3-13

 ――クロウたちが霊廟れいびょうへ向けて森を出た日の正午。


 ソニアはロランから採り出した血を精製する素材をそろえるための買い物から帰るところだった。

 魔女である彼女は魔法で鳥を使役し、鳥の群れに紐を繋ぎブランコの様な椅子を取り付けて空を移動していた。

 しかし昨夜と打って変わって、今日の彼女は11歳くらいの少女の姿だった。

 服装も、裾と袖の短い赤と黒のタキシードで、足はすっぽりと縞模様のニーソックスに覆われている。

 頭には頭を大きめのリボンで飾るなど可愛らしさを演出しており、昨夜の淫靡さとは正反対である。

 昨夜の彼女とは同一人物どころか、親子とさえ誰も思わないだろう。


 館の前に降り立つと、玄関の前でソニアはすぐに異変に気づいた。

 扉の鍵が壊されているのだ。

 だが彼女とて魔女である。コソ泥程度ならば魔法で撃退することができる。

 ソニアは慎重に、詠唱なしで魔術を発動できるよう、体中のオドを高めた。


 玄関の扉を開けて入室する。

 

 ――暗い。

 

 ソニアは懐から光の精霊ウィル・オ・ウィスプを宿した薬剤を取り出し室内に放った。


 ウィル・オ・ウィスプが弾け、一瞬強烈な光を放ち室内を照らす。


 明るくなった室内、その扉のすぐ横に槍を携えた二体のゴブリンが彼女を待ち構えていた。


 ソニアに槍を突き出すゴブリンたち。


 だが槍が届くと思ったその瞬間、ソニアの姿が魚眼レンズの如く歪んだ。


 槍の穂先は音も衝撃もなく彼女から外れ、刃物でやるよりも遥かに鋭利に切断されて床に落ちた。


 ソニアはその二匹のゴブリンを一瞥すると、その二匹に向かってリズミカルに指でスナップを打つ。


 するとソニアの右にいたゴブリンの顔の半分が巨大なスプーンで杓ったように消え去った。

 左にいたゴブリンは顔面の真ん中にぽっかりと穴が空いて絶命した。


 他の二匹の失敗を見て、さらに天井の梁からも一匹のゴブリン飛び降り剣を突き刺そうと襲いかかった。


 ソニアはそのゴブリンに向かって掌をかざす。

 ゴブリンは空中で停止した。

 さらにソニアが掌を握り締めると、その動きに合わせてゴブリンは体中の骨が砕かれる音と共に丸められ肉団子のような肉塊に変貌した。


 幼く可憐な少女の容姿だった。

 しかし、真っ赤な瞳を暗く妖しく輝かせながら拳を固く握りしめ関節を鳴らす様は、「妖しの森の魔女」「虚空を弄ぶ悪女」の二つ名にたがわないおどろおどろしさだった。 

 

