2. A "short" time ago

 それは突然やってきた。

 入学式の翌日のことだったと思う。

 政府のグローバル教育なんちゃらの方針で英語の先生に外国人を雇うことになったとか、野球部が関西大会に行くことになりましたなどというつまらないお話がようやく終わり、立ちっぱなしの全校集会からようやく解放されるぞという高揚感が体育館のフロアを支配し始めた頃だった。

 それはいきなりやってきた。

 厚生労働省の何とかという名前の人が壇上に立った。

 そして政府はいま、ゆとり教育からの脱却のためにいろいろなプロジェクトを進めているとかなんと話し始めた。

 ようやく終わると思った集会が延長し、うだつの上がらない小役人のひどく退屈な話を聞かされた生徒たちのフラストレーションは溜まる一方だった。

 そうした帰結として、フロアを今度はざわめきが支配した。雑談、愚痴。今日学校終わりにどこ行くかというどうでもいい話。

 けれどそれは不意にやってきた。



 その一言でみんな黙った。

 水を打ったように静かになった。

 小役人は説明を続ける。

「指示待ち人間と化したゆとり世代の自主性を涵養するため、完全犯罪の計画と実行に挑戦してもらうことになりました」

「名付けてマーダー・チャレンジ・プロジェクト。正式な略称はMCPです」

「この蕨野高校はMCP実験校に選ばれました」

 茫然自失。

 この瞬間の体育館を映像に残して、その言葉の典型例として国会図書館とかに永久保存してほしかった。

「ルールは簡単。人を殺して、二週間の捜査期間のうちに犯人だとばれなければ勝利です」

「殺人はもちろん、捜査も皆さんにしてもらいます。警察は介入しません」

「勝利した犯人は罪を免責され、報酬金として一億円支払われます」

「敗北した場合は通常の事件同様、刑事裁判で裁かれ実刑を受けることとなります」

 ちょうど入学初日に、担任教師が学校のルールや仕組みを説明したときと同じような口調で、小役人は説明する。

「細かいルールは教室に帰ってからお配りする冊子でご確認ください。質問があれば問い合わせ窓口へ。ただし捜査にかかわる質問にはお答えできません」

 確かこのあたりで、ふざけるな! みたいな声が上がったと思う。

 それを皮切りに次々と、抗議の声が上がった。

「こんなの許されるか!」「頭おかしいのか?」「教育委員会に訴えてやる」等々。

 けれど気の強くなさそうな小役人は、その印象に反して一切動じなかった。

 職務に愚直なほど忠実、という意味では印象通りかもしれないけど。

 ともかく、小役人はたった一言で私たちの不満を封じ込めたのだった。

 この一言は彼の説明の中でも、一番よく覚えている。

「これは皆さんの親が投票した政権によって決められた方針です。だからどこへ訴えても意味がありません。この教育プログラムは国民の総意だからです」

 いや。

 私の親はイギリス国籍で、だから選挙権もなかったんだけど。

 ……と言える雰囲気では全くなかった。政治に無関心で愚昧な高校生を黙らせるには、この一連の言葉で十分だったのだ。

「とはいえ、口で説明されてもわからないと思います。習うより慣れよとも言いますし」

 小役人の言葉に合わせて、舞台上のスクリーンが降りてくる。照明が絞られフロアが暗くなる。それに比例して、生徒たちの間に不安が膨らんでいく。泣き出しそうな子もいる。知らない国に何の準備もなく放り出されたような気分になって、私は立ち尽くすしかできなかった。

「では……早速最初の事件です」

 ここでやっと、私は普段一緒にいる友達がそばにいないことに気がついた。中学から一緒で、数少ない友達だったのに。親友といえる存在だったのに。なんでいままで思いいらなかったんだろう。月並みな言葉を使うなら、いるのが当たり前になっていたからだろうか。

