8-5

 面接が終わると、クロウは先輩の従業員に自分たちが寝食をする部屋を案内された。

 案内された先は、両脇に三段建てベッドがあるだけの狭い部屋だった。倉庫だったところを改装したらしい。

 ベッドとベッドの間には1メートルほどの幅もない。生活スペースはベッドの上のみ。棚はなく枕元を物置にしなければならなかった。

 ある程度の覚悟をしていたはずのクロウだったが思わず絶句する。


「もしかして、個室でももらえると思ったかい?」

 そんなクロウを先輩が嘲笑った。


 クロウが荷物を空きベッドの上に置くと、すぐさま洗い場の主任に声をかけられた。

「今日入ったのってアンタ? ついてきてっ」


 クロウは巨大な桶のような鍋が並ぶ台所に連れて行かれた。

 女なら出来て当然とばかりに、包丁と大量のジャガイモがクロウの目の前に置かれた。置いた人間は何も教えずに去って行った。

 最初は戸惑ったクロウだったが、すぐに隣の同僚がやっているのを横目で見ながら皮をむき始めた。


「一番腹が弱い人間に合わせるんだよ。やつら芽ぇ食くったら腹壊すからね」

 隣の赤い巻き毛のホビットの女は、何が楽しいのかニヤニヤしながら横目でクロウを見て言った。


「ぼけっとしてんなよ!」

 ジャガイモを剥き終るや否や、次は大量の玉ねぎが目の前に置かれた。やはり何も教えずに置いた人間は去っていく。

 クロウは再び隣を見ながら包丁を動かす。


「……やるじゃん」

 ホビットの女は少し意地悪をしたつもりだった。皮を剥きと型切りを素早く仕上げていたが、すぐにクロウはそれに追いついた。


 料理の下ごしらえといった炊事洗濯の類はクロウの得意とするところだった。実家でほとんど動かなくなっていた母の面倒を見ていたので苦でもなかった。


「新入り、ぼさっと突っ立ってんな!」

 クロウがボールに山盛りになった玉ねぎを前にしていると、またもや怒鳴られた。


 クロウが困惑しているとホビットの先輩は、ホールの方を顎でしゃくった。

 要するに、給仕に回れということらしい。

 クロウはやはり、右も左も分からずに仕事を始めるが……

 

「ネエチャンさっきから呼んでんだろ早く来いよ!」


「頼んでたツマミがまだ来ねぇぞ!」


「ロックの意味わかってんのかよ石入ってるぞぉ!」


 家事の延長線の洗い場の仕事と違い、クロウには給仕としての仕事は経験がなかった。一度に客の注文を覚えたり、順番通りに注文を届けることができず、ちょくちょくヘマをやらかしていた。


 給仕を始めてしばらくすると、クロウは客たちの視線が粘つくような熱狂を帯び始めているのに気づいた。

 各々の熱視線はばらばらであるものの、意識はホール中央のステージに注がれている。

 ほどなくして部屋の照明が下りステージ上のみに光が当たりると、楽隊が演奏を始めた。

 すると人間やフェルプール、エルフといった種族の入り混じった女たちがステージ上に登場しダンスを始めた。全員の衣装が下着と見紛うような際どいものだった。

 それは村の祭りで見るような踊りとは違い、女の体をひたすら魅力的に見せる踊りだった。腰をくねらせくびれを強調し、衣装がはだけるように動いてその下の局部を想起させている。

 そんな動きを何のためらいもなく大衆の面前で続ける女たちを、クロウは呆けて見ていた。

 そんなクロウを、先輩の給仕が頭をはたいて気つけをする。


 ダンスが終わると、次に女たちは客のテーブルへ行き彼らの隣に座り直接給仕を始めた。

 女から見ればすべてが偽物だと分かる表情を臆面もなく造る踊り子たち。酒を作り料理を皿に小分けし、男たちのつまらない話に必要以上のリアクションをして機嫌を取っている。そんな彼女たちをクロウは嫌悪も追いつかないほどに感心していた。

 おそらく母だったらこういう仕事も得意だったのだろうが、自分には無理だ。あれは自分とは関係ないところでの出来事なのだ。

 それが、彼女たちを見たクロウの最初の印象だった。



 街のキャバレーで働き始めて二ヶ月過ぎたある夜、就寝中にクロウは女のすすり泣く声を聞いて目を覚ました。それはベッドの下の段の同僚の泣き声だった。

 敏感なクロウの耳だけでなく、その泣き声は人間も聞こえるほどの大きさだというのに誰ひとり何も反応をしない。

 鼻をすする音に時おり混じる人の名は、故郷に残してきた家族だろうか。クロウは毛布をかぶって音を塞いだ。


 翌朝、起床とともに各々が身支度を始めたが、やはり誰ひとり、泣いていた彼女に声をかけることはなかった。

 二ヶ月と経たないうちに仕事にも慣れたクロウだったが、こういった共同生活の雰囲気にはどうにも慣れなかった。

 クロウが孤独を好むとはいえ、ここにあるのは孤独を強いるという似て非なるものだった。

 お互い不干渉に徹し、互いの持ち物は見ても見せてもならないという都会の作法に、知らず知らずのうちにクロウは神経をすり減らしていった。


 また、クロウの金勘定の不得手も災いを招いていた。二ヶ月目にしてようやく、下働きの給料を貯めてもここを出て行くのには三年以上かかるということに気づいたのだ。

 もっとも、街とは全く違う、戦前に近い生活環境だった彼女にとって、それをすぐに理解するのは難しいことだったのだが。

 雑種とはいえ、短命のフェルプールが二年もの歳月を貯金のためだけに費やさなければならないという事実は、彼女に絶望感を抱かせた。


 そして……


「アナタにこれあげるわ」


 ある日、開店の準備のためにテーブル拭きをしているクロウに踊り子の一人が話しかけてきた。踊り子は丁寧に包装された小箱をクロウに差し出す。


「え? これ……。」

 クロウは腰掛けのエプロンで手を拭きながらそれを受け取る。


「客がさぁくれたんだけど、この前も同じのもらったんだよね。そん時にすごく喜ぶふりしてあげたら、まぁた同じの持ってきてさ。ちょっともういいやって」


 踊り子は嘲るように小箱を見下して去って行った。

 クロウが包みを開けると、それは街の菓子店のチョコレートだった。


「……それ何?」

 箱を持って立ち尽くすクロウに、同じく開店の準備をしていた先輩のホビット、サンが話しかけた。


「ちょっと、それ、フラワーズのチョコじゃない?」


「フラワーズ?」


「知らないの? フラワーズっていったらヘルメス家ご用達の高級菓子店だよっ。アンタこんなのどうしたの?」


「えっと、踊り子の人がさっきくれたんだけど……。」


「か~、いやんなっちゃうねぇ。アイツらときたらウチらのひと月分の給料くらいするようなもん、毎日客からもらってんだからさぁ。それだって普通に店頭に並んで買ったらウチらの一日の働き分が消えちまうよ」


 サンが物欲しそうに小箱を見ているので、クロウは箱を差し出した。

「あの……一緒に食べます?」


「いいの!?」

 サンは目を輝かせて言った。


「ひとりじゃ食べきれないと思うし」


 サンは、アンタいい奴だねぇと言いながらカウンターからポットを取り出しお茶の用意を始めた。

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