2-4
鈍んだ色合いに支配された村を歩きながらクロウは話す。
「正確には集落と言っていいか分からない。そもそもゴブリンたちがここに名前を付けていたかどうかも分からないんだからな。ただ間違いなくこの地のゴブリンたちはここを中心に生活をしていたんだ。ところがある日を境に彼らはこの地から姿を消すことになる。理由は知ってるかな? 歴史のお勉強だ」
「聞いた事がある。ここの周辺はゴブリンたちが巣食っていて、旅人や商人たちを襲うから勇者が彼らを退治したんだろう?」
相変わらず、ロランの瞳は澄んでいた。
子供の頃に教えられた“正しいこと”を一切疑わない目だった。
「物は言いようだな。それにもう少し遡る必要がある。ゴブリンたちが求めていたのはみかじめ料と通行料だ。それを収入源にしてやつらは生活していたんだ。しかしある時を境にそれが支払われなくなった。勇者が絡むのはそこからだ。元々煙たがられていた奴ら何だが、勇者は特にゴブリンを嫌っていてね、勇者の提言でみかじめ料と通行料を支払う必要はないということになったんだ。勇者的にはそいういうことは正しくないんだとさ。だがゴブリンたちは他に生活の仕方を知らなかった。だから勇者様の指揮でゴブリンたちを取り締まるようになったんだが、ここで不幸が起こる……ラクタリスだ」
「……この村のことかい?」
ロランが寂れた村を見渡しながら言う。
「違う。勇者様お気に入りの愛妾のことだ。15歳だったとも11歳だったとも伝えられている。その少女がこの付近を通る時に、ゴブリンの襲撃に遭ったんだ。もうこの土地は安全だと聞かされて、わずかな護衛でここを通ってしまたんだよ。少女は殺されてしまってね、しかもただ殺されたんじゃない。バラバラにされてその四肢は彼らの縄張りの目印になるようにと串刺しにされたんだ」
「酷い……。」
ロランは陰惨な光景を想像し小さく首を振った。
「ゴブリンからしてみればいつもどおりのことをやったまでさ。やつらには捕らえた獲物を縄張りに飾って見せびらかす習わしがあるからね。人間の農夫だってカラスの死体を畑に吊るし上げるし、頭のいい生き物に対してはそういうのは効果的なんだ」
「でも、だからって……。きっと勇者は悲しんだんだろうね」
「だろうね。それはそれはとても大きな悲しみだっただろう……恐らく」
クロウはロランの方に首を回し顔を傾けた。
「何せここに住んでいたゴブリンたちを皆殺しにするくらいだから」
「……え?」
「戦争をおっぱじめるくらいの大軍を送り込んで、ここの周辺に住むゴブリンたちを氏族構わず根絶やしにしたんだ。吠えるのは狼でも犬でも全部吊るせということさ。で、ゴブリンたちがいなくなったこの土地にその愛妾の名前を付けて、新しく開拓民を住まわせたというわけだ。……めでたしめでたし」
クロウが周囲を見渡しわざとらしく鼻を鳴らす。
「今でもまだ、この土地はゴブリンたちの血の臭いがするよ」
「本当かい?」
驚いてロランが片足を上げて地面を見る。
「嘘だよ。だがね、実際ここには姿のない墓標がゴロゴロしてるんだ。顧みられることのない無名の死で溢れている」
クロウも足で地面を擦った。かつてここに流れた血の記憶を探るかのように。
「……どちらが悪いとは言えないよね」
ロランが何とか思いついた言葉を口にする。
「そうかね?」
「だって、何も人から強奪する生き方だけじゃなかったはずだよ? 畑を耕したり、牧畜を育てたり、ゴブリンたちにだって他のやり方があったはずだろう?」
「周りを見ろよ」
「え?」
「人間だって開拓に困る痩せこけた土地だぞ? 奴らの寿命を知ってるか? 長くて25年だ。下手すりゃ家畜より短命なんだ。お前さんたちエルフだって、5000年後のためだからといって砂漠に木々を植えたりするか? 大体、ゴブリンたちがここに集まっていたのは、他の豊かな土地から締め出されたからだぞ」
「それは……。」
