れた。その緑っぽい光の下で、しな子の肌は、より白く見えた。
「そうか、お前。ライナーノーツか」
「物知りね」
男は、懐に手をやった。しな子は、ジャージの上着のポケットに手を入れたまま。男が拳銃を取り出しても、眉一つ動かさない。
男の指が、暴力団等がよく国内に持ち込む型の拳銃の引き金にかかる。しかし、
男は、撃てない。銃というもの自体に、慣れていないのだ。
しな子が、駆けた。星のマークの入った、どこにでもある、薄汚れたベージュのスニーカーで。
砂と銀杏の葉が、散った。
銃の射線から、身を外す。
そのまま、男の右側へ。
腕を、捉えた。
スライド部分を掌で掴み、そのまま捻り上げ、奪う。
奪って、弾倉を外す。
大外から足を払い、男の胸骨を、落とした肘で強く押す。
男が激しく転倒し、したたかに背を打ち付けるのと、しな子が外した弾倉を自ら受け取るのとが、同時だった。
しな子の驚くべき運動能力に驚きながら、何が起こったのか分からず、とにかく呼吸を取り戻そうと、男は胸を上下させている。その度に、胸に激痛が走っているはずだ。
しな子は、何も言わぬ。ただ、手にした弾倉を、男の身体の上に、放り投げた。
それを、見た。
正確には、眉間で見た。
イメージする。
あの日、自分を焼いた炎を。
瞬時に、強く。
感じる。
左腕に、今なお残る、火傷の跡が疼くのを。
漫画やアニメのキャラクターは、いつも、能力を発揮するとき、手をかざす。しかし、しな子は、それをいつも、何故だろうと思っていた。
手から、何かが出るわけがない。両の眼が合わせている焦点に繋がる線が、実はもう一つあるのだ。それが、眼の上のところ。そこが、ジリジリとした感覚になっている。その三つの線が交わる点を、しな子は標的の上に置く。
もしかしたら、しな子の両目で見た記憶を、身体に感じた熱を、標的にも、見せようとしているのかもしれない。
施設にいた頃は科学的に色々と調べられもしたが、しな子にはよく分からない。
だが、確かなことは、男の身体にぶつかり、弾んだ弾倉が激しく破裂したことである。しな子が見たというのは、その弾倉でも、弾丸でもない。その薬莢に詰め込まれた、火薬だ。男は、その暴発によって飛び散った複数の弾丸に胸を抉るようにして撃ち抜かれ、死んだ。
「終わったな。行こう」
赤部が、暗闇の中から姿を現した。
「腕を上げたな。しな子」
「ありがとう」
しな子は、無愛想だ。
「しかし、あの戦い方は、危ない。弾が、お前に向かって飛んできたら、どうするんだ」
「さあ」
「さあ、ってお前」
「あの人を、殺したわ。わたしは、死ななかった」
「そりゃ、そうだが」
しな子は、さっさと赤部が車を停めた駐車場の方へ歩き出した。
銀杏の葉を踏む、生っぽい臭いがする。それと、硝煙の臭いも。
「腹、減ったか」
「いいえ」
「そうか。何か、食って帰ろう。行きたいところは無いか」
どうせ、いつもの安い居酒屋であろう。しな子は、ちょっと意地悪な気持ちになった。
「スカイツリー」
助手席で、上着のポケットに手を入れたまま、フロントガラスの向こうにある尖ったものを顎で指した。
「なんだ。あんなのに、登りたいのか。こんな時間だ。また日を改めて——」
「嘘。言ってみただけ。いつもの居酒屋でしょ。早く車を出して。眠りたい」
力を使うと、疲労する。知識としては知っていても、力を持たぬ赤部は、それがどのような疲れなのか、知らぬのだ。それが、逆に救いでもあった。念象力者同士が組になっていたのでは、仕事などとても出来ぬであろう。
ライナーノーツでは、複数人の念象力者を抱えている。お互い、面識はない。念象力者のことは最高機密として管理されており、互いに接触することもできない。
任務の補佐、監督、そして念象力者の監視のため、必ず、能力を持たぬパートナーが付けられる。それは、警察や自衛隊などの出身者が殆どであった。赤部が、かつて機動隊にいたことがあるということを、しな子は何かの折に聞いたことがあった。