 ソニアはゴミを処分するように、肉塊になったゴブリンが床を汚さぬよう、スナップを放ち跡形もなくその肉塊をこの次元から消し去った。


「邪魔してるぜぇ」

 ソニアの立ち回りが終わると、ダイニングの真ん中のテーブルでバクスターがランプの灯りを頼りに手下とチェスをやっていた。

 とはいえ、チェスをやっているのはバクスターだけだった。対面に座る手下はルールを理解しておらず、不可解な顔をしながらチェス盤を眺めていた。


「驚いたのです、ゴブリンがこんなところまで来るなんて」

 笑顔ではあったが、ゴブリンとチェス盤という不釣合いな組み合わせは百年以上生きているソニアにも目新しく奇異だった。


「アァンタが妖しの森の魔女か?」

 バクスターが問いかける。

 だが、ソニアが答える前にバクスターは

「だぁからよルークは斜めに動かねぇんだって何度も言わせんなよぉ!」

 と、手下を叱責した。

「あ~すまねぇ、勝手に遊ばせてもらってるぜぇ?」

 バクスターの頬の傷がえぐられるようにつり上がった。

「けどよぉ、こぉいつら全然覚えてくれねぇんだ。まいっちまうぜぇ」


 今まさに三匹の手下が不可思議な魔法で残酷に始末されたばかりだった。

 だというのに、バクスターはそれを夕飯の支度時に子供の喧嘩を見る母親程度の興味しか示していないようだった。


 しばらく盤を眺めた後、再度バクスターが視線を動かさずに訊く。

「アンタが魔女か?」


「……お師匠様はお出かけ中なのです。多分数日は戻らないのです、気まぐれな方ですから――」


 バクスターがソニアを睨んだ。

「とぉぼけんじゃねぇよ。家の中は調べさせてもらったぜぇ? この家はどう見ても一人で生活してる形跡しかねぇ。それに今の立ち回り、だとしたら……今帰ってきたアンタが魔女だって考えるのが普通じゃねぇか?」


「キミは……ボクが魔女に見えるのですか?」


「というよりも、俺は魔女を見たことがねぇ」

 バクスターは懐からバタフライナイフを取り出した。

「なぁ、無駄なやり取りは止そぉぜぇ?」


 ソニアは体の中のオドの流れに意識を集中し始めた。再度詠唱抜きでいつでも魔法を発動できるように。

 いかにゴブリン達が素早く襲いかかろうと、彼女はそれよりも早く次元転移の下位魔法ロウ・ブロッケナを放つことができる。

 下位魔法といえど、妖しの森の魔女が使えば先ほどのように十分な殺傷能力を持つのだ。

 瞬時に発動できる西瓜ほどの次元転送の球体は物理的防御不可能。触れた箇所を球体の体積分、亜空間に飛ばすことができる。


「……何の用です? ボクは大金を貢がれたりしても気に入らないお仕事は引き受けないのです」


 バクスターは、ほほうと目を輝かせ上半身をソニアに突き出した後、チェス盤を反転させ自分の側がチェックメイトになるように配置する。

「なあ、アンタなら……こっからどう逆転するぅ? んんん?」


「……無駄です。もう詰んでいるのです」


 そうソニアが言うや否や、バクスターはバタフライナイフを掌で数回踊らせた後、チェス盤に思い切りナイフを突き立てた。

 チェスの駒が部屋中に四散する。


「アンタァ頭固いぜぇ、こうすりゃあ御破算ごはさんさぁ」

 バクスターはナイフを引き抜き得意げに自分の頭をチョンチョンと叩いた。

「ルゥールに縛られちゃあ新しい世界は見えないんだぜぇ? 転生者だってそうだろぉ? アイツはルールをぶっ壊して新しいルールに他の奴らを乗せたんだぁ。つまりぃ、ルールを無視するのもひとつの手だってことをアイツは発見したのさぁ」


