4-6

 クロウが気がつくと、壁の上の方ではサマンサが壁と直角にして立っていた。

 妖術の類ではなく、クロウが平衡感覚を失っているのだ。


「クロウ……!」

 そう言うロランがうずくまったままだったので、クロウは気を失ったのは一瞬だということを知った。


 相変わらずの冷たい目でシスターが言う。

「神に仕える身であるワタクシが倒れた人間に手を加える事はありません。そのまま倒れていなさい」


「……神に使える身なら、そもそも人を足蹴にしない」


 クロウは体を返して空を仰いだ。

 灰色の空には高い所で鷹が舞っていた。

 ――ハゲタカが私の肉をもうあさりに来たわけじゃあるまいな。

 クロウは湿っている土を左手で掴んでパラパラとそれをほぐした。

 意味のない思考と意味のない行為をしながら整理する。

 本命は後回し蹴りではなかった。

 本命は、後ろ回し蹴りを空振りさせた後、大外から回ってくる左の廻し蹴りだった。

 距離と当った位置から、上からの振り下ろすような蹴りだったことも察する。

 サマンサの関節の可動域にクロウは素直に感心した。

 死角からの攻撃はかなり深刻なダメージだったが、同時に無理な体勢からの蹴りなので決定打とは言えなかった。


 クロウは大きく呼吸をして言う。

「……私のシナリオはこうだった」

 起き上がらず仰向けのままだった。

「超強い戦士である私はお前さんの攻撃を器用に避け続け、隙をついてから剣を寸止めをする。お前さんはすぐに彼我ひがの差を察し頭を下げ、偉大なる戦士である私を丁重に老賢者のところへ案内する。何だったら紅茶を振舞ってのティーパーティーと洒落しゃれこんでもいい。ジャム入りの紅茶なら尚の事いいね、好物だ。私は自分の剣の術理を解説し、お前さんは私に羨望の目を向け非礼を詫びながら私の武を褒め称えるんだ。“ワタクシなどアナタの足元にも及びませんわ”などと互いに世辞を言い合いながらね」


