3-7

             ※


 カワセミが、魚を取るために水面に飛び込む音がした。

 白金と翡翠の宝石が、ぶつかり合って砕け散るように跳ねていた。

 しかしそんな輝く光景が外で繰り広げられているにもかかわらず、ロランの心は深い闇の中にいた。


「黙っているんだね……。」

 ロランは小さく体をうずくまらせていた。


「黙ってて欲しいのかと思ってね」

 クロウのシガレットホルダーの先にある煙草は、ほとんど吸われないまま灰になっていた。


「……君もやっぱりおかしいと思うだろう? 心のどこかで気持ち悪いと思ってるんじゃないか?」


「……私は、世界を旅して色んなものを見てきた。山のようなドラゴンや一瞬で湖を凍らせる妖術師、女の体をまさぐる変態妖精もいる。けれど、いくら見地を広げても、結局分かるのは分からない事が増えたということだけだ。分からないものは無理に分かる必要はない、その時が来ればいずれ分かるさ。そして今日、私の分からないものリストにお前さんの事が載った程度のことだよ」

 クロウはロランを見た。

「ただ、分からないが間違いなく存在する、という事だけは分かるがね」


「その言葉だけでも嬉しいよ……。」


「それに言っとくがね、世界じゃあ同性同士の色恋の方が崇高だって場所もあるんだ。残念なことにお前さんがその場所やその時代に生まれなかったってだけの話じゃないか」


 ロランがそれに力なく笑った。


「……後継者争いに名乗りを上げたのは、やはり望まない相手と結婚したくなかったからか?」

 と、クロウは言った。


「……違う」

 ロランは二の腕に爪を立てた。


「……ロラン?」


「……だよ」


「何?」


「復讐だよ!」

 瞳を輝かせてロランはクロウを睨んだ。

「ぼくから尊厳を根こそぎ奪い取ろうとしたアイツらに!父上も兄弟たちもタバサもみんな……みんな、ぼくを嘲笑いやがった奴ら、そいつらの上に立ってやるんだ!」


 憎悪に震えるロランは、さながら妖しく光る魔石だった。

 エルフとは歪んでも美しいのだなと、クロウはあらぬことを考えていた。


「気持ちは分からないでもないが……しかしその復讐はゴブリンを敵に回し、残酷な結末を覚悟してまで成し遂げるものかね? 家を出て旅に出るというのも手段の一つだと思うが?」


「もちろん、それだけじゃない……。ぼくは思うんだ。きっとぼくみたいに、心と体が一致せずに苦しんでいる人が他にもいっぱいいるんじゃないかって。君、さっき言ったろ? そういう趣味がある貴族がいるって。もちろんそういう奴もいるだろうけれど、そうせざるを得ない人たちもいると思うんだ。だから……種族が違うからだとか、愛する人が普通じゃないからだという理由で社会から爪弾きにされている人たちが、もっと誇りを持って生きられるような国作りをぼくの世代から始めたいんだ。ラクタリスでも話したろう? この世界はまだ不完全だって。全ての人が、生まれた場所や境遇、体に関係なく生きられる世界を作る必要があるんだ。……いや、そいうしなきゃいけないんだ。そのためなら、全てを賭ける価値があると……。」


 日の光がいよいよ強くなり、岩場が体を隠すには最適ではなくなってきていた。

 しかし時折聞こえる水鳥たちののどかな囀りが、ここにはもう危険はないことを教えていた。

 服はずいぶんと乾いていた。多少濡れていたとしても快晴だった。道中で乾くだろう。


「……分かったよ」

 クロウは言った。


「え?」


「お前さんの旅に付き合おう。乗りかけた船だ」


 皮肉な笑いをロランがうかべて言う。

「よしてくれ。君こそ、憐れみ程度でぼくの計画に乗って残酷な結末を迎える覚悟があるっていうのか?」


「ちと違うね。私はね、ギャンブラーなんだよ。お前さんがたエルフと違って短命なんでね。ただ日銭を稼ぐというのなら、紡ぐなり耕すなり慎ましくやっているさ。多くのまっとうな奴らが吹雪の中、秋の蓄えで身を固め生き存えてる外で、夏の思い出に浸りながら凍え死にかけるのが私の生き方なんだ。お前さんと初めて会った時、何か妙に惹かれるものがあった。それが何かは分からなかったが、今の話を聞いて少しだけそれが見えた気がする」

