8-32

 夜が明け店じまいも終わった頃、クロウは相部屋のシーナにカールスの部屋で見た借用書のあらましを書き写していた。

 クロウとシーナはふたりだけの相部屋をあてがわれているので、とりあえずは誰かが入ってくる心配はない。クロウは自分のベッドの上に書類の写しを広げた。


 ブリキのカップに注いだ出がらしのレモンティーをすすりながらシーナが渋い顔をする。

「思った以上にひどいねこりゃあ……。」


「どういうことになってるわけ?」

 とクロウが訊ねる。


「アタイらの稼ぎから毎回、借金ってことで毎回ピンはねされてる」


「それはさっき聞いたけど……。」


「ああ。でもね、ピンハネはしてるんだけど、利息分を返すまでにとどめてるんだよ」

 シーナが眉間に深くしわを寄せながら、ペンで即席の借用書の写しを叩く。

「タチが悪いのは、アタイらが借金を全部返せないように、ある程度稼いでいないようにその日の売り上げを誤魔化してることだよ。アンタがオークの客を取った売上の一部が、他のコの売り上げに回されちゃってる。だからアタイらがいくら働いても、利息のせいで借金が返し終わらない、もしくは返し終わるまでの働かされる期間が伸びてるのさ」


「何てこと……。」


「ふざけやがって。あの強欲ジジイとんでもないことしてやがる」


「皆に言わないとっ」


「皆って?」


「そりゃあアリアとかメグとか……。」


「聞いた話だけど、アリアはカールスのジジイに特別扱いを受けてるからね。どう取り入ったかは知らないけれど、あの人、アタイらの側だと思わないほうがいいよ。今回のことをどう知ったのか何て訊かれたら、カールスに告げ口するかも」


「それじゃあアリア以外は……。」


「どうだろうね……。あのオークが来た日、アンタ籤を引いたの覚えてるでしょ」


「ええ……。」


「あの籤、言いたかないけどあの二人が仕組んでた可能性だってある」


 クロウはまさかと言いそうになったが、確かにあの時の二人の挙動はおかしかった節がある。もしかしてとは思ったが、その違和感を感じていたのはクロウだけではなかったようだ。


「じゃあどうすれば?」


「ねぇ、アタイだって何もこんな所で一生終えるつもりはないんだよ。前に話したアタイの客知ってるだろ? 法律家志望の」


「ああ、ゴールドバーグって人ね」


「そう。あの人はアタイら娼婦っていうか、女の味方なんだよ。暴力じゃあどうしよもないけど、法律でカールスのやってることが悪いってことが証明できれば、あの人に協力してもらえるよっ」

 希望に満ちた目でシーナは言う。だが、クロウは一度だけ会っただけだったが、その男に希望を託すのは心もとなかった。

 クロウにとって、そのゴールドバーグという男はどこか存在が希薄で、そこまで頼りにできるという確信がなかった。

「今月になってまだ来てないから、そろそろ来る頃なんじゃないかなっ」


「求める者は好機を知るってことかしら」


「アトラディウスだね」

 と、シーナが得意げに言う。


「私よ」



 翌日、娼婦の控室で本を読んでいたクロウに、接客を終えたシーナが冷めやらぬ興奮を抑えながら話しかけてきた。

「クロウ、アタイがさっきとってた客、誰だったか分かる?」


「見当もつかないわね」


「ちょっと……。」


「冗談よ。来たのね、が」

 と、クロウも周りを気にしながら言う。


「そうっ。借用書のこととかいろいろ相談したんだけど、やっぱりカールスがやってることは違法らしくって。だいたい、借金のカタに人を売り買いすること自体いけないらしいんだけど、あの借用書をネタにすればカールスに一泡吹かせられるどころか、アタイらも自由になれるかもって」


「……そう」


「どうしたの?」


「ううん。ところでそのことを話してた時、彼どんな顔してた?」


「顔? 別に、少し戸惑ってたくらいだけど。そりゃあ、こんな大事おおごとを打ち明けられりゃあね。それがどうしたの?」


「いいえ、別に大したことじゃないんだけど……。」


 胸を躍らせるシーナと違い、クロウには妙な胸騒ぎがあった。そろそろシーナは気づくだろうか、それとも偶然の一致だと思うだろうか。

 ゴールドバーグという名前が、アトラディウスの戯曲に出てくる世捨て人となった賢者の名前だということに。

 娼館に風の噂で、ゴールドバーグが流行病にかかった、父親に娼館通いを咎められていると囁かれるようになったのは、それから間もなくの事だった。

 想い人が気がかりで仕方のないシーナは、それからというものことあるごとに気が抜けたような表情を見せるようになった。

 クロウはそんなシーナがあの男の事を、損得を抜きにして惚れていたのだと知り、彼女に計画の事を相談するのは不躾だと遠慮するようになっていた。

 もうすぐカールスの言っていた月末になる。しかし、カールスの事だから既に細工なり誤魔化しをする算段は立てているはずだ。クロウは借金の件にどう対応すればいいか考えあぐねいていた。

 クロウが開店前にアリアに頼みごとをされたのはちょうどそんな時だった。


「クロウとシーナ。悪いけど買い出しを手伝ってくれないかしら?」


「買い出し?」


「そう。買い物が今日は多くて、バリーもカールスさんの手伝いがあるから一人じゃあ大変なのよ。あなた達も気晴らしになるでしょ?」



 クロウたちは、娼館の唯一の乗り物である農作業用の荷馬車に乗り、鉱山のふもとにある町まで下りて行った。

 透き通るように清々しい冬の空の下、木々は完全に葉を落とし、馬車がその木々の落ち葉や小枝を踏み砕く音が静かに響いていた。

 町に到着すると、アリアはメモ書きを確認しながら露店や商店を歩き回った。

 鉱山の谷間にできた町は、クロウが以前にいた場所ほど華やかではなかった。しかし、労働者たちの不満を溜めないよう物資はしっかりと流通していて、探そうと思えばマルベリーが吸っているような阿片ですら手に入れることができた。扱う人間も法外であるならば、流れてくる品も法外のものだった。

 そしてアリアは屋台や商店で品物を購入しながら、これはメグの、これはエミリオの、と二人に逐一品物の説明をする。

 娼館で使うものは、食料といった生活必需品は商店から配達されていた。しかし、娼婦用の煙草といった嗜好品は一度に仕入れる事が出来ないので、時折こうして誰かが買い出しに行かなければならなかった。


 メモに書かれた品を買い終えたアリアが、軽食を売っている屋台を見て言う。「さて、買い物も終わったし、お茶でもしない?」

 

 クロウとシーナは顔を見合わせてから肩をすくめて微笑んだ。

 シーナは単純に微笑んだだけだったが、クロウは久しぶりの同期の笑顔に少しの安堵を覚えていた。

 アリアはミルクティーを、シーナは出がらしではないレモンティーを、クロウはコーヒーをそれぞれ頼んだ。

 前日の雨で地面がぬかるみところどころ水たまりができていたので、スカートが汚れないように立ち位置に注意しながら三人はカップに口につける。


 シーナが言う。

「砂糖も何も入れないの?」


「コーヒーは香りを楽しむものでしょう?」


 シーナが相変わらずスカしてんねぇと笑ったと思いきや、彼女は突然真顔になって遠くを見た。


「……どうしたの?」

 と、クロウはシーナの視線の先を見た。

「……あ」


 そこには、若く身なりの良い女性と買い物に興じるゴールドバーグの姿があった。その男の様子からは、少なくとも流行病を患っている様子はなかった。

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