4. little "purple" cells
「……寒月、てめぇか!」
傲慢ながらも一応の礼儀を保っていた田淵の声が、外面をかなぐり捨てた。私が田淵の後ろから恐る恐るのぞき込むと、そこには車椅子に座る女子生徒が堂々たる風格で存在していた。
さっきの車椅子の人だった。廊下で見たつまらなそうな顔はどこへやら。新しい玩具を買ってもらった子供のように満面の笑み、しかし全身全霊の悪意に満ちた笑みを浮かべて田淵を見据えている。その姿は女王がごとし。足を高々と組んでいないのがかえって不自然なくらいだ。
廊下で生徒会警察に囲まれている女子生徒は、その状況を楽しんでいると全身でアピールしながら言葉を続ける。
「田淵ぃ、お前の首から上は飾りかぁ? 飾りだったらもうちょっとかっこいいのをお母さんに頼むんだったな! いやそれはむしろ親のせいなのかな? だったら私がいい整形外科クリニックを紹介してやろう。なに遠慮するな、こんな境遇だから私には医者の知り合いが大勢いてね。ついでだから脳神経外科も教えてやろうか? 最近はいい薬も出ているし簡単にお前の頭もよくなるかもしれんぞ。いやいい時代に生まれたものだなお互い!」
「す……」
すごい。というのが第一印象だった。なんでこの人はこんなにスムーズに人を馬鹿にする言葉が出てくるのだろうか。人数でも体格でも勝っているはずの田淵は、しかし寒月と呼ばれた生徒の罵詈雑言に肩を震わせるだけだった。
なんとなくわかる気がする。下手なことを言うと三十倍くらいになって返ってきそうなのだ。怒りをこらえ言い返さないのはむしろ賢い選択なのだと思う。
「寒月お前……俺の推理のどこがバカだって……」
田淵は絞り出すような声で言い返した。寒月はその返答を待ってましたとばかりに小さな胸を張り、あからさまに田淵を見下す。位置関係的には見上げているにもかかわらずだ。
「そうだなぁ……穴がありすぎてどこへ突っ込んだらいいか迷うなぁ……あぁいやらしい意味じゃないぞ。そもそも私には突っ込むための棒がないしな、がはは!」
セクハラ親父かお前は、というツッコミが喉元まで出かかって私はそれを必死に飲み込んだ。もしかしたら私の救世主になってくれるかもしれないのだ、彼女は。口をはさむようなことをしたくなかった。
「まず……お前らは重大な見落としをしているぞ。そんなんでよく生徒会警察なんて名乗れたもんだ。私なら恥ずかしくてここから走って逃げるところだ。まあ走れないんだけど……何の話だっけ? そう見落としだ。お前らは大事なことを忘れてる。おいそこの……名前がわからん! とりあえず容疑者一号!」
「は、はい!?」
輪の外側で話を聞くつもりが、寒月に突如呼ばれ私は姿勢を正した。ほかの全員の視線もこちらへ再び集まる。
「容疑者一号、名前は?」
「え、エマ・オールドマンですけど……」
「そうか。いい名前だ。外国人の名前はよく知らないが……一つ聞きたい、エマ」
「はい……」
寒月は全員の注意が私へ向くまで、適当に喋って間をつなぐ。そうして少し時間を取ってから、重要な本題を切り出した。
「その凶器はどこから持ってきた?」
「え、えっと……」
私は手に握っている凶器を見下ろす。田淵以下もそれに続いた。今更なんで私が凶器を手にしているのか尋ねてくる人はいなかったのが幸いだ。
よく見ると凶器はコードというよりも、イヤホンだった。なぜか片耳だけしかないイヤホン。細く絞殺には少々心もとない気もするが、でも人を絞め殺すには十分な強度はある。
で、これをどこから持ってきたかって?
