3-8

 扉の前まで行くとクロウは馬具をあしらったドアノックを五回大きく叩いた。

「婆さん、いるんだろ!?」


「ちょっとクロウ……。」


「仕方ないさ、年寄りだからこれくらいやらないと聞こえないんだ」


 もう一度ドアノックを叩こうとすると扉が開いた。

 しかし、中から出てきたのは年寄りどころか、妙齢の女だった。

 匂いたつように妖艶な女だった。

 体つきは若さのハリと加齢のたるみが絶妙なバランスにあった。

 ウェーブのかかった金髪は意志を持っているかのように怪しく揺れていた。

 こんな森の中で誰に見せるのか、肩と胸元を下品に露出した真っ赤で光沢のあるドレスで着飾っていた。

 ドレスの布地は今にもはだけて床に落ちそうなのに、まるで意志を持っているように、女にうっとりとまとわりつき危うい状態を保っている。

 瞳はドレスと同じく真紅に輝いていた。ルビーをはめ込んだみたく赤く暗く光るその瞳だった。うっかり長いこと見つめていると石になってしまうかのように、色っぽさを通り越した不気味さがあった。

 鼻を突く蟲惑的な匂いは、男ならば堪らないのだろう。しかし同じ女のクロウとしては少し不快感を誘った。

 呼吸までもが情事のあとのように淫靡な女だった。

 本気を出して誘惑すれば、孤独な独身の貴族などひとたまりもなく城も領地も全て彼女に差し出してしまうかもしれない。

 そんな破滅的な美しさのある女だった。


「……あらこんな夜中にどなたかしら?」

 しかし声は作ったように甲高く乾燥していて、魅力があるとはあまりいえなかった。


 クロウは礼を失すると思いながらも女越しに室内を探りながら言った。

「魔女の婆さんに用があって来たんですが、不在かな?」


「あら、お師匠様のお知り合いかしら?」

 女はわざとらしく手に口を当てる。


「知り合いと言うほどでもありません。数回頼み事をした程度で」


「そうですか。しかし申し訳ありませんが、お師匠様は只今外出しておりまして……」

 女は長いまつ毛を下になびかせながら伏目がちに言う。


「いつごろ戻られるのかな?」


「それが……お師匠様は気まぐれでして。一旦お出かけになると、数ヶ月はお返りにならない場合も……。」


「数ヶ月……ときたかい」


 まったく、最近の年寄りの間では徘徊が流行っているとでもいうのだろうか。このままでは手元にあるランプ並みの灯火が消えてしまう。

 クロウがまいったなぁと呟き頭を掻く。


 赤いドレスの女が伺うように言う。

「お客様方、どのような御用向きでしょうか? 修行中の身ですが、もし私でよろしければお役に立てるかもしれません」

 女は扉をより大きく開いた。

「お入りになってお聞かせ願いませんか?」

 そして女は二人を中に誘った。


 クロウたちが通されたのは、棚に薬草や書物がひしめき合っているものの真ん中に丸テーブルと椅子の置かれた居間らしき部屋だった。

 異形の骨や人間の顔のような植物の真ん中に、赤いドレスの女がいるのはとても奇妙だった。


「そこにお座りになって。今お茶を淹れますから」


「どうぞおかまいなく……」

 ロランはテーブルについた。


 クロウは去っていった女の後姿をしばらく眺めた後、その隣に座った。


「ここは魔女の家なんだね……。」

 緊張した面持ちでロランが言う。

 エルフにとって、外法である魔術を使う魔女は好ましい存在ではなかった。


「ああ……。」


 ふたりはそれ以上は何も話さずに座っていた。

 ほどなくして、女が盆にティーセットを乗せて運んで来た。

 別室で香水でも振り掛けたのだろうか。先ほどの女の匂いは粘つくように、より強くなっていた。


「お口に合うかどうかわかりませんが……。」

 女は既にお茶の注がれたティーカップをクロウたちに配り始めた。

「私が調合したハーブです」


「素敵な香りですね」

 ロランがティーパーティーの始まりに相応しい上品な笑顔で応えた。


「さあどうぞ、召し上がってください」

 女が席に着きそう言って、自分のカップを取ろうとした。