車を降りて、少し歩く。赤部は無精髭、皺だらけのスーツで一見だらしないが、意外とまめな性格で、路上駐車をせず、必ずコインパーキングに車を停める。性格もあるだろうが、違反切符を切られるというような些細なことでも、自分について探られるのを嫌っているようにも思えた。それは、組織の機密保持のためか、赤部自身のためかは、分からない。
朝五時までやっている居酒屋。夕方から零時までは、夫婦が店に立ち、そこから朝までは、看板娘として評判の
よく賑わっている店であるが、無表情にあいまいな応答をし、運ばれてきた出汁巻きを食い、カシスオレンジを飲む。しな子がするのは、それだけだった。
「やっぱり、この味だ」
赤部は、酒も飲まずに、わけのわからない肴のようなものばかり食っている。しな子が箸を伸ばそうと思うものは、出汁巻きの他は、刺身くらいのものだった。唐揚げも食べることができるが、肌が荒れる気がして、食べない。
退屈そうに赤部の食っている姿を見て、それにも飽きると、スマートフォンでゲームをする。単調で、つまらないゲームだった。
今日の任務は、焼死体を作ってはならない、というものだった。ものを焼くしか能のないしな子に、どうしろと言うのか。焼かなくてよいなら、赤部の三十八口径で、射殺すればよいではないか。
しかし、殺しは、しな子の仕事であった。赤部は拳銃の携帯こそ認められているが、不用意な発砲は禁じられている。だから、焼かずに、別の方法で殺した。
暴力団がどうのこうのと、
胸の上で拳銃の弾倉が暴発するなどあり得ぬ状況だが、警察は暴力団同士の抗争、として捜査せざるを得ないだろう。
余談だが、ライナーノーツの任務では、死体を残す場合と、残さぬ場合がある。残さぬ場合は、回収班と呼ばれる者を近くに待機させ、念象力者が仕事を終えると、すぐさまその残したものを片付ける。
今回は、あえて死体を残した。なにかの示威行為なのだろう。警察や一般の者にすれば暴力団同士の抗争でも、たとえば、今夜あの隅田川近くの公園であの男と待ち合わせをしていた者などにとっては、何よりの警告として伝わったことであろう。
依頼主も、明らかにされる場合と、されない場合があった。今回の依頼主は、匿名であった。どちらにしろ、しな子のすることは、変わらない。
だいたい、暇を持て余している。しかし、パートナーである赤部は、いつもしな子がどこに居るのかを知ることができる。支給されているスマートフォンからでもその位置は特定出来るし、また、街中の監視カメラをライナーノーツは閲覧することができるため、どこで、何をしているのかいつでも筒抜けなのだ。そのような状態で、出掛けようとも思わない。
家でテレビを見ているか、好きなバンドの音楽を聴くか、飽きれば昼寝をして、ジムに向かって身体を鍛えたりし、それにも飽きれば、帰ってまた眠った。
仕事の電話が入ったときだけ、赤部は迎えに来て、本部でブリーフィングを受け、仕事を済ませる。帰りに寄るのが、この居酒屋。仕事があろうが無かろうが、毎日、退屈であった。給料は、手渡し。同年代の女性が手にするものより、いや、ちょっとした上場企業の管理職などよりも多い。しかし、使い道など無かった。
退屈である。しかし、このところ、微妙に仕事が多くなっている。
することが生じるのは悪くないが、たまに、自分が何をしているのか、分からなくなるときがある。
なんのために、人を殺すのか。
なんのために、この力があるのか。
なんのために、生きているのか。
また、左腕が、少し疼いた。しな子は、早くあの無機質で温もりのない部屋に帰りたいと思った。
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