4-8

 老賢者は話を続ける。

「どこまで話したかな……。そう、あの男のことだ。過去にも、幾度か転生者がこの世界を訪れた……。その度に世界を変えた。新しい何かをこの世界に伝えることで……。あの時も、我々はそれを望んだ。長い戦に終止符を打たんがために……。だがあ奴は世界を変えたのではなく、狂わしおった……。当初、多くの者は新しい幸がもたらされたと喜んだ。事実そうだった……確かに新しい幸福はあった。あ奴は法術や魔術の知識を平民にも広め、その力を別のものに応用し始めた。簡単な術なら今では種族さえ問題なければ誰でも使えるようにな……。それまでは火を起こす術は火を起こすことそのものに意味があった。しかしあ奴は釜戸を焚くためにそれを使用し、さらに工場を動かしより多くの鉄を作り出すことに成功した。おかげで産業の規模はそれまでに考えられん程の大きさになり安価な武器が人々に広まった……。しかし……あの男が去ってから、あ奴がもたらした不幸が明らかになったのだ。取り返しのつかない不幸がな……。奴はこの大地に血の雨を降り注がせ、そしてその大地からは金の木が生えた。だが金の木の生える木は大地から絶え間なくマナを奪い、妖精たちも森から姿を消していった……。それでも我々は新しいものに心を奪われた……。いつしか、我々は我々ではなくなっていった……。ヘルメス、お主の父も昔はああではなかった。目に見えぬものを信じ、形のないものに価値を置く男だった。だが、今はもう目に見えるもの、形のあるものにしか興味がない……。流石に私の力でも、進んだ時計の針を戻すことはできない。もう、やるべきことは終わったのだ……。」


 話し終わると、再び老人の瞳は虚ろになった。


「なぜ、彼はいなくなったのでしょうか?」

 ロランが訊く。


「さぁ、飽きたのかもしれんな……。」


「飽きた……のですか?」


「さよう。戦場にいる時もそうだった。まるで、新しいおもちゃを与えられた子供のような目をしておった。戦場であんな目をする者を、私は見たことがない……。戦争が終わった後も、世界を変えること自体にあの男は愉悦を感じておったようだ」


 ロランがクロウを見た。

 クロウは黙ったまま表情も動かすことができなかった。


「ディオール様、誠に僭越ながら私の考えは少し違います」

 ロランがそう言ったが、老人はロランを見ているのかどうかも分からない表情だった。

「作物を作るために畑は耕され続けなければ畑ではなくなります。また建物も維持する為に建て替えを続ける中で元々の建物とは別のものになっていきます。それと同じように常に人も社会も変わっていかなければなりません。そうしなければ私たちはゆっくりと滅んでいってしまうからです。常に時計の針は進められ、新しくするより仕方ないのです。ディオール様の仰るように、変化は不幸をもたらします。しかし、それは幸福に関しても同じではないでしょうか。古い不幸と古い幸福がそのままではいられなくなったその時に、人々は変革を行うのです。私は彼、転生者がもたらしたものもやはり変化なのだと思います。ただ、それが不必要に急激すぎて、狂っているように思う者がいるのではないでしょうか?」

 目を伏せていたロランはいつの間にか、まっすぐに老人を見ていた。

「私はこの旅の中で彼がこの世界にもたらしたものを見てきました。そしてそれは屋敷で伝え聞くものとはまるで違うものでした。私はこれまで彼のもたらした幸福の中だけで生きてきたのです。しかし今現在、都の外では多くの人々が貧困に、それも過去の物とは違う形の窮乏の只中にあります。ならば次は私たちがさらに変化を起こしより良い世界に近づけるべきではないでしょうか。私たちは否応なく託された者です。ですが、だからといって沈黙するわけにも歩みを止めるわけにもいかないのです」


 老人は今でははっきりとロランを見ているようだった。

「屋敷におった頃のお主だとは思えんな……一体何があった?」


「東方の国の諺通りですよ、御老体。“男子三日会わざれば刮目してみよ”とね」

 そうクロウが言ったが、老人はクロウを見なかった。


「そうか……だが、いったい私に何ができるというのだ? 私はもう、世俗のことに、特にヘルメスに関わる気になれん……。」


「ご存知と思われますが、兄、ヴィクターが後継者争いの最中に命を落としました。そして私の双子の兄、ロルフも病に臥せっており、医者が言うには時間の問題だということです。しかし、だというのに父は私を後継者として認めようとしません。私が今回……。」

 ロランは言葉を少し喉に詰まらせた。

「私が今回、“女”であるにも関わらず後継者の試練に名乗りを上げたのは、父に私がヘルメスの後継者足り得るということを証明するためでした。ディオール様に何事かをしていただこうというのではありません。父は貴方がいなくなったのは見捨てられたと考えていて、エルフとして自分の存在に危機感を抱いているだけなのです。屋敷にお戻りいただくだけで、父は満足することでしょう。もちろん、お知恵を貸していただけるならばそれに越したことはないのですが……。」


「……なるほどな。しかし……私にそれをやる意味があるのか?」


「どうせ老い先短いのなら……後は死に方の問題ではないでしょうか、御老体?」

 クロウが言うと、ようやく老人はクロウを見た。


「……クソガキが」

 老賢者が皮肉めいた笑顔から、怒りを最後っ屁のように胸の内からひり出していた。



 老賢者の旅の支度を待つ間、クロウたちはサマンサの用意したお茶を飲んでいた。


「あっ!」

 お茶を飲み終わり安心しきっていた所、クロウは大変な事を忘れていたのに気づいた。


「どうしたんだいクロウ?」


「……帰りをどうしようか」


「……あ」


 馬も二頭しかいない。歩いて行こうにも老賢者はあの体だった。何よりゴブリンの心配もあった。


「ご心配には及びません……。」

 頭を悩ませているクロウたちに、ティーセットを片付けながらサマンサが言った。

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