5-9
「ライリー殿っ」
困っているクロウに、後ろからウォレスが声をかけてきた。
「――いやはや、先程は恐れ入りました」
ウォレスは広大な庭の隅に位置する自分の小屋へクロウを案内した。
ウォレスが屋敷で使えている間に使用するための場所だったが、庭師用の道具を置くための物置ともなっていた。
かつての戦士は、いまでは物置き同然の小屋に押しやられていたのだ。剣も
完全に庭いじりの老人に戻っているウォレスは、腰を曲げがちなせいか体も一回り小さく見えた。頭の傷も今ではクロウが最初に会った時のように、単なるハゲになっていた。
クロウはそんな哀愁漂うウォレスを苦々しく見つめていた。
ウォレスはクロウを椅子に座らせると部屋の奥のクローゼットをあさり、
「男物でよければ……。」
と、着替え用の作業着を出した。
クロウは礼を言ってそれに着替え、ウォレスはその間に茶菓子の用意をする。
「疲れたでしょう、激しく動きましたからね……」
そう言ってウォレスは葡萄酒を杯に注いだ。
「ご厚意、痛み入ります……。ところでご老人、その……不躾かもしれませんが、もしお気になさらないのであれば煙草を……。」
ウォレスは目を丸くしたあとに、おお、構いませんよと頷いて灰皿を棚から取り出した。
「……煙草は、私も若い頃に嗜んでおりました」
クロウは缶に詰めてあった巻き煙草を取り出し、爪でマッチを
クロウはようやくありつけた煙草を思いっきり堪能した。
煙草の先端を朱く光らせた後、胸にたまった煙をゆっくりと、
「色々と規格外なお嬢さんですな、貴女は……。」
煙草の匂いを嗅ぎながら、ウォレスが目を細めて言う。
「……規格外というのならば、この屋敷のご令嬢も負けてはおりませんがね」
ウォレスは気まずく
「イヴ様は……男勝りといいますか、やや普通の女性とは違うところがありましてな……。そこがヘルメス様の悩みとなっておりました……。」
「本人は、自身のことを男だと信じています」
ウォレスは首を振りながら言う。
「確かに、あの方が男であればと常々思うことはあります。勉学も剣術も、他の兄弟よりもはるかに努力なさって……。ですが、あの方が女性であることは
歴戦の戦士のウォレスだが、ひどく遠慮がちで困惑した言い方だった。
「他人から名指しされるものばかりが自分ではありませんよご老人。自分で定める自分というものもございます」
「しかし、世の中には自然の法則というものがございます。それに逆らえば、手痛い返しが待っているのです……。」
「自然……ね」
と、言ってクロウは灰皿の縁で煙草を叩いて灰を落とした。
「私は以前、リザードマンの国にいました。彼らのことを?」
「言い伝えのみでは……。」
リザードマンとは、東方民族たちが活動する砂漠地帯、さらに竜人の治める皇国よりもはるか東の島国に住む種族である。
地理的に他種族の干渉を受けることがないため独特の文化をもち、宗教の違うエルフたちとはほとんど関わりがない。
彼らに関する情報は、伝聞の伝聞、文化が誇張された絵巻物で知られる程度だった。
「彼らは……修行中には完全に女を断つのです。女にうつつを抜かしては剣が身につかないということでね。この国の人々からすると馬鹿げた話ですが、彼らのそれは信仰の域にまでなっておりましてね。女を遠ざける者ほど豪傑とされます。なのですが……。」
クロウは煙草をゆっくり吸って、しばらく次の言葉をためらった。
「やはり、若い衆です。どうしても、耐え切れないものが出てきます。そういう場合、彼らは男同士で済ますのですよ、その……事を」
「……理解しがたいですな」
と、ウォレスは首を傾け右の眉を吊り上げて言う。
エルフの社会において、同性愛は禁忌だった。
「確かに貴方たちにとってはそうでしょう。けれどリザードマンの武芸者にとって男色は日常のものどころか、ひとつの美意識ですらあります。美少年などはちょっとした人気者ですよ。戦場でも彼らはお気に入りの同胞がいますから、村々で女を襲う必要がありません」
「あるいは……この世界のどこかにイヴ様を受け入れる場所があるかもしれません。そうであるならば素晴らしいことだとは思います。それがあの方の幸せになるのであれば……。」
「ささいな常識が彼女を苦しめるのであれば、別の世界へ旅立たせるのも親心の一つではないでしょうか、ご老人」
ウォレスは
「貴女の仰りたいことはこのウォレス、以前より頭の隅にはあったことでございます。もしかしたら、と。ただ、あの方はただの町の娘ではございません。由緒正しきヘルメスの人間であり、わたくしめは使える身にてございます」
――昔
クロウはロランを思いながらも、彼を否定せざるを得ないウォレスを見て思った。
「なれば、彼女が自分で自分の運命の手綱を握れば良いことですよ」
老人はそれに
ふたりはしばらく沈黙していたが、ノックの音と共にそれが破られた。
小屋の扉が開きロランが顔を出した。
「ク、ライリー、ここにいるって聞いたんだけど」
ロランの手にはクロウの私服があった。
「服を持ってきてくれたのか、助かったよ」
「その格好じゃ歩き回りづらいだろうと思ってね」
クロウはウォレスを横目で見て、
「旅の始めと比べて、随分と気が効くようになったのですよ」
と、皮肉めいた微笑を浮かべて言った。
「それでさ、本当は今回の旅でお世話になった君を
「ああ、構わないよ。というより、そちらの方が助かるね」
なにより、その後にクロウ自身が洒落にならない無礼を働いていた。いち早くこの屋敷を出なければならなかった。
「え?」
「何でもない、領下町の酒場の方が落ち着いて助かるという意味さ」
服を着替えてからクロウたちはすぐに屋敷を後にした。
厳重な警備のある正面からは出られそうになかったので、ロルフが使っていたという屋敷の植林の奥にある抜け道を使った。
それは壁の腐食した部分を削り取り、細身のエルフがかろうじて身をよじって通り抜けられる程度の僅かな亀裂だった。
穴を前にしてクロウは訊ねる。
「しかし問題はないのかね?」
今まさに穴に入ろうとして四つん這いになっているロランが言う。
「何がだい?」
「部外者をこんな抜け道に案内して。賊がここを知ってしまったらまずいだろう」
「君が賊の手引きをするのかい? まさか。それに、こんな小さな抜け穴を通れる賊なんてたかが知れてるよ。屋敷にはここから腕も入らないくらいに屈強な衛兵がいるんだよ」
「そうだな、ここを難なく通り抜けられるのはゴブリンくらいか」
蛇のように壁の穴を這いずって、まずロランが通り抜ける。
胸の所がつっかえたので、通り抜けるのに難儀していた。
次にクロウが通り抜ける。
ロランよりも胸の小さいクロウはすんなり通り抜けられる……はずだったが、上半身が抜けた後、尻の辺りがつっかえた。
「クロウ……。」
ロランは何と言葉をかけていいのか分からなかった。
クロウは手を伸ばす。
「……何も言わずに引っ張ってくれ」
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