 この学校はもう安全じゃない。明日は何が起こるかわからない、未知の世界になった。でも一つだけはっきり言えることがあった。

 私はこのことを、一生後悔するだろう。たったの数瞬とはいえ親友の存在を失念していたことを、いつ終わるかもしれない人生で、一日も欠かさずに後悔するだろう。

「皆さん頑張って解決してください。彼女を殺した犯人は誰でしょう?」

 スクリーンに映し出されたのは、親友の惨殺死体だった。


 目が覚めた。

 起き上がるとまず、教室にばらばらと配置された机が目についた。どうやらさっきの補修教室らしい。

 あれ、なんでここで寝てるんだっけと間抜けなことを考えていると、鼻へ不快な臭いがたどり着いた。胃袋から酸っぱいものがこみ上げ、危うく吐き出しそうになる。

 そうだった。

 私、死体を見たんだ。

 人生二回目の他殺体だ。

「おい、起きたぞ」

 男子生徒の声が私を暗い記憶から連れ戻した。よく見ると補修教室を何人かの生徒がせわしなく行き来している。

 ぼんやりとその往来を眺めていると、さっき声を上げたのとは違う男子生徒が私に近づいてきた。大柄でがっしりとしている。彼は融通の利かなさそうな目でこちらを見下ろす。

「生徒会警察の田淵だ。第一発見者はお前でいいな?」

 田淵と名乗った生徒は随分と横柄な口調で尋ねてきた。でもその態度に腹を立てる気力もない私は、黙って頷くだけだった。

 いま補修教室の中にいる生徒は全員、緑の腕章をつけている。彼らは生徒会警察という委員会……のようなものの構成員だ。私はMCPにあまりかかわっていないからよくわからないのだけど、最初の事件のときには我こそはという生徒が現場に大挙して押し寄せ捜査どころではなかったという話を聞いたことがある。それを統制し効率的に捜査するために作られたのが生徒会警察。そういう触れ込みもちらりと聞いたことがあるけど、実物ははじめてお目にかかる。というかそんなに頻繁に見てたまるか。

「よし、立て」

 田淵は私へ有無を言わさない強い口調で命令する。まだ気分が悪く寝ていたかったが、彼に逆らうのも面倒なので黙って従った。私が立ち上がると、田淵は顎で促して私を死体のそばにまで来させた。

 改めて死体を眺める。見たことのない男子生徒だ。彼には悪いけど、顔見知りじゃなくてほっとした。首には赤く長細い跡が痛々しく残っている。そばには電源コードのようなものが転がっていた。素人でもコードによる窒息が死因だとわかる。目は大きく見開かれ、驚愕の表情が張りついていた。何に驚いたのだろうか。早すぎる自身の死か、それとも自分を殺した人間の裏切りか。

「知ってる顔か?」

「……いえ」

 田淵に聞かれて、私は首を横へ振る。彼は私の顔をじろじろと見つめてきているようだった。そんなに私の顔が珍しいのだろうか。死体の方がよほどレアだと思うのだけど。

「お前、名前は? 何年何組だ」

「エマです。エマ・オールドマン。一年五組の」

「オールドマン?」

 私の名前を聞くと、田淵は怪訝そうな顔をする。オールドマンは単なる苗字だけど、オールドでもマンでもない私が名乗ると奇妙に聞こえるらしい。だからあまり自己紹介は好きじゃない。

「帰りのホームルームが終わったあと何してた?」

「えっと、英語の補修をこの教室で。あとは帰ろうとして、でも傘をどこかに置き忘れたことに気がついて探していました。一年五組の教室になかったから、ここかなって思って戻ってきたら死体を見つけて……」

 質問攻めが億劫で、私はここに至る経緯までを一気に説明した。傘さえ忘れなければ私はいまごろ家に帰っていただろうか。帰宅と死体発見では天地ほどの開きがある。最悪だ。

「よし……なるほど……」

 田淵は私の説明に満足したらしく、私の顔を睨みつけるのをやめた。そして振り返り、同僚と思しき男子生徒へ向けて一言言い放った。

「わかったぞ、こいつが犯人だ」

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