2-5

 クロウが雑木林に目を見ると、老婆の言うように確かに雑木林の向こうには妙な建物が見えていた。

 そこまで古びていないにもかかわらず、あまりの強風でしなったように傾いた作りだった。

 形だけだ見ると今にも倒れそうなのに、一方で作りはしっかりしていそうだった。どういう技術で建てたのか皆目見当がつかなかった。

 色合いも紫のとんがり屋根という、これみよがしな数寄者の館といった感じだ。

 とても目立つので迷いはしないだろう。だが、暗くなる前に雑木林に向かいたかったので、老婆に礼を言うとクロウたちはまっすぐにその屋敷を目指した。


「お兄さん、マッチ買わない?」

 雑木林まであと少しというところで、14歳と11歳くらいの姉弟が話しかけてきた。がらんどうから吹き出た風のような声だった。


「マッチかい?  間に合ってるよ」

 クロウがつっけんどんに返事をする。


「ちょっと、子供だよ」

 ロランが諭すように言う。


「男に間違えられたぞ?」

 

「まぁまぁ」

 ロランは子供たちにかがんで微笑みかけた。

「彼女はお姉さんだよ。君たち、マッチを買って欲しいの?」 


「じゃあお姉さんはお兄さん?」

 と、少女は虚ろな声を出す。


「ああ、まぁ……」

 ロランは苦笑いをする。


「じゃあマッチ買ってよ。10ギルでいいよ」


「ああ分かったよ、じゃあ」

 と、言いつつロランが懐を探る。


「マッチが10ギルとは少し高いんじゃあないかのかね?」

 クロウが、相手が子供だというのに高圧的に問いただす。


「ちょっとクロウっ」

 ロランは大人げないクロウをなだめようとする。


「街じゃあ30セルもしないぞ? 十倍以上だ」


 クロウにぼったくりがバレたにもかかわらず、少女は微動だにしなかった。


「そうなの……?」

 マッチの相場を知らないロランは困惑した。


「なあ坊やたち、買ったマッチはどこで受け渡すんだ? 今ここじゃないんだろう?」


「え?」

 ロランが怪訝に少女を見た。


 一方の少女は何も言わずにクロウを見ていた。

 実際は見ているのかも分からなかった。ただ仮面に二つ穴を開け、そこにガラス玉を埋め込んだような瞳だったのだ。


 クロウはロランが下げているカバンに手をつっこんだ。

「30セル出そう。それにおまけで黒パンだ。分けて食べるんだよ」


 クロウは黒パンと30セルを出して少女に差し出した。

 少女はそれを受け取ると、クロウと黒パンを交互に見てからマッチを差し出した。


「お姉さんに苦労ばかりかけるな」

 マッチの箱を開け中身を確認しながらクロウは言う。


 弟の声にも抑揚はなかった。


 クロウの手が止まった。

「……そうか」

 クロウはそれ以上少年を見ることができず、下を向いて唇を締めた。

「そうか……ロラン、行こう」


「ちょっと、クロウ……。」


「振り返らずにまっすぐ歩け。何も興味がなかったどころか、あの姉弟に会わなかったくらいの感じでな」

 まだ事態を理解していないロランにクロウは囁いた。


 ふたりは姉弟を振り切るよう、急ぎ足で雑木林へと入っていった。



「……色々聞きたいことがある」


「質問は受け付けないと川辺で言ったはずだが?」


 二人は長いあいだ誰も踏み入れなかったのだろう、獣道らしい道すらない雑木林を歩いていた。大股開きのクロウが歩くたびに、ポキポキと小枝を踏みしだく音がする。


「……そりゃあ、ぼったくろうとしたのは悪いけどさ、もうちょっと色々やり方があったんじゃないかな?」


「『他にやりようがあった』、そのフレーズがお好きなようだね。お前さんは火事場でそんなことを考えながら逃げ遅れて死ぬタイプだな」


「……答えになってないよ、クロウ」


「女が答えをはぐらかす時はね、ダーリン? 答えたくないって時なのよ?」

 あえて女口調のクロウは、より険が立っていた。

 事実、口の端からは牙がのぞいていた。 


「……せめて、黒パンよりもいいものくらいあげても良かったんじゃあ?」


「黒パンはまずいか? 黒パンでも食えないことがある土地だ。感謝感激モノじゃないかな?」


「もっと上等なパンがカバンに入っていたよ? あげたくなかったの?」


 クロウは立ち止まり、大きく深呼吸してから話す。

「そのとおり、私は白パンが大好きで大好きで仕方のない卑しんぼなんだよ。あの真っ白で柔らかいパンを食べるためだったら親兄弟だって売り渡すくらいなんだから、見ず知らずのガキンチョが苦しもうが知ったこっちゃあないんだよ。そして散々売り物を値切られてしょうがなく黒パンをもそもそ食べるあの子らを想像しながら私は白パンに舌づつみをうつんだ。うっひゃあ堪んねえぜ、ぼったくりのガキ共の流す涙は最高の調味料さっ。私の生まれた時ゆりかごに白パンが置かれていたように、私の葬儀の時も棺桶の中には白パンを入れておいてくれないか? 墓石にはこうだ、パンに愛されパンを愛した女ここに眠るってな」