「あの、知りません……」
「だろうなぁ! 犯人じゃないエマが知るわけがない!」
「ちょっと待って! 犯人がここから凶器を持ってきましたなんて言うと思う?」
寒月の大声に、伊藤が負けじと声を張って応戦する。しかし寒月は一切動じず、小さい体のどこにそんな声量を発する器官があるのか不思議になるくらいの声量で言い返した。
「確かにそうだ! もしエマが犯人なら正直に言うはずがない! じゃあ逆に聞くが……お前ら生徒会警察はそれがどこからやってきたのか知ってるのか?」
寒月の言葉に、生徒会警察の面々が一斉に顔を見合わせる。首が左右に振られ、視線がきょろきょろ泳ぐ。そんな静かな混乱が落ち着いたころには、全員の目は田淵へ注がれていた。
「……それは、あとでこの容疑者に聞こうと思ってたんだよ……」
「負け惜しみご苦労」
田淵は寒月にバッサリと切り伏せられ、押し黙った。捜査の不備自体は確固たるものであり、反論の余地がない。
私は田淵が口を閉じる様子を、信じられないという心持ちで眺めていた。さっきまで私の人生はどん底へ沈む寸前だった。なのにいまはどうだろう。突然現れたなんだかよくわからない車椅子の少女にあっさりひっくり返された。上から下へ、下から上へ。急激な上下運動に頭がついていかない。
「お前らにこの事件は無理だよ。わかったらちゃっちゃと現場から消えて私にバトンを渡すことだな」
「てめぇ……いい加減にっ!」
「何の騒ぎですか?」
田淵が寒月に掴みかかるんじゃないかという勢いで彼女へ突っ込もうとする寸前、また新しい声が私たちの輪へ割って入った。全員の視線が今度は輪の外にいる声の主へ向けられる。
四月に体育館で見た、あの小役人へ。
「管理官……帰ったんじゃ……」
「事件が起きれば学校へ戻されます。そういう仕事ですから」
突然の上司(のような立場なのだろう)の来訪に田淵が目に見えてしどろもどろになる。寒月に言い負かされたときよりも狼狽しているように見えた。一方の管理官は、ひどく落ち着いた、というよりは世界すべてに関心を払っていないようなテンションでその場に突っ立っていた。
「もう一度聞きますが、何の騒ぎですか?」
「おー丁度いいところに管理官殿。いままさに生徒会警察諸君の推理の欠陥を懇切丁寧に説明していたところであります」
田淵が口を開くよりも先に寒月がしゃべり始める。明らかに人を小馬鹿にした態度だったけど、管理官はそれにも全く反応しない。
「本当ですか? 田淵君」
「あっと……いや違います! こいつが俺たちにいちゃもんをつけてきただけで……」
「でも危うく誤った人間を犯人にするところだった、だろ?」
田淵の弁明に寒月が重ねて言った。それでおおむね状況を把握したのか、管理官は軽く頷いて「そうですか」とだけ言う。
「か、管理官? こんな奴の言うことを信じないでくださいよ? 犯人はそこの金髪……エマ・オールドマンで決まりなんですから?」
「いや違うな。真犯人はほかにいる。こんな奴の不正解で真犯人に一億円なんて私は納得しないからな」
田淵の訴えに寒月が食って掛かる。管理官というのがどういう立場の人なのか私にはよくわからないけど、寒月もわりあい必死に口を挟んでいるように見えることから、この事件の捜査にとってそれなりに重要な人物なのだろうと想像できた。
「……そうですか」
管理官はもう一度そう言って、少し視線を下げた。そしてすぐに、今度は視線を上げて軽く上の方を見て口を開いた。
「寒月さん、あなたは真犯人がだれかわかっているのですか?」
「管理官!」
「あたりはついてる。確証を得る時間が少しでいいからほしい」
田淵の悲痛な声を封殺して、寒月が宣言した。あたりがついている? 彼女はさっきまで現場にすらいなかったのに? この状況を自分の望む方向へ進めるためのはったりだろうか。
「何日あればわかりそうですか?」
「一日あればいいだろう。明日同じ時間同じ場所でお披露目といこう」
「あ、明日ぁっ!」
寒月の思いもよらない発言に、ついに私は大声を上げて驚いてしまった。寒月と管理官以外の全員の視線が私を突き刺す。管理官はというと、私の奇声にすら全く動じず寒月を見据えているだけだった。この人は人生で驚いたことがあるのだろうか。
「いいんですか? 捜査期間は二週間もありますが」
「いらないな。わかりきったことを改めて確認するだけだ、一日で十分」
寒月は自信たっぷりに返答し、漢字ノート一ページくらいの課題をこなすような軽さで超短期間の捜査を請け負ってしまった。実際には夏休み三回分の課題を一日で片づけるような無理難題であるはずなのに。
「そうですか。では田淵君、帰りましょう」
「……覚えてろよ車椅子」
「バイバイ、ウスラトンカチ」
悔しさを全身ににじませ捨て台詞を吐く田淵へ、寒月は追い打ちをかける。管理官と田淵の撤収に合わせて、ほかの生徒会警察の面々の三々五々散っていった。管理官もリーダーもいない状態で捜査をするほど熱心というわけでもないのだろうか。
しばらくすると、補修教室の前には私と寒月だけが取り残された。教室内の、現場保存のためにシートを被せられた死体を含めれば三人か。六月とはいえまだ暑くはないし、ここ数日は雨のせいで寒いくらいなのですぐに腐敗することはないだろうけど、何も残すことはないと思う。
「エマ」
「は、はいっ?」
ぼけっと突っ立っていると、寒月に声をかけられてしまった。さっきまでのけんか腰の口調が印象に残ってしまっていて、ついつい体が強張る。それを見た寒月は呆れたように、それでも優しく笑った。
「別に取って食ったりはしないよ。すぐに下校時間になるだろうけど、中に入って話そう。聞きたいこともある」
「あぁ、わかりました……」
寒月は私にそう言うと、電動車椅子を操って教室の中へ入っていく。車椅子にはそこそこ馬力があるのか、車輪は入り口の段差をあっさり乗り越える。私はそれに続いて補修教室へ入り、でたらめに放り出されていた椅子の一つに座る。
「さて、と……改めて自己紹介といこうかな。私は
「よ、よろしくお願いします……」
田淵たちとやりあっていたときのエキセントリックなテンションはどこへやら。あまりにもあっさりした自己紹介に私は拍子抜けして、とりあえずお辞儀した。
「じゃあとりあえず……その凶器はもう離したらどうだ?」
「……あっ」
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