3-9

 現れたのはクロウの見覚えのある老婆の姿だった。

 金髪は灰色混じりの白髪になり、肌は所々シミが浮かんでいる。シワについては言うまでもなかった。

 体中が萎んでしまったので、豊満な胸を覆っていた部分がスカスカになっていた。

 洗濯板のように胸骨の浮いた胸元と、パン種みたく垂れ下がった乳房が剥き出しになっている。


「汚いもの見せないでくれ……」

 クロウとロランは目を逸らした。


 老婆がふん、と言うと今度は桃色の靄に包まれ再び体が潤いを取り戻し始め元の妙齢の女になっていった。


「その時の気分で姿を変えてるの。以前あなたに会った時はたまたま今の姿だっただけよ」


「口調まで変わるんだな」


「知ってる? 精神は肉体の玩具に過ぎないのよ?」

 得意げに女は言う。


「どこの詐欺師の言葉かな」


 女はやれやれといった具合に首を傾けた。

「で、今日は何のようなのかしら? こんな夜遅くに」


「力を借りたい。人を探してるんだが、お前さんの秘術で何とかならないだろうか?」


「あなた、私に何したかわかってる?」

 女の目が据わった。

にひびが入ったかもしれないんだけれど?」


「何百年も生きてるんだ。骨折くらいなんだ」


 女の真っ赤な瞳が暗く光った。

「クソガキ……。」

 怪しげな唇からと悪態が漏れた。

 いよいよ娼婦っぽさに磨きが増していた。


「おや、ガキっていうほど若く見てくれるのか。そいつは光栄だ。まぁ気を悪くしないでくれ、金に糸目はつけない」


「金? それこそ詐欺師の言葉ね」

 魔女は蝿を追っ払うように、鬱陶しそうに手を振った。

「あんなただの金属片に必要以上の価値を見て人は心を惑わせるのだから」


「そう言うと思ったよ。では何を差し出せば動いてくれるんだ?」


「そうねぇ……。」

 女は呟くと、ロランを横目で誘惑するように見た。

 ロランが困ったようにクロウを見る。


「このエルフの生き血をいただけないかしら? エルフの血は魔術にも秘薬の精製にも使えるから」


「え? ちょっと待ってくださいっ。そんな、困りますっ」


「落ち着くんだロラン。別に血を全部取ろうって訳じゃないんだ。……そうだろう?」

 クロウは魔女の方を伺いながら言う。


「そんなこと言ったって……」


「ささやかな程度よ。大丈夫、薬草も何から何まで揃ってるから、傷だってすぐに治せるわ」


「え~~」

 ロランは駄々っ子みたいな表情になった。


「心配するなロラン。ほら、私のここを見てみろ」

 クロウは自分の手首を見せた。

「以前、ここに深い切り傷を負ったんだが、彼女の薬のおかげで傷跡も残らなかったんだ」


 クロウは魔女を見た。


 魔女も突然思い出したように、クロウを横目で見ながら言う

「そうそう、あの時はざっくりいってたわよね。傷口がパクパク呼吸をしているみたいだったわぁ。でも今じゃあ跡形もない」


「分かりました。本当に少しなんですよね?」

 拙い嘘でも、女の嘘にはウブなロランだった。


「もちろんよ」


「妙な動きがあったらすぐに私が止めさせるさ」


 二人に促され、ロランはしぶしぶ血を抜くことを承諾した。


 一旦奥に引っ込んだ魔女が奥の部屋から奇妙な道具を携えて戻ってきた。

 蝶々の口のような鉄製の針とボウル、注ぎ口のない金属製のティーポットのような入れ物をだった。

 魔女はそれをテーブルの上にそれを並べた。

 ロランの腕をまくらせて、二の腕にゴム紐で巻く。腕の血管が浮き出てくると、そこに魔女が針を刺した。

 ロランが少し恐怖していたので、血を抜く間、クロウはもう片方の手を母親のように握って安心させた。

 10分ほどで針は抜かれ、魔女はボウルに溜まった血を入れ物に移し変えた。


「ね、簡単だったでしょう?」

 魔女は妖しさを誤魔化せないものの、優しくロランに微笑みかけた。

「え、ええ。まぁ……。」

 そうは言ったものの、ロランは虫刺されのような針で付いた傷口を心配そうに見ていた。