 クロウは顔を近づけロランの瞳を覗き込んだ。ロランは目を逸らさなかった。

「与えられた宿命に屈することを拒んだ目だ、そのための剣なら振るう価値もあるだろう。まあつまり、お前さんのレイズにコールするってことさ」


「本当に、ぼくの旅に付き合ってくれるのか?」


「ああ。ただし、お前さんの覚悟とやらを見せてもらうよ」


「……もちろんだとも」


「そうかね。言葉ではなく態度で示してもらうということなんだがね」


「え?」


 クロウは立ち上がって木の間に隠すように干してあったロランの服を取り、ロランに渡した。


「買い物に行くぞ」


「……買い物って?」

 ロランは上着を着ながら言う。


「自決用の毒だ。ゴブリンにとっ捕まった時、この世の地獄を見せられる前に飲むんだよ。あと、パートナーの事をゲロったりしないようにな」


「あはははは……」


「私は本気だぞ?」


 ロランの笑顔が、張り付いたまま消えた。

 慎重な旅路は一転していた。

 村で金に糸目をつけず馬車を購入し、クロウたちは急ぎで目的地へと向かった。

 老賢者を少しでも早く見つけ出しロランを領地に送り届けること。そうすれば流石のゴブリンたちも追跡することは出来ない。

 ヘルメス侯の直轄の領地で手を出してしまえば、ゴブリンはこの領国内のみならず、ヘルメス侯と交流のある周辺国でもお尋ねの身として追われてしまうからだ。


 半日馬車を走らせ日が完全に落ちた頃、馬車はおどろおどろしい森の入り口へとたどり着いた。

 森は入り組んだ木々が月の光を完全に遮断しているため、入り口の数歩先の足元さえも暗闇に侵食されていた。


「ここは……。」

 ロランがただならない雰囲気に圧倒され馬車から降りるのもためらっていた。


「藁をもすがるってことでね。安心しろ、私はお前さんたちより遥かに夜目が効くし、暗闇だろうと音も匂いもある。昼間と勝手は変わらんさ」

 クロウは馬車から降り、ランプに灯をともして森の入り口に立った。

 ランプの光を灯したというのに、周辺どころか彼女の体すべてを照らすことさえが出来なかった。

「……多分な」


 クロウが漆黒の闇に飲み込まれていくのをロランが立ち尽くして見ていた。


 振り返ってクロウが言う。

「……留守番がいいかね?」


 ロランは慌ててクロウの後についた。


「足はすり足で、木の根っこにつまずかない様にな。手を探るように前に出しておくんだ。頭をぶつけないよう――」

 後ろで固いもの同士がぶつかる鈍い音がした。遅かったようだ。


 湿った木々と腐葉土。小動物の匂い。

 大きな生き物の動く音は、二人の移動する音が反響するものだけだった。

 木にとまっている梟や蝙蝠の目がランプの灯を捉え星のように反射して光っていた。それを見るたびにロランの呼吸が恐怖でか細くなっていた。


「心配するな、吸血蝙蝠じゃない。もしそうだったとしても、少しくらいは施してやればいいさ」

 ロランが障害物にぶつかって返事をする。

「冗談だよ」


 クロウが嗅ぎ覚えのある臭いを手がかりに森を歩いていくと、遠くにうっすらと光が見えてきた。

 老賢者の森ように、法術を施されていたらどうしようもなかったが、幸いその光は逃げることなく、彼らが向かうと次第にその姿を露にしていった。


 その家は、老賢者の館とは別の意味で奇異だった。

 森のど真ん中にあるというのに街中にある石造りの商店のような造りであった。まるで、その家が建った後にこの森が生い繁っといったほうがいいほどに。


「……目的地だ」

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