8-31
翌日の昼、外では冷たい冬の雨が降っていた。クロウは寒さで痛む足を引きずりながら、カールスの部屋に入っていった。
カールスは無事だったクロウに安堵するよりも、何か少し恐るように彼女を見た。
「おお、クロウ。どうだ調子は?」
「すこぶる良いわ」
「そ、そうか。じゃあ今日から早速……。」
「冗談が通じないの?」
カールスはようやくいつもどおりの顔になった。
「減らず口をたたけるなら大丈夫のようだな。ええ? 一体何の用なんだ?」
「ええ、あの時の料金、全部もらえるって約束だったし、ここに来て結構稼いだはずだから、どれくらい借金を返し終わったのかなって確認しに来たの」
「まだ完済になってないぞ」
「どれくらいって言ったでしょ? 話し聞いてる?」
クロウは腕を組んだ。
「相変わらずひとこと多い女だ。俺は今忙しいんだ、暇なときにしろ」
「これ以上暇になれそうにないのに?」
「お前……。」
カールスが前のめりになる。
「私たちが身を削って男たちの相手をしている間に、そこでふんぞり返ってるだけじゃない」
「俺が怪我人をいたわるような男だと思ったか。今日からでも仕事に復帰させてやってもいいんだぞ」
カールスが立ち上がった。
「……あのオークの男」
「あいつがどうした?」
「私のこと気に入ってくれたみたいで、困ったことがあったらすぐに頼ってくれって言ってくれたわ」
「……何だと」
「気に入らない年寄りの頭を握りつぶしてもらうのもいいわね」
もちろん、クロウはオークとそんな約束など取り付けてはいない。だが、数日前にあの恐ろしい巨躯を見た者にとっては十分なハッタリだった。
「……今月末に会計を頼んでる男が来る。その時に給与と借金の詳細を見せてやる。それで良いだろ?」
分かったわ、とクロウはカールスの部屋を出ていった。
「ねぇ、相談があるんだけど」
控え室に戻ったクロウはシーナに持ちかけた。
「何さ?」
シーナはゴールドバーグに気に入られるために、無理をしてアトラディウスの戯曲を読んでいた。
「他のコたちはよく知らないけど、私たちってさ、借金をカタに売られたんだよね」
「まぁ……そうだけど」
「貴女、自分がどれくらい借金返し終わってるか知ってる?」
「え? いやぁ確かに一日に取る客の人数がばらばらだから、細かに計算してるわけじゃないけど……。」
「どうやって確認するの?」
「え……そりゃあ、返済し終わる頃にカールスのジジイが言ってくるんじゃないの?」
「あのごうつくばりが?」
「……違うのかな?」
「私たちの売上を確認してみない?」
「……でも、どうやって?」
「さすがに一日の売上をどんぶり勘定で済ますわけにはいかないでしょ? 絶対に何かしら帳簿とかを付けてると思うのよ」
「そんな、バレたらやばいよっ」
「何がバレるっていうの? 帳簿を見るだけで、何かを盗むわけじゃないんだから。見たら元に戻せばいいし、だいたい私たちが稼いだ分を私たちが確認して何がいけないの?」
「そんなこと……ていうかさ、どうしてひとりでやらないんだい?」
クロウは照れ笑いしながら目をそらした。
「いや、私……計算ができないから……。」
「アンタねぇ……。」
「まあまあ、“飽いてる者のそばには飢えてる者を”って言うでしょ」
「何さそれ」
クロウはシーナが手にしている本を指さして言う。
「アトラディウスよ」
「マジでっ?」
その夜、カールスは寄り合いのために街へと出かけていた。どうやら娼館の組合があって、主人たちが情報交換はじめ、娼婦の待遇や料金設定といった談合の場を設けているらしい。
特に情報交換に関しては、彼らの仕事は事実上非合法であるがゆえに、常に役人の動きに気を配る事が必要不可欠であった。刑部の責任者が変わったならば、すぐに賄賂を用意し女をあてがい持ちつ持たれつの関係を作り出さなければならなかったからだ。
クロウはそれとなくバリーにカールスの帰宅時間を確認した。狙いは店を開ける前の、娼婦たちが慌ただしくなって自分のことに手一杯になっている時間帯。その隙にクロウはシーナとカールスの部屋に忍び込んだ。
