5-3

 ロランが扉を開けると、そこはヘルメス侯の謁見の間だった。

 窓からは光が差し込んでいるものの、石造りの部屋は燭台が必要なほど暗かった。

 入口から部屋の奥まで、一直線にワインレッドの絨毯じゅうたんが敷かれている。

 大きな机もソファもないく、謁見えっけん飲みに使用する部屋だった。

 二人の視線の先には、仰々しい装飾品が施された年期の入った皮張りの椅子に腰掛ける初老のエルフがいた。


 ――アイザック・ヘルメス

 ヘルメス侯国領主であり、ヘルメス家の現当主。

 ヘルメス家は、法術に長けたエルフでありながら武門としてその名を轟かせる貴族の名家だった。

 彼自身も、戦時中は法術による後方支援が主だった他のエルフと違い、前線で剣を振るい数々の武功を立てていた。

 武門の家長らしく体は大柄で、今は衰えているがその体は若い頃は筋肉に覆われていたことが伺える。

 だが、かつては雄々しかったものの、現在のヘルメス侯の佇まいには神に選ばれた種族としての神秘さは欠けていた。

 かつて戦場で剣を握った堅牢な拳には今では金と宝石で装飾された指輪がはめられ、台座を使って無理に自分を高く見せようとしていた。

 彼はあと何十年と経とうが、老賢者のような荘厳な雰囲気を出すことはないだろう。

 ヘルメス侯のかたわらには、先程ロランとやり取りをしたカルヴァンが嫌な笑顔を見せながら控えていた。



「無事だったようだな。何よりだ……。」

 二人がヘルメス侯の正面に跪くと、ヘルメス侯は表情を微動だにせず重々しい声で言った。


「はい……。」


 しばらく二人共沈黙していた。

 切り出したのはヘルメス侯だった。

「驚いたぞ。まさかディオール様を連れ戻すとは」


「……神のご加護があったからこそです」


 ヘルメス侯は、ウムと頷くとやはりまた沈黙した。

 目をつぶるようにして思案した後、クロウに目を向けた。

「お前は?」


「キャットイヤー・ライリーと申します。この度、イヴ様の旅にお供させていただきました、一介の戦士です」

 クロウも膝まづいてヘルメス候の質問に答えた。

 仕事柄、貴族に謁見するのは初めてではなかったので、最低限のマナーは心得ていた。


「ほう、お前一人でか?」


「……はい」


「女でありながら戦士とは……。」


「……意識を怠らぬ短所は時として武器にも成り得ます。女であるが故におちいった窮地きゅうちも多ければ、女だからこそ乗り越えられた窮地きゅうちもまたしかり」


 ヘルメス侯が唸った。感心したのか興味がないのかは不明だった。


「なるほど……道中はいかがであった?」


「ゴブリンに襲われましたが、なんとか切り抜けることが……。」

 と、クロウは言った。


「何と、ゴブリンに……。」


 クロウはこの瞬間だけ顔を上げヘルメス侯の表情と声を観察した。

 ――違う。

 ヘルメス侯は純粋に驚き戸惑っていた。


「しかしまぁ、噂では最近のゴブリンは以前にも増して凶暴だと聞き及びますが、どうやら噂の域を出ないようですなぁ。何せ、女二人で切り抜けてしまうのですから」

 と、ヘルメス侯のそばに控えていたカルヴァンが言った。


「カルヴァン……。」

 ロランが跪いたままカルヴァンに顔を向けた。

 

 しかし、ロランに睨まれているもののカルヴァンは余裕を持って続けた。

「女だからこそ乗り越えられた……確かに女には男にないがあるからな」


 ヘルメス侯は何も言わずにカルヴァンの話を聞いていた。

 多少の無礼も、ロランに対してならばヘルメス侯は何も言わない関係だということをクロウは察した。


「貴様、彼女に詫びろっ」

 ロランが勢いよく立ち上がった。


「気にするな。種族問わず色んな男たちが私に同じ言葉を吐いたよ。口からドブの臭いを出すオークの口からも、このお兄さんと同じ言葉が出たもんさ。まぁつまり、下賤げせんの魔物と同程度の男だということだ」

