4-5
ダンスのようなステップを踏むサマンサ。
一定の小刻みなリズムは、相手が攻撃すればすぐさま防御に転じ、隙あらば攻撃を仕掛けてくるためのものだ。
クロウの耳が相手のリズムがほんの少し変調するのも聞き逃さぬようピクリと動く。
サマンサの後ろ足に体重がかかる音がした。
――来る。
ほとんどそれまでのステップと変わりない動きだった。
しかし距離が伸びていた。
その勢いに乗ってサマンサはクロウの左足のふくらはぎをローキックで蹴ってきた。
前に出ている左足での蹴り。本来ならそこまでのダメージは無い。
だが具足のせいでダメージというより痛みをクロウは感じた。
クロウが前に出ると、サマンサは同じくらいに後ろに下がった。
クロウが止まるとまた前に進み出ての蹴り。
相手のストレスが溜まる戦い方だった。
クロウは下手に前に出なければ蹴られないだろうと予想する。
するとサマンサはクロウの表情を読み取って連続して同じ蹴りを入れて来た。
クロウが痺れを切らして自分から積極的に前に出るがやはり同じ程度に後ろに下がられる。
諦めてクロウが足を止めると、今度はタイミングを見計らっての右の廻し蹴りが来た。
関節をしっかり狙っていた。
蹴り終わった足が前に出て左構えになる。
左構えから、スナップを効かせた右のジャブを連続でサマンサが放つ。
足を踏み込ませ、しっかりと体重を乗せている。
しかも鉄甲のせいで痛みも大きく、あまりもらうと顔が腫れ上がりそうだった。
クロウが攻撃しようにも、刀の軌道の邪魔をするように手を置かれて上手く切り込めなかった。
そして意識が上に向くや左の廻し蹴り。
そしてまた右構えに変わっている。
――やりにくい相手だな……。
「……申し訳ないのですがシスター、いかんせん急いでいるのです。ワルツを踊りたいなら暇なときにお誘いいただければお相手できるのですが?」
効くとは思えないが、クロウは一応の挑発を試みる。
「蹴りが堪えたからといって安い強がりはおよしなさい」
「蹴り? ああ、先ほどから蹴られておられたのですか? 何か人の足を撫でてくると思っていたら……随分と奥ゆかしいのですねシスター? 私はてっきり……いや失礼」
クロウはこんな状況だが思わせぶりに、意図的ないやらしい笑いを浮かべた。
「てっきり、なんでしょうか?」
無垢だったためか、意外にもクロウのわざとらしい演技にサマンサは反応した。
「いや聞き流して頂いて結構。ああ何と罪深い、こんな妄想をしてしまうだなんて!」
「……はっきり仰ったらどうです? 貴女の稼業ではまどろっこしいのは悪徳なのではなくて?」
「いえ、本当に下種の勘繰り以外なにものでもないのです。シスターの禁欲生活が長いから……その」
「その?」
「女相手に欲情しておさわりに熱心なのかと」
世間話程度の挑発のつもりだった。
こんな思い付きの、何のひねりも無い悪態に大の大人が乗るわけがない。
「汚らわしい……!」
だがその挑発でサマンサの冷たかった目がより冷たくなった。
北海付近のトナカイすら立ったまま凍りつかせるほどの、殺意をはらんだ寒波のごとき攻撃的な冷たさに。
クロウの思った以上の効果があったようだ。
サマンサが右構えと左構えを交互に変えながら間を詰めてきた。
ヒット&アウェイではなかった。
仕留めに来ている。
左右の布石のようなスナップを効かせた軽いワンツー。
やはり意識をそらせるのが目的だった。
そして下段の大振りの右の廻し蹴り。
――この勢いなら止めて次の構えに変えるのは無理だ。
クロウは左足を上げて流すように蹴りを受ける。
流したとはいえ、かなりのダメージがあった。
サマンサの体勢が不安定になる。
彼女の後頭部を、流石に切り落とすわけにはいかないので峰打ちで狙う。
しかしサマンサの勢いは止まらないどころか加速した。
