5. "Why" reason do you?
寒月に指摘されて、私はようやく自分が凶器を握りしめたままになっていることに気がついた。そういえば私は、これで田淵を絞め殺す寸前までいったのだった。寒月が割って入ってくれなければどうなっていたか。たぶん成功はしなかっただろう。けれど、追い詰められていたとはいえ人を傷つけていたかもしれないと思うとうすら寒いものがこみあげてきて、私は半ば投げ捨てるように机の上に凶器のイヤホンを置いた。
「エマ、その凶器がどこから来たかわかるか? 私にはわかる」
「え? それはいったい……」
寒月は勝ち誇った口調で私に言い放った。でも田淵へ言ったときとは違って相手を馬鹿にする響きはない。どちらかというと自分の推理を見せびらかそうとする子供のような言い方だ。
「なに、別に難しいことじゃないさ。そのイヤホンをよーく見てみればすぐにわかる」
「よく見てみれば……」
寒月に言われて、私は凶器をしっかりと観察してみる。イヤホンはさっき気づいたようになぜか片耳しかついていない。それは壊れたり断線したりしてそうなったわけじゃなくて、元からそういう品物だったようだ。線は細く、イヤホンジャックも心なしか私の知っているイヤホンに比べて小さい気がする。
けれど私には、それがどこから持ってこられたものなのか見当もつかない。片耳用のイヤホンなんてどこで使われてるのだろう。
「……すいません。わからないです」
「そうか。まぁいいや」
私がそういうと、寒月は別段がっかりした風でもなく言った。彼女はそのまま、教室に放置されたままになっていた私の鞄を指さす。
「エマ、電子辞書持ってるか?」
「電子辞書って……あっ!」
寒月の指摘で、私はついに凶器の出所に思い至る。鞄を探ると、確かにあった。入学する直前に買ってもらったばかりの電子辞書。確かこの中にはイヤホンが備えつけられていたはずだ。
私は取り出した電子辞書を机に置くと、カバーを開いて中を探る。内ポケットにはビニール袋に入ったまま使われていないイヤホンがしまい込まれていた。コードを束ねている針金すら外されていない、新品同然のイヤホンだ。
「片耳でジャックの小さいイヤホンって言ったら、まずそれが思いつくだろう。英語の発音とかを聞くための、付属品のイヤホンだ。あいつらふんぞり返ってるけど案外馬鹿だから気づかなかったんだろうな」
寒月は独り言のように呟いた。電子辞書にイヤホンが二本も三本もついているということはまずない。つまり現場へイヤホンを放置した犯人の電子辞書にはこれがついていないはず。逆に言えば?
「えっと、私の電子辞書からイヤホンが出てきたってことは……つまり私は犯人じゃない?」
「おいおいしっかりしてくれよ? 自分が人を殺したのかもよくわからなくなっちまったのか?」
「す、すいません……」
私の発言に流石に呆れたのか、寒月が肩をすくめて言った。それもそうだ。トリックの怪しいミステリーじゃあるまいに、私が記憶のないうちに人を殺したなんてことは起きないはずだ。
でも私が犯人じゃないという決定的な証拠の登場に希望が見えてきたのも事実。
「あっ、でもこれを生徒会警察に見せれば、私の疑いが晴れますよね?」
「それはちょっと難しいんじゃないか? イヤホンなんて事件と関係なくどこかに無くすことだってあるだろうし、裏を返せばイヤホンだけ余分に調達することも難しくない。たまたま机に入ってたものを使ったという可能性だって否定できないだろうしな」
「そうですよね……」
寒月はきつい口調ではないながらも、私の甘い見通しはバッサリと容赦なく切り捨てた。諭すような言い方をしているぶん、かえって自分の愚昧さをまざまざと見せつけられてへこむかもしれない。
私にかかっているのは、証拠一つで晴らせるような疑いではないのだろう。そう思うと、やはり本当に無罪を証明できるのかという気にもなってくる。
「まぁでも一歩前進だな。悪くはない」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、寒月はからっとした態度で言い切る。彼女にはすでに物事の全体が見通せているような素振りだ。彼女の自信はどこから湧いて出るのだろう。
私は思い切って、最初から気になっていたことを聞いていることにした。
「あの、先輩」
「なんだ?」
「なんで……私のことを助けてくれたんですか?」
