5-2

 衣類というものは、着る者が変われば姿を変える。

 クロウに着られたドレスは、まるで岩石に巻かれた布地だった。

 ボディラインは無骨で角張り、さらにドレスから伸びる四肢は肉付きがいい上にところどこに傷があった。

 特に使用人たちの目を釘付けにしたのは、ドレスのスリットからはみ出る普通の女の倍はあろうかというクロウの太腿だった。


「すまないね……足ばかりに栄養が行ってしまっていてね……。」

 視線に気づいたクロウが頭を掻いて気まずそうに言う。


 細かい傷が、辛うじてストッキングで隠れているのがせめてもの救いだった。

 とはいえ、その白いストッキングも少し歩いただけでずり落ちそうだった。


「ええっと……どうしましょうか」

 と、左右の手のひらを合わせてセーラが回りを見渡す。

「スリットのないものがよろしいのでしょうか?」


「いや、これで結構。他の奴だとおそらく動きにくいでしょう」


「クロウっ!」

 侍女たちが足をどう隠すかを思案していると、衣装部屋にロランが入ってきた。

「うわぁ、よく似合うよ。普段の格好も良いけど、そういうのだってたまにはいいんじゃないかい?」


「ありがとう」

 クロウは頭を軽く下げた。


「でもさ、ちょっとそれサイズが一回り小さいんじゃないかな? 足がはみ出てるよ」

 と、ロランは無邪気に言う。


「……お前さんはもうちょっと乙女心を理解するべきだな」


 クロウはとぼけた顔をしているロランを尻目にセーラに話しかける。

「マダム、とても美味しいお茶をありがとう。それで、相談なんですが、お茶を飲みすぎてしまいましてね……その」


「茶葉でしたら、後ほど包ませてお渡ししましょう。違いのわかる方に飲んでいただくのが何よりですから」


「ええ、それもありがたいんだが……飲みすぎた上にこのドレスがやや冷えるのですよ……。」


「ああ、ということですわね?」

 口を手で隠し、遠まわしにセーラが言う。 


「小便ですよ、マダム」

 クロウはキッパリと真顔で言った。



 クロウは部屋を出ると、周囲を確認してから動きにくいハイヒールを脱いで素足で歩き始めた。

 ――トイレに行くのにも一苦労なほど広い屋敷も考えものだな……。


 セーラに教えられた方向に行く途中、通り過ぎようとする部屋から女たちがはしゃぐ声が聞こえた。

 それは屋敷の女にはあるまじき、甘くだらしなく、ふしだらなものだった。

 覗くのも失礼なのでクロウはそのまま素通りしようとする。

 しかし、クロウがその部屋の扉を通り過ぎようとしたちょうどその時に、中から女がぶつかる勢いで飛び出してきた。

 クロウは受け止めようとも思ったが、ドレスを傷物にしては事なので寸ででその女をかわした。

 女はつまずきこそはしなかったが、体をよろめかせながら大笑いをしていた。


「やめてくださいましジュウク様!」

 と、女が悲鳴なのか嬌声なのか分からない声を上げる。


 使用人のメイド服の肩口がはだけていた。

 襲われている最中なのか事の最中なのかよく分からない状態だった。

 人の家で厄介事に首を突っ込む訳にもいかない。クロウは見て見ぬふりをしてその場を立ち去ろうとした。


「逃がさないぞ~プリンちゃ~ん」

 すると、部屋の扉から男が飛び出して来た。


 その男は上半身は裸でズボンも前のボタンが完全に外されていた。

 もう少し下がれば局部が見えてしまいそうなくらいだった。

 しかし、器用にもサスペンダーがそれを寸前で防いでいた。

 そしてこれまた器用なことに、サスペンダーの紐が上手く男の乳首を隠していた。

 まったく関わりたくなかったクロウだったが、困ったことに男から声をかけてきてた。


「おや~君は誰だい? 見ない顔だね?」

 と、使用人に全く興味をなくしてクロウの顔をじっくりと観察してきた。

 