「以前来た時と部屋の様子が変わっているようですね」

 女がカップを持ち上げる寸前に、クロウが言う。


「ええ? そうですか? 私は最近弟子になったばかりで、あまり昔のことは……」


「それは失礼。以前は無かったのですよ、あれは……何ですかね?」

 クロウはさも興味深そうに女の後方を見た。


「あれ、と申しますと?」

 女は振り向かず面倒さを表情に出した。


「牙……か何かかな?」

 ロランがクロウの視線を追って言う。


 ロランに微笑みかけ女はカップを置いて真後ろを向いた。

「ああ、あれは竜の牙です。煎じて薬にするんですよ」


「ドラゴンってまだいるんですねぇ。けれど思ったより小さいな」

 ロランが目を輝かせる。


「ええ、あれはワイバーン、小柄な竜のものですから。とはいえ、人間よりも大きいので捕まえる際には数名のハンターが犠牲になったのですが……。」

 女はロランにまた微笑んだ。

 女は自分の説明に満足したようで再度カップを取った。


 三人は、「では、」と各々カップを口に運んだ。


 数口飲んだ後、女はクロウを見ていた。


「何か?」


「いえ、フェルプールのお客様は珍しいので……。」

 女が困ったように言う。

 そして困惑している表情とともに、焦りもあった。


「私がフェルプールに見えますか?」


「失礼、お師匠様から珍しいフェルプールの女性のお話を……。」


 そこまで言うと、女はロランのカップの異変に気づいた。

 ほとんど減っていないお茶を見て、改めてクロウを見た。

 すると突然、女が呻いて苦しみだした。


「お、お前!」

 女はテーブルに突っ伏した。

 周りを慮る余裕もなかったらしく、勢いでティーセットが床にぶちまけられた。

「が……はっ」


 先ほどまで漂っていた色香は額からの汗で流れ去った。

 苦痛で顔が歪み、二十は老けたように顔中にシワが寄っていた。

 彼女が纏っていた全てが剥ぎ取られていた。


「お師匠様は教えてくれなかったかね? その雑種は手癖が悪いって」

 クロウはテーブルを蹴って正面の女の肋骨にめり込ませた。


「ぶっ!」と、女の肺から空気が漏れ出る。


「お前さんが後ろを向いている隙に取り替えたんだよ。それにしてもロラン、よく私の意図が分かったな」


 ロランが口に含んでいたお茶を吐き出して言う。

「たまたまだよ。君が取り替えたから何かあるのかと思って……ちょっと、やり過ぎだよ」


「こちとら殺されかけたんだ。やりすぎてもやりたりんよっ」

 クロウは今一度テーブルを蹴り込んで女の肋骨に押し込んだ。


「ぎゃあっ!」

 女は魔物のような声を上げた。

「お、落ち着きなさいクロウ。単なる痺れ薬よ。新薬で……あ、あなたの鼻を誤魔化せるか試しただけ」

 女はガクガクに震えながら何とか言葉を伝える。涎で唇だけが余計に艶かしく光っていた。


「……婆さんか?」

 クロウは押し込んでいた足を離した。


「ひ、久しぶりね。……インキュバスの、呪いを解いて以来かしら?」


 女は震える手で胸の谷間から錠剤を取り出し、必死の形相でそれを飲み込んだ。


「その節はどうも……しかし驚いたな、若返ったなんてレベルじゃないぞ?」


 しかし女は答えず伏せたまま、薬が回るのを待っていった。

 しばらくしてから、息を切らせながらナプキンで口をぬぐった。


「まったく、相変わらず冗談の通じない女ね」


「毒を盛るってのが冗談かね? そのユーモアはちと理解できないね。どこかよそでやってくれ。だがいったいどうしたんだその姿は? 私の記憶ではお前さん、80を越えてそうな婆さんだったはずだが?」


 女が再度忌々しそうに口を拭ってから姿勢を正す。

 女の体がほの暗い霧に包まれたようにぼやけ始めた。

 体は徐々に埃っぽくくすんでいき、ふっくらとした体の部位はドライフルーツのようにしぼんでいった。


「……この姿なら見覚えあるでしょう?」

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