5-8

 講釈を垂れるヘルメス侯に、ロランが顔をあげて語る。

……あるいはそうかもしれません。しかし、現状で苦しんでいる人々が街に、都市から離れた村に存在するのです。明日の見えぬ子どもたち、過去を嘆くしかない老人たち、彼らに施すことは領主たるヘルメス家の使命。“ゆめゆめ忘れるなかれ、不義によって虐げられし者たちを 幾重にも絡む不義を義によって断ち切るべし 恐るなかれ、義をもって歩む者は不滅也”、ヘルメスの家訓です」


「つまり、お前にはこの世界が不義に満ちていると?」


「……少なくとも、不遇にある人々はそう感じているはずです」


「戦で敗者が出るように、この戦争においても敗者が出るのはしょうがないことだ。何より、それは奴らとて自分で選んだ道。自分の村を捨て街に出れば稼げると思い込み出てきたものの、自分の才覚のなさから立ちゆかず貧民街に身を落としているのだ。自分たちの選択で自分自身と家族が不幸になる、自業自得ではないか。時代についていけぬ者の末路だ」


「しかし子供は親を選べません。そして寒村によっては、勇者様のご指示で定住した者もいます。選択したとはいえ、自由な選択だったとは言えません。それこそ、理不尽な二択というものです。確かに、杯のお話しはひとつの心理だと思います。しかし富は必ずしも無限とは限りませんし、富が途中で尽きてしまえば下の者には永遠に富は満たされず、しかし上の杯を維持するためには下の杯を動かすわけにもいけません。末永い繁栄のために彼らにより多くの機会を与えれば、さらに国は潤い、何よりヘルメスの名声を不動のものとするでしょう」


 ヘルメス侯は面白くなさそうに再び椅子に座った。

「理想ばかり唱えおって、あいかわらず……。良かろう、それではせめて……進めておった縁談に関してはお前の望むようにしておこう。だが、お前を後継者として認めるわけにはいかん」


「そんな、約束が違いますっ」


「約束の内容を覚えておらんのか? 候補にはしておくと言ったのだ」


「しかし……他には」


「まだロルフが控えておろう。あいつが病から立ち直れば、話はまた変わる」


「お気持ちは分かりますが、ロルフはもう……。」


「もう何だ? 貴様、双子の兄の回復を望まぬというのか?」

 ヘルメス侯の声が尖った。


「いえそのようなことは決して……。」


「そもそも、ヴィクターとロルフに不幸さえ起こっていなければ、お前に試練に挑むことすら許さなかったのだぞ。それに、お前はあの侍女の娘のことで私の手を煩わせていることを忘れてはいまい?」


「そ、そのことに関しては……。」


「ロルフと同じく、お前もヘルメスの名を貶めていることを忘れるな」


 怒り、悲しみ、すべてが混じった感情の訴えをしようとも厳格な父の前だった。それは許されることではない。ロランの口から何かがこぼれ落ちそうな音がした。


 だが、ついにロランは思いの丈を口にした。

「父上、私は私自身に対して何も恥じるところはありません!」

 

