第5章 ラヴ・イン・ヴェイン

5-1

 クロウは固くまぶたを閉じ、暗闇の中で耐え続けた。

 クローゼットでお仕置されている子供のような心持ちだった。

 それから数時間して、ようやく魔獣はヘルメス侯国の都上空に到着した。

 馬や徒歩での旅より遥かに速かった。


「あそこがボクの屋敷だよ」

 

 ロランが指し示す先には、高い壁に囲まれた真っ白な屋敷があった。

 古い昔ながらのエルフの貴族の住まいと違い、様々な国の技術や趣向をごった煮にして寄せ集めた造形だった。

 白すぎてまばゆい光を放つその建物は、清廉潔白さを主張しすぎて逆に胡散臭い神官のようでもあった。


 ヘルメス侯国首都ティエリ。 

 ヘルメス家が代々統治するヘルメス侯国の中心部である。

 元来ヘルメス侯国は王国内では小さな部類だった。

 だが、戦後に転生者を食客として迎え入れることで領地を拡大していたのである。

 特に経済の発展は目覚ましく、商業・産業のすべてが他国を凌ぐほどだった。


 グリフィンが屋敷の中庭に降り立った。

 最初は使用人たちは何事かと驚き、中には逃げ惑う者もいた。

 しかし、魔物の背中からロランが降り立ったのを見ると、すぐに主人の令嬢の帰還を喜びながら駆け寄ってきた。

 喜ぶ理由は様々だった。純粋にロランが試練を終えたことを喜ぶ者や、五体満足で帰ってくることを疑っていた者さえもいた。


「イヴ様っ」

 と、年老いた庭師らしき使用人が声をかけ恐る恐る近づきロランに安堵の表情を向ける。

 だが、奥の魔物の背中から老賢者が降りてくるとその表情は驚愕したものに変わった。

「ディオール様……!」


 無事に帰還し、さらに目的まで達成したことがあまりにも想定外だったようだ。


 ロランは得意げに魔物の背中から降り、「父上は?」とその使用人に問いかけた。


「お部屋におられますが……その……。」


「いきなり面会しようっていうんじゃない。用意ができたら向こうから呼ぶだろう。それまで久しぶりの屋敷でのんびりするよ」

 ロランは屋敷を見渡し感慨深げに言う。

「しかしまるで、何年も帰っていなかったみたいな気がするな」


 無事だったとはいえ、ロランの衣服の汚れようやその言葉から、使用人は今回の旅が簡単なものではなかったことを察した。

 改めて無事だったことに感心し、使用人はうやうやしく頭を下げる。

 別の使用人は老賢者の荷物を預かり丁重に屋敷の中へと案内していた。


「そちらの方は……。」

 礼を失してはならぬと思いながらも、クロウの身なりに不信感を隠せずに使用人が言う。

 身なりで不審がられるのは、クロウにとってはよくあることだった。

 確かにボロボロのジーンズに上はヨレヨレのタンクトップだけという、貴族の屋敷を動き回って良い格好ではなかったのだが。


「彼女はクロウさん。今回の試練でボクの付き人をやってくれたんだ。彼女がいなかったら命が三つあっても足りなかっただろうね」


「それはそれは、イブ様を助けていただき使用人一同を代表して礼を述べさせていただきます」


「ご老人、それが仕事なのです」


 クロウがそう返したものの、老いた使用人は頭を改めて深々と礼をした。

 老人の下げた頭の上には、変わった禿があった。


「イヴ様っ」

 建物の方から若い男の声がした。


 それを聞くと、ロランは複雑な笑みを浮かべた。

「カルヴァン……。」


「驚きましたよ、まさか試練を達成なさるとは……。」

 歩み寄ってきた金髪のエルフの男・カルヴァンは、自信に満ちた表情を向けていた。ロランとは違う作り笑いだった。

 主従関係がありながらも、まるでロランの弱い部分を握っているかのような嫌らしさのある余裕を漂わせていた。


「ヘルメス様ほどではありませんが、私もここ数日不安で眠れなかったのですよ。貴女が魔物や亜人によって大変なことになってはいないかと」

 と、色艶のある白い肌のカルヴァンはクロウを一瞥しながら言う。

「しかし様子を見るにそこまで大げさな旅ではなかったようですね。何せ女だけで達成できるのですから」


「……疲れてるんだ、お前の無駄口に付き合っている余裕はない」


 カルヴァンは肩をすくめる。

「それは失礼。では、ヘルメス様のお部屋でお会いしましょう」

 そして踵を返し去っていった。


「……誰だ?」

 と、右目を釣り上げてクロウが訊く。