換気が悪いカールスの部屋は、暗闇の中に色情魔で絶倫の主人の体臭を色濃く残していた。留守を確認しているというのに二人は部屋のそこかしこに男の気配を感じなければならないほどだった。
その部屋には窓はあったものの、灯りがなければほぼ真っ暗だった。しかしクロウは夜目が効くので、ランプに火を灯すこともなく机の陰へ身を隠した。
「やっぱりヤバイってっ」
シーナが小声だが焦りながら言う。
「大丈夫だよ。みんな開店の準備で他のコのことなんかにかまってられないから」
クロウはふと、机の後ろに飾られている刀を見た。彼女のかたみは、カールスがいつか売ろうと画策していたものの、クロウの時と同じように骨董品屋では良い値がつかなかった。そして今では、そのままカールスの部屋のインテリアの一部になっている。
「どうしたんだよクロウ? 急いでよっ」
「ああ、うん」
クロウはヘアピンを机の鍵穴に突っ込んだ。故郷にいた頃に、不良とはいえまだガキ大将だったディアゴスティーノに習ったピッキングだった。
ディアゴスティーノ曰く、ピッキングは丁寧にやるものではなく、時に乱雑に穴をほじくり回して言うことを聞かせるのがコツだという。
金属を削るような音がする度にシーナがしゃっくりみたいな小さな悲鳴を上げ気が散ったものの、そう時間をかけずに鍵は開錠した。
「どうしてここだと?」
「別に。鍵もかけないとこに置いとくほど無用心じゃあないと思っただけよ。ここになかったら、あとは金庫。でもその時は諦めるわ」
「ヤマ勘かよ……。」
クロウは引き出しの奥にあったノートを取り出し、ページを開くと小さく勝ち誇って笑った。
「わお、ヤマ勘が当たったわよ。……意外と細かいわね。日別、月別、個人別で記載されてるわ」
シーナはそわそわしながら「で?」と訊く。
「個人別で私の売り上げが……どういうこと?」
「なに?」
「あの怪物を取った時の金が入ってないことになってる」
「日付の間違いじゃなくって?」
「あんなことがあった日を忘れるわけないじゃない」
「ねぇ、シーナ。昨日は何人とった?」
「え? 三人だけど……。」
「三人……追加料金は?」
「ないけど?」
「じゃあ一人100ジルで全部だと300。えっと取り分が……。」
計算できないクロウにシーナが口を挟む。
「120ジル」
「……でも貴女、取り分が90ジルになってるわよ?」
「何でっ?」
「借金分ってところでマイナスの棒がついてる……。」
「ああ、そうっか……。て、ちょっと待ってよ……。」
「どうしたの?」
「アタイら、借金に利子がついてんだよね?」
「……利子?」
「マジかよ……。利子ってのは、元々の借金について回る金魚の糞だよ。しかも成長する厄介な糞さ」
「どうしてそんなことするわけっ?」
シーナが肩をすくめる。
「だって、そうしないと貸した側が得しないだろう」
「その……利子がどうかしたの?」
「アタイらがいくら働いても、利子がそれよりも増えてたらいつまでたっても返し終わらないってことだよ」
クロウは今更になって、フェレロのやっていたことがあくどいものだったのだと実感した。
「そんな……。利子って、どうやって確認するわけ?」
「他に、書類とかないの? アタイらの借金の額書いたやつと利息が書かれたやつ」
クロウはノートの下の書類の束を漁った。
「これかな……。」
「なんてある?」
「私の借金が9000ジル……利子は……10分の1って?」
「……もしかしてそれ、10日につき1割ってことじゃ?」
「なにそれ?」
「簡単に言えば、10日すぎるごとに、アンタの借金が900ジル増えるってことだよ」
「どうしてそんなことになるのっ?」
「声が大きいってっ。ここじゃまずいよ。後でゆっくり計算しよう。アタイの分も読んで覚えといてねっ」
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