 なだめる為ではなかった。十分に挑発するようにクロウが言う。


 カルヴァンの口からくぐもった音がした。

「ヘルメス様、もうお分かりでしょう? 今回は女二人で達成できるほどの簡単な試練だったのですよっ。イヴ様の後継者としての器量を図ることなどできないっ」


 ヘルメス侯は確かに、と言いたげに顎ひげを撫でた。


「剣術でぼくに勝ったことのないお前が言うのか?」

 と、ロランが言う。


「イヴ様、稽古と実戦は違いますよ。木剣で何が分かるというんです」

 少しカンに障ったようだが、カルヴァンは何とか笑いを浮かべていた。


「実戦ときたかい」

 クロウは思わず鼻でせせら笑った。


「なにぃ?」

 カルヴァンがクロウを睨む。


「“レインメーカー”、どうやら噂以上ですね、ヘルメス侯。実に巧妙だ感服いたしました」

 クロウはカルヴァンを無視して言う。


「……どういう意味だ?」

 ヘルメス侯が反応した。


「理不尽な二択というものですよ。私の技量が及ばなければ簡単な試練だということになり、私の技量があれば彼女は楽をしたということになる。どちらに転がっても貴方はご息女を否定することができる」


「……お前は、私がそんな姑息な真似をしているとでも言うのか?」

 ヘルメス侯の顔が怒りで曇り、薄い緑色の瞳が霞んだ。


「おい女、無礼だぞ!」


 クロウは顎でカルヴァンをしゃくる。

「しかも、こんな大根役者に台詞を仕込んでまでね」


「クロウ、落ち着いて……。」 

 と、ロルフがか細く言っているのがクロウに聞こえた。


 しかし、クロウはそれでも続けた。

「この御無礼を償うのであれば証明するしかありませんな、私の技量を。そうした後に貴方がたが私の申したような事を仰るのであれば、それは無礼でも何でもない。真実を口にしたまでということです」


「この、女ぁ……。」

 カルヴァンがそわそわとクロウとヘルメス侯を交互に見る。


「……で、その技量とはどうやって証明するというのだ?」

 と、ヘルメス侯が言う。


「簡単ですよヘルメス侯。この屋敷の手練を用意してお手合わせ頂ければいいんです」


「馬鹿めっ」

 カルヴァンが扉の方へ歩み寄り、「リチャード!ジェームズ!」と声をかけると、扉の前の二人の衛兵が入ってきた。

 軽鎧に身を包んだ、男二人。エルフとしては平均的な体つきだった。


「よろしいですね、ヘルメス様っ」

 興奮しっぱなしでカルヴァンが言う。


「かまわん……。」

 そう言うヘルメス侯の目は、完全にクロウに対して敵意をむき出しにしていた。


「我々三人が相手をしよう。せめてもの慈悲だ、この中から選べ」

 と、カルヴァンが言う。


「選ぶ? 技量を証明するなら全員を相手にしないとダメじゃないのかね?」


「いいだろう! ではこのカルヴァンから相手になろう」

 尊大な態度でカルヴァンは言う。今さら貴族然としていた。


「お前さんから?」


「そうだっ、今さら臆したか?」


「いや……。」

 そう言ってクロウは後ろの二人を見た。

?」


 一瞬の沈黙。


「なめるのも大概にしろよ!」

 カルヴァンは叫ぶなり鞘から両刃つきのレイピアを引っこ抜いた。


 クロウも挑発的に笑いながら刀を抜く。左手に鞘を持ったままの状態で。


「クロウ……。」

 ロランが言う。


「殺しはしない……もしそうなったとしても」

 クロウは残酷に微笑んで見せた。口の端がえぐれ牙が見える。

「それがこいつらの寿命だったということさ」

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