「お前自身がどう思おうが、世間はそうは見ない。たまにな、お前に関しては神が酒に酔って作ってしまったのではと思うくらいだ」


 ロランの気配が後ろたさで冷ややかになっているのをクロウは感じた。

 クロウが想像する以上に、彼らのロランの気質に対する風当たりは強かった。


「父上は……ロルフではなく、私が病に倒れていればよかったと?」

 耐え難い思いが、ついにロランの口から出てきた。

 だがそれはどう考えても悪手だった。


「……あるいは、そうかもな」


 その言葉とともに、ロランが呼吸を震わせたのをクロウは聞いた。


「私は貴方のご希望通りディオール様を連れ戻しました。この次に、一体何を為せば貴方の愛を受けられるのでしょう」


「単刀直入に言おう。どこぞの名家の男に嫁いでとっとと子を産め。ヘルメスの名誉を重んじるのであればな」


「それを……それを受け入れられないからこそ、試練に挑んだのです!」


「なればね。私の考えは変わりはせぬ」

 ヘルメス侯は、ロランの昂ぶりに合わせて頑なになっていくようだった。


「……貴方の、望むままに!」


 ロランは立ち上がり、クロウを残し謁見の途中で部屋を出ていった。

 膝まづいたままクロウは思う。頑固なところで意外とこの親子は似ているのかもしれないと。


「どうした? 主人が出て行ったぞ、あとを追え」

 頬杖をついてぞんざいな態度でヘルメス侯は言う。

 彼にとって、領地の人間は皆自分にひれ伏すのが当然だった。


 だが、ここにその例外がいた。

 国から、故郷から、家族からつまはじきにされたクロウには、心の底からこの男にひれ伏す理由がなかった。


「……イヴ様との関係は、老賢者を探し出すという契約においてのみです。義理でこの場におりますが、仕事が終わった今、もはやあの方と私との間に約束事はありません。そして何より、私ととの間にあるのは元より主従関係などではございません」


「ふん、気取っておったがやはり雇われ者と雇い主、所詮金ではないか」


 クロウはゆっくりと立ち上がった。


「いいえ」

 白い牙をチラつかせてクロウは微笑んだ。

「男と女の関係にてございます」


「なにぃ? 貴様まさか……。」


「その趣味はございません。私はあの方を男だと思っておりますから」


「馬鹿な。まったく、類は友を呼ぶというものか。汚らわしい、貴様もとっとと出て行けっ」


「そして……私と貴方様の間にあるのも、主従関係ではございませんよ?」

 クロウは、ゆらりとヘルメス侯の元へ歩み寄った。刀を携えて。


「き、貴様、何のつもりだ」


 クロウは思わせぶりに柄に手をかけた。


 ようやく危機を察したヘルメス侯は頬杖を付く余裕をなくした。

「き、気でも違ったか? おい、誰か! 誰かぁ!」


「室内には誰かを残しておくべきでしたな。貴方様は“役立たず”と思ってらっしゃるのでしょうが、きっと彼らは私に勝てぬと分かっていても、命を賭して貴方様の身を守っていたというのに」


 クロウはヘルメス侯に一歩一歩迫っていった。


「ちっぽけな小娘がぁ、私がこの手を一振りするだけでどうなるか、貴様の身に何が起こるかわかるか?」


「さぁ? ポケットの中のビスケットが増えるのでしょうか? それは見ものですな」

 クロウは哂った。冷酷に両方の犬歯をむき出しにし、金色の目を細め、肩を揺らし、あたかも残酷さを楽しむように。


「役人が、お前がただ街を歩いているだけで罪状を突きつけて、永遠に光の刺さらない地下牢へ放り込むことだって可能だと言っておるんだ。下賤の輩の慰み者になりながらな!」


 ――やれやれ、この御仁はもう剣を取ることすら忘れたらしい。


 クロウはヘルメス侯の正面に立ち、構えた。


 ――まったく救いがたい!


「ひぃ!」

 椅子の上で、かつての武人は子供が親の折檻から許しを乞うように体を丸めた。


 クロウは膝をつき、低い体勢からの居合抜きで椅子の前の両足を切断した。


「ぎゃあ!」

 椅子は前のめりに傾き、ヘルメス侯が顔面から転げ落ちた。


「どうやら貴方様は高みからものを見ることに慣れすぎているようで。今一度、野良犬の視点から世界を見直すことをおすすめします。少なくとも、イヴ様にはそれがございました」


 クロウは踵を返し、扉へと歩いて行った。


「貴様、ただで済むと思うなよ! 無事にこの屋敷から出られると――」


 振り向きもせずクロウが言う。

「何と言って? 代々戦場を駆け回った武名で誉れ高いヘルメスの領主が、下着姿のに襲われ、それこそ女のような悲鳴を上げさせられたと?」


「ぐ……。」


 クロウは振り向いて念を押した。

「ならばもう、ヘルメスの名を貶めたという理由でご子息たちの事を非難はできますまい」


 扉に手をかけていたクロウにヘルメス侯が叫んだ。


「貴様をギルドから抹消してこの国で仕事をできなくしてやる!」


 犬だろうと狼だろうと、遠吠えは所詮遠吠え。クロウはタカをくくって部屋を出ていった。

 部屋を出たクロウは、すぐに屋敷を去るため私服を預けた衣装部屋に戻ろうとした。

 だが、借りものの上等のドレスをボロボロにしてしまっている事に気付いた。

 そして自分の服は衣装部屋にある。

 

――まいったなぁ。


 クロウは頭を掻きつつ途方にくれていた。

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