寒気がした。
下段の蹴りは囮。
本命は、その勢いで放たれた中段の左の後ろ廻し蹴り。
クロウは慌てて体をくの字に曲げて皮一枚でそれをかわした。
掠っただけで皮膚から血が出そうだった。
もう少し踏み込んでいたら腹部の皮をえぐられていただろう。
後ろ廻し蹴りでサマンサが更に不安定になった。
脇腹ががら空きだった。
そこに寸止めで刀を打ち込んでの試合終了。察しのいい者ならそれ以上は無益だと分かるはずだ。
そう結末を予想したクロウの視線は、サマンサの開いた脇腹ばかりを見ていた。
突然、クロウの頭上に強い衝撃が訪れた。
目と鼻から火花が飛び散ったような感覚の後、クロウの正面に黒い壁が突然現れて激しくぶつかってきた。
※※※
某年某所にて
クロウは師に呼び出されていた。
クロウが落ち着きがないのは、未だに慣れない正座をして師に対面しているからではない。
部屋の障子が開いていたので、庭園の隅にある
「女であることは構わん。せめて、
師は、
「何者が反対しようとも、お主に道場を継がせたものを……。」
リザードマンは他の種族と比べても特に表情に変化がない。
しかし、クロウの師の顔に刻まれた陰影は、見るものに彼の
クロウが道場を去る直前の事だった。
この頃には既にクロウと道場で肩を並べる者はおらず、師でさえも老齢からくる体力の衰えから立会いが満足にいく状態ではなかった。
それでもクロウは、師と一緒にいる時にはいつも神経を尖らせていた。
隙を見せてしまえばその刹那、首がはねられてしまうではないかと、冷ややかな妄想を彼女にさせるのだ。
「私がこのままここに留まっても、良い顔をしない者が増えるだけでしょう……。」
隙を見せるのが
「これから、どうするつもりだ?」
「諸国を周るつもりです。私のような雑種には、居場所となるような所はありませんから……。」
師しは「ふむ」、と納得すると目を細めた。
思案しているようだ。
クロウは長いこと彼らと一緒に生活していたので、その頃には彼らの表情を理解するのは苦にならなくなっていた。
「我が流派は、最も古い実戦派だと言われている。だが、実戦とは何か……。」
再び、師は湯呑に手をつけた。
「……先の大戦で、剣術はもはや過去の遺物となろうとしている。いや、それ以前の戦においても、達人が乱戦の中で命を格下相手に落とすということもあった。この国では無双と
師は幽玄な
「お主が身につけた武、それはあくまで基礎に過ぎん。これからの道のりで、それをさらに
クロウは表情の光を変えた。
彼らとの長い付き合いで、クロウもほんの少しの表情の変化で感情を読み取らせるようになっていた。
「それは……礼を尽くし、相手を敬うことだ」
クロウは意識のみで頷いた。
「礼を尽くすというのは、丁寧に振舞うということではない。それは、己の立ち位置を定めるということ。そして相手を敬うということは、相手を知ろうとすること。それが武においては肝要なのだ。……相手を知り、己を知ることで無用な戦いを避けることができる。そして戦いが避けられぬ時は、相手の体と心を慮り……。」
しばらく師は沈黙した。何の表情もない沈黙だった。
「相手の最も不得手とする所作を取り、優位につけ、さらには打ち倒すことができる」
クロウは目の光のみで微笑んだ。
「中々にえげつないことですね」
「武とはそういうものだ」
琥珀色の瞳がぬらりと光った。
「何も知らぬ相手に騙し討ちのように術を使用し、自分の命などは一切差し出さずに相手の命を奪う。まさに
師匠が微笑んでいるのが分かった。
それは、赤子が近くで寝ていたら、静かに息を引き取りそうな程に場の空気を薄くする笑いだった。
※※※
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