第4章 ノーカントリー・フォー・オールドマン

4-1

 翌朝、ベッドの上でクロウはロランと抱き合ったまま目を覚ました。

 クロウがロランを見上げる様に見つめると、ロランも気づいて目を開いた。


「もしかしてずっと起きていたのか?」

 タイミングが良すぎることの照れ隠しでクロウが言う。


「いや……まぁちょくちょく起きてたかな」

 ロランはそう言って、クロウの髪を撫でた。

「……寝ている君を眺めないのはもったいないから」


 クロウは喉を鳴らすように笑い、ロランの胸元に頬をすりつけた。

 エルフ特有の絹のような滑らかな肌は、クロウが今まで触れてきたものとはまるで違った。女の冷たい体は、事の終わりに重ね合わるには丁度よかった。


 ロランはクロウの体に指を這わせた。

 ロランが自分の古傷を触っているのが分かった。

「大体が修行中についたものだよ……。」


「こんな酷い傷を?」


「リザードマンの国で修行したんだ、五年ばかり……。」

 クロウはロランの胸元で顔を上げた。

「彼らにとっては私は女じゃなくてフェルプールの雌だったからね。手加減なんてなかった」


「……大変だったろうね」


「いや、逆に感謝している。おかげさまで覚えが早かった」


「なぜ、リザードマンの国で?」


 クロウが自分のベッドを見る。そこには白鞘の刀が立てかけてあった。

「あの剣、この周辺の国では使われていないんだよ。この国の剣術では活かせない。で、そんな時、人づてにリザードマンの国でよく似た物が使われていると聞いたんだ」


 ロランも刀を見た。

「あの剣は?」


「父親の形見さ」


「……そういえば……君の父君、転生者だったんだね」


 クロウは鼻で微笑する。

「最初から知っていたろう? 雑種といえば転生者がらみ以外ありえないんだ」


「ああ、まあ……。」


 眠ることはなかったが、クロウはまたロランの胸元で目を閉じた。足と足を絡め、掌でロランの肌を堪能する。


「その……やっぱり父君のことを恨んでいるのかい?」


「恨んでる? ……どうだろうね」

 クロウはロランから離れて天井を見た。

「好きじゃあないよ、もちろん。父も母も。父は私が生まれる前に母を捨てたし、その父との思い出に生きてた母はいつまでも私の母になろうとしなかった……。でもね、恨んでいるかというとそこまでじゃあないな。人の心ってのはどうしようもうなくそうならざるを得ない事がある。苦しみや悲しみ、耐え難い何かと寄り添うためにはね。それこそ貝が激しい流れに耐えるために殻を固くしなければならないように。母にはきっと父との思い出に生きざるを得ない何かがあったんだよ、私にはわからない何かが。それはきっと一生分かることはないだろうし、いつか分かった気になったとしても、それもやはり本当のことじゃないだろう。そしてきっとそれは母も同じことさ、私の生き方など、例え母が生きていたとしても理解できないだろうし、理解してもらおうとも思わない。だから私たちは対等で、お互いから自由なんだ」


「……自分の母親なのに? 普通娘だったら、もっと母親に理解してもらいたいとか、母親を理解したいと思うんじゃないのかい? もっと構ってもらいたかったとか」


「母と娘というのはそこまで面倒な関係なのか? 私は彼女から、たかだか子宮を十月十日間借りしてただけだぞ?」


 ロランは驚いて首を少し持ち上げクロウを見た。

 クロウは笑ってその顔を見る。


「もちろん、私だって天涯孤独だったわけじゃない。親戚には、特にディエゴのお袋さんには世話になったよ。突き放したものの言い方をしたが、結局母親がわりの彼女がいてくれたおかげで私はまっとうに……育ったのかな」