 クロウも興味がない顔をする一方で男を観察した。

 その男は一見したところエルフだったが、よく見ると違和感があった。

 髪はエルフには珍しい黒に近い青色で瞳も黒い。

 何よりも耳の形がロランと違いやや丸みを帯びている。

 どちらかというと、人間の耳が尖ったような印象だった。

 体つきはやや細いものの神殿の彫刻のように整っていて、肌も大理石のように白いが安っぽくもあった。

 安っぽいというのは、パッと見で典型的な魅力のある男ではあるのだが、ロランとは違い独特の陰影がなくただ汚れていないだけというものだったからだ。

 エルフの正確な年齢は分からないが、外見は10代半ばといった感じに見えた。


「新しい使用人にしてはそんなドレスを着ちゃってるし、もしかしてお客さんで?」


「……そういう場合は自分から名乗るもんだよ」

 様子からしてヘルメスの人間のようだったが、クロウはへりくだらなかった。

 クロウは雇い主にしか興味がなかった。


「へぇ? 僕のこと知らないの? マジで? 意外だなぁ」

 クロウが無礼を働いたのに、男は何も気にしていなかった。


「手配書では見たことがないな」

 と、クロウが言う。


 男は驚いたように、しかし笑顔を見せる余裕で

「ひょっとして……その界隈かいわいの方なので?」

 と、伺うように言った。


「仕事できてるんでね、悪いがそこの使用人たちみたく戯れてる暇はないんだ。用がないなら行かせてもらうよ」


 去ろうとしたクロウの行く手を男が強引に立ちふさがった。

 壁に肘を立て寄っかかり、を作る。

 しかし、それでもサスペンダーは男の乳首と股間を守り続けた。


「つれないなぁ、そんな態度をしてると台無しだよ?」

 と、男がクロウの顎に指をかけようとした。

「せっかく美しい顔なのに……。」


「別に私が望んだわけじゃないさ」

 クロウはその手を振り払い立ち去った。


 男は他の女たちを絡めてきた文句が通用しなかったので、男は困ったように眉をしかめていた。


「なぁせめて名前を教えてくれっ」

 去っていくクロウに男が言う。


 クロウにとっては一生会うことのない男だった。

 聞く必要も教える必要もない。クロウは早々に厠に向かおうとした。しかし……


「俺の名前はジュウ


「何だと?」

 クロウは思わず振り返った。


 男は得意げに言う。

「皆はジュウクって呼ぶよ。君の名を?」


「……キャットイヤー・ライリーだ」


 去っていくクロウにジュウクは

「覚えておくよ、ハニー」

 と、声をかけた。



 用を足したクロウは、ロランとヘルメス侯の部屋の前で合流した。


 クロウはほんの少し不信感を交えて言った。

「隠していたんだな?」


「え?」

 ロランが戸惑い気味に反応する。


かわやに行く途中でお会いしたよ。彼も雑種だろう?」


「ああっ、ええっと……。」

 クロウが何を見たのか察したロランは気まずそうに顔をそらした。

「その、似てるなとは思ったんだよ名前が……。ただ、どう説明していいか分からなくて……。切り出し方も、その……。」


「まぁそれはそうかもしれないな。仕事をする上では確かに不必要な情報だ」


 ――こんな所で腹違いの兄弟に出くわすとはな……。

 クロウはロランやサマンサが自分が名乗った時に心当たりのある顔をした理由を理解した。


「何故彼はこの屋敷に?」


 ロランは気まずそうなままだった。

「その……彼は君にとっては異母兄弟かもしれないけれど、ボクらにとっては異父兄弟なんだ……。」


 深く理由を聞きたかったが、クロウにはもうこの時点で嫌な予想しかつかなかった。

 反吐が出そうなほど嫌な予想の。


「勇者様が、ボクらの母を見初めて……その、父上に申し出たんだ……あの……母上に相手をしろと……。」


「オーケーオーケー、それ以上は聞きたくはない。なるほど、それは言い出しにくいな。種違いと腹違いの話ならそうなるだろう」


「それだけじゃないんだ……。勇者様は父上の目の前で、母上を……。」


「別にいいと言ってるだろうっ? 改めてアイツのクソっぷりを説明しなくても」


「大事なことなんだよ、クロウ。それで……父上は勇者様に感謝をしているのは確かなんだけど、同時に複雑な思いもあって……君が彼の子供だと知ったら」


「……私にどうしろと?」


 ロランはクロウに頭を大きく下げた。

「ゴメン、クロウ! 君の出自は隠して欲しいんだ。本当に申し訳ないけど、今回限りだと思って協力してくれ!」


 クロウは大きくため息をつく。

「分かったよ、別に自分の親に誇りを持っているわけじゃないし、雑種のことを隠すのは今回が初めてじゃない。……で、他に何がお望みなのかしらダーリン? 婚約者とでも言っておくかね? お前さんを讃える言葉を1ダースそらんじられるほどベタ惚れだということにして。“ロラン様ったらすっごく素敵なの、昼は紳士的で夜は侵略者、事の終わりには詩人にもなるの。ワタクシ、心も体も女の喜びはすべて白金の麗人イヴ・ヘルメス嬢に教えてもらいましたわ。この方の前に立つ私はただ一人の女、着飾ったドレスも教養もすべて剥ぎ取られ彼の愛撫を待つより他仕方のない哀れな婢女はしためになってしまうのです”って」

 クロウはインチキ臭い貴婦人のモノマネをそらんじるように声を甲高くしてまくし立てた。


「何というか……その挑発的なもの言いを、控えて欲しいなって……。」


「その要望はしばしば耳にする。だが申し訳ないがこればかりは直しようがない」

 いつも以上にクロウは低いトーンで言った。


 ロランは悲しそうにため息をつき、分かったよとヘルメス候の部屋の扉に手をかけた。

 クロウは髪に猫耳が隠れるよう髪型をセットし直した。


「そういえば、あの男は後継者の資格はないのか? 至って健康体のようだが?」


「……彼は異父兄弟だからね、ヘルメスの名を継いでないんだよ。そして君と違って……本名を名乗ってる」

 ロランは振り返ってクロウを見た。

「ジュウクロウ・マツシタと」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る