「ロルフのお付きだよ。ロルフが病に臥せっていなければ、彼がロルフに付いて試練に挑んでいたろうね」

 ロランの口調は無理に穏やかさを装うとしていた。


 だとしたら彼はロランに感謝すべきだとクロウは思った。

 カルヴァンではゴブリンの襲撃をかわすことなど、それこそ命が三つあっても足りさそうだったからだ。

 ――もっとも、それは誰が奴らを雇ったかによるのだが……。


「それより、これから父上に謁見しなきゃあいけないんだ」

 ロランが両手をくんでモジモジしながら言う。


「ああ、そのようだね」


「それで、ボクひとりで会うわけにもいかなくて、誰と試練を達成したか父は知りたがると思うんだ。それで、その……。」

 ロランは気まずそうにクロウを横目でチラチラ見た。

「着替えてはくれないかな? 流石にその格好は……。」


「あ~もちろんだとも」


「気を悪くしないでくれ、父は古い人間なんだ」

 クロウの機嫌を損ねると思ったロランが取り繕う。


「分かってるさ。私だってこの格好で今からお前さんの親父さんに会えって言われたら、逆にお前さんに着替えを提案していたよ。しかし、まさか私にドレスに着替えろと言うわけではあるまいね」


 ロランは申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。



 クロウはベンズの実家くらいあるだろう広さの衣装部屋に通された。

 衣装部屋に来る途中に、数人の使用人たちにそそくさと目をそらされていた。

 そしてそれもクロウにとっては珍しいことではなかった。

 部屋のクローゼットには、様々な女性用の衣類が用意されていた。

 冠婚葬祭用の形式ばったものから、舞踏会用の華やかなものまである。

 クロウは替えの普段着を期待したが、彼女が普段着るようなものが、ここのクローゼットにあるはずもなかった。


 侍女たちが服を見繕みつくろうまで時間がかるということだった。

 クロウは衣装部屋の中央にあるテーブルで、アフターヌーンティーをご馳走になっていた。

 クロウをもてなしたのは、セーラという人間の使用人だった。50手前だったが、ふくよかさと血色の良さで感じの良い若々しさを保っている女性だ。


 二口ほど飲んでクロウが言う。

「ありがとうございます。こんな流れ者にこんなにも上等なものを振舞ってくれるとは」


「あらぁお茶に詳しいのですね?」

 ふっくらとした頬を緩ませてセーラが言う。


「フェルプールなのでね、鼻が効くのですよ、マダム」

 首を傾けて上品にクロウが微笑む。

 無頼の彼女だが、処世術は一応身につけている。


「最近は東方の商人たちが都に出入りしておりまして、彼らが上質の茶葉を持ってきてくれるのです」


 ――東方民族、近年はヘルメス領内に彼らが増えていた。

 宗教も文化も違う彼らだったが、転生者が関所の敷居を低くし通貨を統一したり道幅を揃えたりしたのがその理由だった。


「何より淹れ方が良い」

 と、クロウが言うと、セーラは口を押さえ上機嫌に笑った。


 実際にお世辞ではなかった。

 きちんと硬度の低い水を使っているおかげで、そのお茶はみずみずしい果実のような甘い香りが損なわれていなかった。


 クロウがセーラと話していると、他の使用人たちが数着見繕ったようだった。

 それは体のラインを強調したり所々肌を露出させたりと、生まれてこの方クロウが袖を通した着たこともないような上等なものばかりだった。

 そして何よりクロウの趣味ではなかった。

 だがこれも仕事の一環なのだと、クロウは動きやすそうなエメラルドグリーンに輝くドレスを一着選んで更衣室に入った。

 そのドレスは妖しの森の魔女のものほど淫靡ではなかったが、布は薄くフィット感も頼りなかった。激しい動きをすれば簡単に脱げてしまうだろう。

 何より、布が風をよく通すのですぐに体が冷えてしまいそうだった。


 クロウを待っていた使用人たちは、更衣室を出た彼女を見るなり世辞を言おうと待ち構えていた。

 更衣室のカーテンが横にシャーと音を立てて開かれ、クロウが現れた。

 カーテンの音と共に歓声をあげようとする侍女たち。

 しかし女たちは次の瞬間に口ごもってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る