「勇者の願ったのはゴブリンの絶滅。ゴブリンはそれに抵抗した。それだけだ。今じゃあゴブリンたちは各地に散らばって驚く程の繁殖力で種の保存に成功しているがね。言ってみれば、勇者が唯一適わなかった相手、それがゴブリンってわけさ」
「君は随分と勇者に対して否定的な捉え方をするんだね?」
「奴がやったことでロクなことがあるかい?」
「君は知らないんだよ、彼がどれほどの恩恵を世界にもたらしたか」
あばら家寸前の家屋を二人は通り過ぎた。
中では老婆が居眠りなのか作業しているのか分からないていで糸車を回していた。糸ほどにか細い命の網で、かろうじてこの世にとどまっているようだった。
「そりゃ知らなかったな」
「そうさ。技術が発展して商業も盛んになって人々は皆豊かになったし出生率も上がった。飢えや病気も過去のことだよ。都に来てみるといいんだ」
「私たちがいるのはラクタリスで、私はラクタリスの話をしているんだが?」
「……それは」
「実りある作物、発展した産業、跳ね回る子どもたち、それがここのどこに? 言ったろう、ゴブリンに関しては勇者様は何もかもしくじったんだよ」
ロランはうつむいた。澄んだ瞳に、濁りが見えてきていた。
「お前さんの言い分は次の授業の時までの宿題としておこう」
クロウは首を振りながら言う。
「……出生率が上がった?」
村の中をしばらく歩き回り、クロウはわずかばかり生気の残っている家のドアを叩いた。
家の中から、街で出くわしたら物乞いと間違えそうな老婆が出てきた。
今は白髪がみっちりと頭部をおおっているが年寄りだが、若い頃はクロウよりも上背がありそうだった。
クロウは老婆に魚との交換を条件に、使っていない馬小屋を一晩宿として使わせてくれるよう頼んだ。
「大きい魚をこんなババアに渡されても食べきれないよ」
老婆は食べ残しの七面鳥のような、骨にわずかな肉がついた程度の手を振りながら言った。
「魚は料理しやすいよう私がさばかせてもらいます。料理もしましょう。ミセスに不便はかけません」
と、クロウが提案する。
老婆はしぶしぶ承諾した。
クロウは村を見渡して言う。
「ところで、ここら辺に老賢者が住んでいると聞いたんですが……」
「老賢者? 年寄りはいっぱいいるがね」
老婆はまだ何かあるのかと、うんざりしたようだった。もっとも、彼女は世の中の全てにうんざりしているのだろう。
そいういう年の取り方もあるが、彼女の場合はこの土地が全てをうんざりさせるのかもしれなかった。
「エルフの聡明な老人なのですが……」
ロランがクロウの後ろから年寄りに声をかける。
「耳が尖ったじじいかね? ありやエルフだったのか? イカレちまって自分で耳を切ったのかと思ったよ」
「はは……」
老婆の物言いにロランは苦笑せざるを得なかった。
「だったら、雑木林の向こうにけったいななりの家が建ってるのが見えるだろう。そこにしばらく前までジジイが住んでたよ」
老婆は顎でクロウたちの後ろをしゃくった。
「しばらく前?」
「最近は見ないってことだよ、わからんかね? おっ死んじまってるのかもってことさ」
その老婆の言葉にロランは気落ちした。
しかし、気落ちしたロランの悲劇の主人公的な様子を見るなり、老婆の物言いが優しくなった。
彼に関わる人間は皆、情け深くなるようだった。
「もしかしたら、あんたたちが探してる老人じゃないかもしれないよ? エルフっぽくもなかったし、賢者って言うにはねぇ……ちょっと」
「ちょっと?」
「変わりモンってことさ。わざわざ何でこんなとこに越してきたのかって聞いたんだよ。まだ若い奴らが出稼ぎに行く前にね。そしたらそのじいさん、「世界の本質を探してる」って抜かしやがったらしいんだよ。あたしゃボケて寝室を探しに来たんじゃないかと思ってるよ」
「死にに来たならそれで間違いないかと」
クロウが頷いて言った。
「だろう?」
ロランは二人を呆れた様子で見ていた。
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