「脅してるのですか? 無駄ですよ。もしボクを死なせなんかしたら、キミたちはこの森から一生出れないのです。魔女の呪いは法術と違って死んでからが恐いのです」


 バクスターが眉間を釣り上げた。

 椅子から飛び降りてヨタヨタとソニアに近づき、狼が獲物の匂いを嗅ぐように魔女の隅々まで眺め始めた。


「そいつぁ面倒だぁ。んじゃあ友好的に行こうとするかぁ。アンタに何を支払えば仲良くなれるんだ?」


「そうですねぇ、呪術に使うゴブリンの頭蓋骨が良いですね。もし、用意してくれるならの話ですが。キミの部下はやり過ぎて使い物にならなくしてしまったのです」


 ソニアがキヒヒッと笑うと、バクスターは驚いたようにたじろいだ。

 しかしいかにもそれは演技臭く、本気で驚いているようには見えなかった。


 バクスターは困ったように考える演技をした後、

 「アボット……」

 と、チェス盤の前に座っている部下を呼び寄せた。


「へぇっ!」

 と、アボットと呼ばれる手下がバクスターのもとに駆け寄る。


 バクスターはその手下の肩に腕を回して耳元で囁いた。

「なぁ聞いたか? この魔女っ子はゴブリンの頭蓋骨がご所望なんだとよぉ。足元見てくれるよなぁ……」


「ふぅざけてますぜ、頭ぁ」


 バクスターは回した肩をさらに強く抱き寄せ手下を振り回す。

「だよなぁ、ふざけてやがる。ゴォブリンの頭蓋骨なんてなぁ~、一体どこにあるってんだよなぁ? ああん?」


「へぇ……」


「いや、待てよ」

 バクスターがわざとらしく考え、やはりわざとらしく何かにひらめいた表情をする。

「よくよく考えりゃあここは……ゴブリンの頭蓋骨だらけじゃねぇか?」


 嫌な予感のするアボットは周囲を見渡す。仲間たちは真顔で彼を見ていた。


「あの……頭?」


「アボット、英霊の列で待ってろぉ……」

 バクスターは完全に手下が察する前に、空いた腕を振り回してボディブローのようにアボットの腹にバタフライナイフを突き立てた。

 一度や二度ではなかった。

 腹、胸、下腹部と、何度も親の敵であるかの如く、数分前までチェスを一緒にやっていたはずの手下に刃を突き立てた。

 手下が床に倒れ丸まって背中を向けると、今度はその背中に幾度もナイフを突き立て続けた。


 百年以上生きているはずのソニアでさえ、その光景の意味が理解できなかった。

 殺意や敵意、憎悪など何も感じられない。

 それにも関わらず、このゴブリンは一体何に激昂しながら仲間に刃を突き立てるのか。

 それは彼女の知る仕組みの世界で起こっている出来事ではなかった。

 さらに、周囲の部下たちもそんな自分達のリーダーの行いを、厳かな面持ちで見ているのだ。まるで、重要な儀式の最中であるというように。

 もしもの時のために昂められていた彼女のマナが、平常なものへと戻っていた。


 散々手下に刃を突き立てたあと、バクスターは一仕事が終わったかのように尻餅をついて倒れこんだ。

 天井を仰ぎながら恍惚と大きく呼吸をしていた。

 魔物は微かに笑っていた。


 バクスターは息を切らせて垂れた前髪をかき上げながら立ち上がり、

「ほれぇご注文の品だぜぇ?可愛子ちゃんマイ・ベイブ。出来たてホヤホヤさぁ」

 と、息絶えているアボットの体を、屠殺したばかりの獲物をそうするようにパンパンと叩いた。

「使ってやってくれぇ、コイツも喜ぶ」


 しかしソニアは唖然として何も言えない。

 そんな彼女にバクスターが、しょうがねぇなと近づいて来る。


「なぁ、俺たちは誠意を示したんだぜェ? 無駄にしれくれるなぁ? じゃなきゃあよぉ……コイツが何のため死んだかわかんねぇよぉ」

 突然バクスターは切ない声を出した。一切の演技もない本物の哀れみだった。

 それがソニアをおののかせた。


「……ボクに何をさせたいのです?」


「エルフと雑種の雌猫の二人組を追っている」

 バクスターは再び椅子に飛び乗り横目でソニアを睨んで言った。

「ここに来たことは分かってんだぜぇ」


 ゴブリンに負けるなどということはありえなかった。

 しかし、目の前のこの魔物は、彼女の想定の範囲を上回る何かをやってのけそうな不気味さがあった。


 ――転生者殺し


 クロウの話によれば、このゴブリンはそれを持っているのだという。

 隠居生活が長く世間とあまり関わらないため、彼女も直接見たことはなかった。

 しかし、その爪痕を目撃したことが過去にはあった。

 かつてエルフ・人間の連合軍と最大勢力で敵対していた黒王軍の国に転生者が使用した謎の兵器、“もうひとつの太陽”。

 その兵器が使用された国王軍の国では、建物が巨大な麺棒で伸ばしたようになぎ倒され平たくなり、大地はガラス状に溶けた。

 そしてそこに住まう者が謎の病に侵され次々に死んでいくという光景を。


 まったく別の理を持つ武器。

 それをこのゴブリンが所持しているという事実は、黒魔法を極めた彼女にさえ死の予感を感じさせた。

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