「……あぁ、そんなことか」
私の質問に、寒月は片眉を上げてにやりと笑った。ようやくそのことを聞いてくれたか、と顔に思い切り書いている。
寒月はもったいつけたように口を開いた。
「理由は二つだ。一つ、私は間違ってることを偉そうに言うやつが大嫌いだから、そいつらを邪魔して馬鹿にすることに快感を覚えるんだ。それが最大の理由」
「あぁ……」
寒月が満面の笑みで言った言葉は、なんとなくわかると思った。田淵をコケにする寒月は本当に楽しそうだった。今日日子供を遊園地に連れて行ってもあそこまではしゃがないと思う。
「……二つ目の理由は?」
「お前が殺人者には見えなかったから」
二つ目の理由を、寒月は今度はニコリともせずに言った。愉快そうな表情は瞬間的に真面目なものに取って代わった。少し間があって「なーんてな、冗談だよ」と言うのではないかと待ってみたが、そうはならなかった。
「……どうしてそう思うんですか? 私が実は嘘をついていて、本当はこの人を殺したかもしれないのに……」
「お前は自分のことを信じてほしいのか信じてほしくないのかどっちなんだ?」
寒月は真面目な表情を崩して、また呆れ顔になった。彼女の言うことはもっともだけど、私にとっては意外で、不思議な評価だったのだ。箸の使い方を知らなさそう(実際はナイフやフォークよりも使いこなす)とか、紅茶が好きそう(なんか酸っぱいから本当は紅茶は好きじゃない)とか言われたことは無数にあったけど、殺人犯ではなさそうと言われたことはなかった。
ふつう誰だって言われないと思うけど。
「信じては、ほしいですけど……でもどうして私のことを信じてくれるのかは、やっぱり気になってしまって……」
「そうだな、しいて理由を上げるとすればあれかな……」
私の問いを茶化すでもなく、寒月は真剣な顔をして考える。第一印象といま目の前にいる彼女の印象がちぐはぐに見えるけど、私のくだらない質問に真摯に答えてくれるのは素直に嬉しかった。
「エマお前、今日廊下で私とすれ違っただろ? それが私たちの初対面だったはずだ」
「はい、確かにそうですけど……」
「あのとき私をじろじろと見なかったな。それでお前を信じる理由には十分だ」
端から見るとあまり答えになっていないように聞こえるけど、私の胸にはすとんと落ちた。ちゃんと納得できた。
電動車椅子。きっとこの人も人とすれ違うたびに、哀れみか、同情か、軽蔑か、警戒か、どういう類のものであれ好奇の視線に晒されてきたのだろう。
それは一瞬の出来事で、気にしないと心に決めてしまえば受け流して毎日を過ごせる程度のものだ。体が傷ついたり、怖い思いをするようなことじゃない。大したことじゃない。
けれど、その視線が体を撫でるたびに、ほんの少しだけど、体積にすれば肉眼で見えない程度かもしれないけど、心は削られていっているのだ。じりじりと、じわじわと。水滴が岩を穿つように、波が陸地を後退させるように、年単位で緩やかに。
そんな視線に彼女は、いや私たちは苦しめられてきた。本当は。
だから私はそれを、ほかの人にはしないことに決めた。
微々たることであっても、その視線で誰かを傷つけたくはないから。
それができる人は、そんなちょっとのことに気を遣える人は、信頼に足りる。
寒月縁はそう考えたのだろう。
「ま、実際には生徒会警察に泡を吹かせたいっていうのが一番の動機だからな。お前はあんまり私に恐縮したり恩を感じなくてもいいぞ。むしろいい迷惑だとでも思っておいてくれ」
寒月はまたおどけた口調に戻って言葉を続けた。少し照れ隠しの響きがこもっている気がするのは、私の幻想だろうか。
「いえ、ありがたいです、寒月先輩……私を助けてくれてありがとうございます」
「ふん、どうしても私に感謝したいなら止めはしないけどな。有難がられるのは悪い気しないし」
私が寒月へ礼を言うと、彼女は髪の毛の先を弄り回しながら応じた。やっぱり明らかに照れているように見える。ポーカーフェイスが得意というタイプじゃないようだ。寒月は私に顔を見られていることに気づくと、誤魔化すように車椅子を旋回させてそっぽを向いてしまった。
「よし、それじゃあ作戦会議といくか。あの馬鹿どもをぐうの音も出ないくらいに叩きのめす方法を考えよう……まず、この事件を解決する方法が二つある」
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