 クロウは振り返り、舞台上でお辞儀をするように掌を返しながら軽く体を傾けた。

「……これで満足かい?」


「クロウ……君、泣いてないか?」


「ゴミが入ったんだ。気をつけろ、ここは木の葉の屑が舞ってる」

 クロウは再び背を向けて歩き始めた。

 そして念の為に付け加える。

「私のが来た時は質問に注意するんだな。その時も同じような質問をしたら昼間に川で獲ったイワナみたいにお前さんの口に二本の棒を突っ込んで内蔵をえぐり出すかもしれん」


 クロウは憮然としながら歩き回った。

 それからロランは何も言わなくなった。

 自分の態度がヒステリック気味なのはクロウ自身も分かっていた。

 しかしいくら言葉で尽くそうとも、彼女の世界は体験してもらわなければ理解できないことが多すぎた。そして、いくら体験しても慣れないことがあるということも。

 そんなことを考えながら歩いていると、クロウは重大なことに気づいた。


「……嘘だろ、迷ったぞ」


「え? 迷った?」


「おかしいな……。」


 なぜ気づかなかったのか。

 雑木林の外から見た限り、あの家はそんなに深いところにはなかったはずだ。

 雑木林に入ったらすぐに見えるべきだったのだ。

 ロランにかまけていたからといって見失うようなヘマをやらかすクロウではなかった。


「……どういうことだ?」


 クロウは荷物を置くと、すぐ隣にあった背の高い杉の木の根元で跳躍した。

 限界まで飛び上がると、右手で腰に隠してあるナイフを杉の木に突き刺した。

 そのナイフをとっかかりにして体を右手でさらに持ち上げる。

 木の窪みに左手を引っ掛け次はナイフを足場にすると、そこからまた飛び上がり木の枝に掴まって懸垂の要領で体を半ばまで持ち上げた。

 上半身が全て持ち上がると、次に足をかけ木の枝に乗った。


「凄い、猫みたいだ……。」とロランが呟く。


「猫さ、半分はな。聞こえてるぞ」


 ここまで来たら後は心得たものだった。

 クロウはいっぱい突き出ている木の枝に、飛び移りながらひたすら上を目指した。

 木を登り終えると見晴らしのいい場所から例の館を見る。

 奇妙なことに、館ははすぐそばに見えた。


「なぜ下からは見えなかった……?」


 クロウは木を降りて、再度木の上から館が見えた方向を見る。だが、何も見えなかった。


「館の方角にこれを投げてもらっていいかな」

 思うところがあったのか、ロランがクロウに石を手渡した。


「……何のために?」


「いいから。なるべく遠くに投げて欲しいんだけど、ギリギリ見失わないくらいの距離で」


 立場が逆転したようだった。

 クロウは言われるままに石を投げた。


 そこまで遠くに石を投げたわけでもないし、石が落ちるところをクロウは間違いなく目視していた。

 だがその辺りについたというのに一向に石は見つからない。


「見失ってしまったみたいだな」

 埋まっていはいないかと、クロウは足で辺りの落ち葉をあさってみる。

「もう一回投げてみれば、建物に当たるかも知れん。運がよければガラスが割るということも」

 クロウは悪っぽく言った。


「たぶん無駄だよ」

 ロランが来た道を振り返りながら言う。


「そりゃまたどうして?」


「この短い距離だったけど、木の枝を折りながら来たんだ。確認するためにね。おそらくぼくらは館へはたどり着けない。見てごらん?」


 クロウは黙って専門家の指示に従った。

 後ろを見るとまっすぐ来たはずだというのに、木の枝の跡はてんでバラバラだった。


「この雑木林、法術がかけられている」


「なるほど。山道で迷子になる法術か」


「良く分かったね?」

 ロランが不思議そうに言う。


「わお、ヤマ勘が当たったぜ」


 ロランが微笑みながらため息をつき、土をいじり始めた。

「森に宿る精霊の、特に悪戯好きな奴らに働きかけてぼくらをまっすぐに歩けないようにしてるんだ」


「もちろん、対抗できるんだろうね?」


「……やってみる」

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