 次に魔女はすり鉢に数種類の薬草を放り込んだ。

 でそれを潰して半分液状になったものをロランの腕の傷口に塗りこみ湿布でそこを押さえた。

 ロランが不安げに腕を動かし傷口の様子を確かめる。


「よし、差し出すものは差し出したし、次はこちらの要望を聞いてもらおうか?」


「もちろん。人探しだったわよね? その人の持ち物はあるのかしら?」


「ちょうどよかった、ロラン」


「え? 何のことだい?」


「とぼけてるのか? お前さん、館から本を持ってきてただろう?」


「あ、ああ。あの本か。本で、いいんですか?」

 ロランの目が泳いた。


「ええ、持ち物であれば」

 魔女が言う。


「だそうだ」


「どうだったかな、それが……川で流されたかも……」


 クロウはロランを睨んで彼の側に置いてあった鞄をひったくり、本を取り出した。

 ロランが、あっと声を上げる。


「何を躊躇してるんだ?」


「クロウ、あまり彼の持ち物を部外者に見せたくないんだ」


「そういう場合でもないだろう?」

 クロウは本を魔女に渡した。


「これは……」

 魔女が本を手に取りながら言う。


「どうした?」


「なんでもないわ。じゃあ道具を持ってくるから待ってて」

 そう言うと魔女は階段を上がって行った。


 落ち着きの無いロランにクロウが言う。

「そんなに大事なものなのか?」


「彼の本は本当は門外不出なんだ。特に彼女は、魔法を使うという点では余計に……」


「だが言ったように、そういう言う場合じゃない」


「分かってるよ……。」


 少し待つと、魔女が占い用の道具を持って下りてきた。

 羅針盤らしんばんにも見えたが、テーブルの上に置かれたそれは羅針盤よりもさらに多くの針と複雑な文字が刻まれていた。

 針の先には人の顔のついた太陽や月、妙な形の魚や動物を模したものが付いている。

 魔女の道具というのは洒落のつもりでそうなっているのか必要があってそうなっているのか。まったく分からないものばかりだった。


「あなたがかけられたインキュバスの呪いを解くよりは簡単ね」

 魔女が道具を配置しながら意味深にクロウを見る。

「あの時は酷かったものねぇ……」


「あの時ほど雑種であることに感謝したことは無いね。そうでなければ、今頃大家族の肝っ玉母さんになっていたよ」


「インキュバスというのは?」

 ロランが興味深そうに女たちを見る。


「女の過去をつつきまわすもんじゃない。始めてくれ」


 魔女がロランに微笑んでから占いを始めた。

 まじないを呟きながら老賢者の本を撫でさし、そして羅針盤のようなものの針を指で弾いて回す。

 それを何度も繰り返していくと、次に魔女は一緒に持って下りてきた水晶玉の中を注意深く覗き始めた。


「地図はあるかしら?」


 クロウは鞄から地図を取り出し魔女の前で広げる。


「ここから大体距離としては……」

 魔女は鉛筆を取り出して自分たちのいるところを中心に軽く円をなぞって書いた。

「そして方角としては……」

 次に彼女は北北西の位置に印をつける。馬車で二日かかる距離だ。


「ここに山岳部があるでしょう? 彼の気を追う限り、大まかな位置はそこね。そして見える限りだと……ほこらにいるみたいだわ」


「祠……」

 ロランが言う。


「知ってるのか?」


「うん……もう長年使われていない聖地の一つだよ。それこそ戦前から……。しかもそこはただの祠じゃない、霊廟れいびょうだよ。やっぱり……。」


「エルフは本来、老いて死ぬということは無いわ」

 魔女が割って入るように言う。

「エルフが死を迎えるというのは、自分の人生で役目が終わったと思う時か……それか絶望した時だけ」


「つまり……」

 クロウが言う。


「彼は絶望しているのかも知れないわね」


 三人ともお互いに次の言葉を待ち、しばらく沈黙が流れた。

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