「……もしかして時間稼ぎをなさっています?」


「ああ、そして少しばかり回復させてもらったよ」

 と、言いながらクロウはゆっくりと起き上がった。


「呆れた。もしワタクシが倒れている間に攻撃していたら、貴女の命はなかったというのに」


「私もそう思う。だがお前さんはそうしなかった。それが全てさ」


 クロウは構えを変えた。

 大きくではなく小さく、体を絞り込むように腕を体の前で交差させ刀を握った。

 サマンサは怪訝けげんな顔をしたが、構えを変えることはなかった。


「……手心を加えたのは失敗でしたわね」


 当たり所が悪ければ脳震盪のうしんとうでは済まなかったはずだ。

 しかしサマンサはそれを手心と断言する。

 彼女の清々しい自己完結ぶりに、クロウは好意を抱きそうになっていた。


「加減ならこちらも同じさ……シスター、ここから先は地獄だぞ?」


 クロウが踏み込んだ。

 これまでの体全体を利用した斬撃ではなかった。

 左右の握りの振りのみを利用して、最小限の斬撃を矢継やつぎ早に繰り返し進撃する。


「!?」

 サマンサの顔色が変わった。


 クロウの狙いは後の先ではなく、ひたすらの先の先の先だった。

 骨を断たずにひたすらに肉を切り続ける。

 向こうが反撃に転じようと手足をだそうなら、そこが防具の上からでも刀を叩き込む。

 上手く防具の以外の所に刀が当たれば刀を引いて皮を切る。

 その数多の斬撃の中で、クロウの剣筋は本命の体の内側部分、動脈と腱に近づいていく。


「うっ!」

 サマンサがうめく。

 クロウの絶え間無い斬撃は彼女の柔肌をなます切りにし、銀色の具足は滴った血のせいで次第に赤く染まり始めていた。

 痛みに耐えるにも体力が要る。サマンサは着実に体力を奪われ呼吸を荒くした。


「私たちの稼業では思いやりなんてのは命取りだ。倒れた一瞬のうちに私の頭を潰しておくべきだったな」


 サマンサの構えが変わった。

 それは構えというより命を守るためだけの体勢だった。

 戦意はまだ見えるが、はた目からは勝負はついていた。

 試合ならば審判が続行不可と看做みなし、終了の合図を送っていてもおかしくはなかった。


「どうしたね、許しを乞うかね? 聖職者を切るのは流石に無頼の身でも後味が悪い。今から手当すれば来年の夏には水着がきれるぞ?」


「ご冗談を、我らが祈るのは神に対してのみ。アグリコル派の武はその為に受け継がれてきた我らの矜持きょうじ

 痛みで震える手をまっすぐに伸ばし、再度サマンサが構えを取る。

 しかしそのせいで、より一層出血が酷くなった。

「修道服は不退転ふたいてんの心意気、我が会の修道士は袖を通したその時から死を覚悟しております」


 サマンサの強がりにクロウの獣性が反応する。

 冷たい殺意が刀身からほとばしっていた。


「それに……奥の手を隠しているのは貴女だけではありません」

 そう言ってサマンサは震える手を傷口にかざした。

 すると、その部分が青白く光り、切り刻んだはずの肌が元の状態に戻っていった。


治療術ヒーリング!?」

 クロウが驚いて言う。


 汗が張り付いていたが、得意気にサマンサが言う。

聖職者クレリックですのよ? 殴る蹴るが華ではございません」


 クロウが驚いたのは、治療術ヒーリングを見たからではない。同じものを教会で見たことはあった。

 クロウが驚いたのは、その回復の早さだ。

 クロウが記憶する限り、神官たちは長々とした祝福の祈りを必要としていたはずだった。

 傷をすべて治し終えたサマンサは、打って変わって踊り子のように体を廻しながらクロウに躍りかかってきた。


 跳躍からの二段廻し蹴り。

 それを避けてからクロウも斬りかかる。

 サマンサはバク宙で仰々しくクロウの攻撃を避けた。

 そして着地とともに前宙からのかかと落とし。

 確かに今度は間違いなく頭がかち割られそうだった。

 クロウは伸びてきた蹴りを横にかわし、太ももに斬り込んだ。

 サマンサは顔を歪めるが、すぐに祈りなしの治療術ヒーリングで傷口を治した。


「……無駄ですよ。貴女がいくら攻撃を仕掛けようと、私はいくらでも回復ができるのです」

 サマンサが動きながら無理にしゃべるので、息も絶え絶えに言った。

 

 クロウも余裕を見せようと息を切らしつつ笑う。

「それはそれは、修行時代にお前さんがいたらきっと助かっただろうね」


「きっと鍛錬では傷が耐えなかったのでしょうね、この技量ですから」


「ちと違う。いくらでも切り刻める肉人形が欲しかったってことさ」


「はんっ!」

 サマンサが笑い飛ばしながら再び挑みかかってきた。

 紫色の瞳が爛々としていて、より生き生きしていた。


 再び飛び技が来る思いきや地を這うような水面蹴り。

 クロウはギリギリで避けるが、水面蹴りは二連撃だった。

 二段目で足をすくわれて転んでしまった。

 下手に堪えるよりも、敢えて勢いをつけて地面を転がり距離を取る。

 ちょうど転げ終わった所にサマンサが無情の踏みつけを入れてきた。

 地面がちょっとした火薬を使ったみたくはじけた。

 仕留め損なった反省か、躊躇なく頭を潰す勢いだった。


 傷は回復できていたが、サマンサの顔が疲れで精気を失っていくことにクロウは気づいた。体力は回復できないらしい。

 シスターが雄叫びを上げた。

 走り込んで跳び上がってからの胴まわし回転蹴り。

 しかし、本人が思っているよりも体力の消耗が激しかったようだ。体の軸がぶれていた。

 クロウはそれを見逃さなかった。

 サマンサの蹴りがクロウの首を、クロウの太刀がサマンサの胴体を狙い、それぞれの攻撃が交差しようとする。

 その瞬間、ふたりの間に影が割り込んできた。

 それは先までクロウが戦っていた木偶だった。

 クロウの刀が幹の真ん中まで切り込んで止まり、サマンサの蹴りが幹の上部をへし折って止まった。


「!?」


 二人とも何が起きているのか分からなかった。


「二人とも、もうやめてくれ」

 ロランが、厳かな声でふたりの女を諌めた。

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