「素晴らしい人だったんだね……。」


「ああ、村では今でも尊敬されてる。まぁ、その息子のディエゴの部下を数名斬っているんだがね」


 ロランが笑っていいのか驚いていいのか微妙な顔をする。

 クロウは冗談だよと言いたげに笑ったが、だがそれは冗談ではなかった。


「ぼくは……もう少し早く君と出会うべきだったんだ……。」


 クロウはそう呟いたロランを見た。

 てっきり恋人同士で交わされるような軽い口説き文句だと思った。しかし、ロランの顔には自分の長い人生を振り返っているような深刻さがあった。


「ロラン?」


「ああ、いや。何でもないんだ」


 ロランがそう言ってまたクロウに口づけをしてきた。

 その口づけは、何かを封じ込めるような、目的を感じるものだった。

 突然の恐れや哀しみすら感じさせる情動を、クロウは軽く拒もうとする。だが、ロランはより一層強くクロウの体を引き寄せてきた。

 首筋に跡が残るほどに強く唇を当て、乳房を掴む手は昨夜より強くなっていた。

 クロウは少し戸惑ったが、ロランを引き寄せ岩場での夜のように胸に迎え入れ髪をなでさした。

 しかしあの時と違い、今のロランは病床の子供というより懺悔に来た罪人のようだった。


 ロランと抱き合いながらクロウは再び浅い眠りに落ちていった。

 まどろむ意識の中でクロウは夢を見ていた。

 それは幼い頃、村のみんなからのけ者にされているクロウに、エルフの少年が手を差し伸べてくれるというものだった。

 夢のはずなのに、クロウにとってそれは過去の記憶を探っているような現実感があった。


 日もだいぶ上がって来たので、朝食を取るためにクロウはベッドから出た。

 ロランの方は、まだベッドの上で丸くなって座って、物思いにふけっていた。


「どうしたんだい?」


 ロランはその問いにすぐには答えず、じっと虚空を見いていた。

 そしてクロウに視線を移して言った。

「君に体の半分を持っていかれた気がする」


「それはそれは」


「そして……。」

 ロランは自分の体を強く抱きしめた。

「もう半分が君になった」


「ではいずれ利子をつけて返してもらおうか」


 クロウの冗談に、ロランはクスリと微笑み膝の間に顔をうずめた。


 往々にして、童貞を捨てた男というのは世界に自らを容認された気になるものだ。エルフとて例外ではないのだろう。クロウは感慨深げに扉に手をかけた。


 クロウが外に出ると、音もなく雨が降っていた。

 霧雨にしては濃いが、避けるほどに大げさではなかった。

 クロウは肌着姿のままで外に出て水浴びを始めた。

 間もなくクロウの肌はしっとりと濡れ、肌着も水を含みぺったりと肌に張り付いた。

 クロウの体のラインは浮きだち、透けた布が所々彼女の肌を露わにしていた。

 クロウは優しく擦るように肌に付いた水を払い落とす。

 ポーチでは、ロランがロッキングチェアに座りながらそんなクロウを見ていた。


 クロウは耳と鼻を澄ます。

 土の匂いに木々の匂い、霧雨が風よりも重くその匂いを運んできていた。

 遠くからは祭りの名残の匂いと、実に多くの情報を霧雨はクロウの鼻に届けていた。

 そして、死の臭いさえも。


 クロウは何食わぬ顔でロランのいるポーチまで戻った。


「どうしたんだいクロウ――」


 クロウはロッキングチェアで本を読んでいるロランの上に跨った。

 ロランが驚いて身をすくめる。


「フェルプールの女の口説き方を?」

 クロウが顔を近づける。


「……いいや?」

 ロランが頬を赤くして目を背ける。


「私たちは猫なんだよ、だから後を追いかけちゃあいけない。あくまでその気がないように振舞うんだ」


 クロウがそう教えると、ロランはクロウに興味がないように本を読み始めた。クロウが上に跨っているので、随分と読みにくい体勢だったが。


「これでいいのかい?」


「そう……そうすると、私たちは構ってもらいたくて自分から擦り寄ってくるんだ」

 そう言うと、クロウはロランと本の間に体をこすりつけながら潜り込りこんだ。

 ロランの眼前に顔を出すと、ロランから本を奪いロッキングチェアの横のテーブルに置く。

 クロウは甘噛みするように耳に口を近づけ囁いた。


「ゴブリンに囲まれてる。全く気付かないふりをして、さもの続きをやるように、自然を装って部屋に戻るんだ」

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