第2章ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル

2-1

 クロウとロランがラクタリスへ向かった日の夜。

 四季亭では、その晩もディアゴスティーノが手下を一人連れ立ってカウンターで麦酒を飲んでいた。

 本人の言った「常連」だという言葉に嘘はなかったという事だ。


 ディアゴスティーノは小皿の鹿肉のジャーキーを牙をむき出しにして噛み千切り咀嚼する。鹿肉は一昔前は貴族しか口にすることが許されないものだった。

 麦酒を一気に飲み干すディアゴスティーノは一見リラックスしている様だった。しかし、その頭の片隅では今回の仕事で得た金を次に生かすための算盤そろばんをはじき続けていた。

 稼いだ金を元手にさらに次の稼ぎを、その無限の螺旋階段からはいくら酒を注ぎこもうと降りられることはない。ある意味では彼は根っからの商売人だった。


 ディアゴスティーノと違い安酒を口にしながら手下が言う。

「ボス、前々から気になってたんですが、何であの女に好き勝手やらすんですか?」


「奴じゃねぇ、奴のお袋に免じてんだよ。……俺のお袋と奴のお袋、マーリンは従姉妹同士でな、実の姉妹みたいにして育ったんだ。だからマーリンを侮辱するってのは俺のお袋を侮辱してるようなもんなのよ」

 面倒くさそうに言葉を選びながらディアゴスティーノは話す。

「何より、戦後俺らフェルプールが利権に預かれたのは他でもないマーリンのおかげだ。あれから30年も経つからよ、色々な解釈をしやがる奴が出てきてはいるが、マーリンがいなきゃあ俺らは他の亜人と同じような流浪の身になってたっておかしくはねぇんだ。だからよ、俺らフェルプールはマーリンにはそれ相応の敬意ってもんを払わなきゃいけねぇ。例え彼女のやり方がだったとしてもな。俺があの女のやることに多少目をつむってんのはそいういうことさ。じゃなきゃあとうの昔に山羊の糞になってるぜ」


「……山羊は肉を食わんのでは?」

 と、手下が困惑しながら聞く。


「だぁからよ、奴の死体を野良犬が喰ってそいつが草むらで糞たれてそれを肥料に草が育ってそれを山羊が食うってぇ意味だよ、全部説明させんじゃねぇっ」


 常連以外は入店してこない店だったが、今夜も見慣れない一団が入店してきた。

 が入店した時、最初は遠目に見て痩せこけたホビットか物乞いの子供の入店かと常連客には思われた。

 だが一人、いや一匹だったその影は、湧いたようにその場で増殖した。

 彼らは昨晩のロランとは違う意味で常連たちの視線を集めた。

 まるで、暗く湿ったところで蠢く害虫に向けられるような視線だった。

 彼らは雑談をしているディアゴスティーノのいるカウンターまで、脇目もくれず歩いていく。酔っていないにもかかわらず千鳥足を思わせるような足取りだった。

 先頭を歩いていた一匹が、何の断りもせずにディアゴスティーノの隣に座った。体は大きくないが、そいつがリーダーのようだ。


「ァアンタがディアゴスティーノさぁん?」


「……が俺らのシマで何してやがる」

 敵意と用心を含ませた目でディアゴスティーノは隣の席を見た。


 10歳の人間程度の体格。だが膂力りょりょく※は大人程度はある。

 知性は低いとされ、モラルに関しては言うまでもない。

 戦前戦後問わず、遥か昔から人間やエルフと敵対した低級の魔物。

 “相容あいいれぬもの”と形容されるゴブリンだった。

(膂力:筋肉の力)

 同じ亜人に分類されていたフェルプールとゴブリンだったが、戦後は立場が大きく変わっていた。すなわち、官軍が否かである。


 ディアゴスティーノの隣に座ったそのゴブリンの顔には、老人ではないもののアーモンドのような頑丈そうなシワが顔中に刻まれていた。頭の上の白髪は乱雑に生えていて、まるでとうもろこしのようにクシャクシャだった。

 右の頬には切れ味の悪い刃物で引き裂いたみたいな傷があり、口を閉じていても牙と歯茎が剥き出しになっていた。

 貴族から剥ぎ取ったボロボロのコートは、元々は鮮やかな紫だったのだが、今では腐った豚肉のような不気味な色合いになっていた。

 混沌の仄暗い穴の底からひょっこりと顔を出してきたように、その佇まいは無秩序そのものだった。


「いやぁ何ね、ちょおっくら人探しをしてんだよ。アンタぁこの辺じゃあ顔がきくって――」


「質問してんじゃねんだよ、わきまえろっつー話をしてんだよ俺は!」


 店内で演奏していた楽隊がディアゴスティーノに反応する。演奏の音が少し小さくなった。


「ふははっ!」 

 ゴブリンは周囲の変化を感じ取り、攻撃的な笑顔をディアゴスティーノにむき出しにした。

 傷のせいで常に開きっぱなしになっているゴブリンの右の頬から悪臭がする。

「怒んなよ~、まさかフェルプール相手に礼儀作法だなんて夢にも思わなくってなぁ」


「だったら夢ん中で一からお勉強してくるか!?」

 そう言ってディアゴスティーノはゴブリンの頬にビンタを見舞った。

 鋭くはないが重い一撃。

 ゴブリンの白髪が水中の水草のようにブワっと揺らいだ。

「うっかり夢ぇ見れないほど深い眠りにつけちまうかもしれねぇがよぉ」


 その一撃でゴブリンの目はトロンとした目つきに変わった。

 殺気立った目つきだったが、ディアゴスティーノもその視線には晒され慣れていた。今にも喉が鳴りそうな程の鋭い視線でゴブリンを睨み返す。

 二人の様子を見ていたバーテンが、グラスをフキンで拭いながらさりげなくカウンターの下の引き出しに手をかける。そこには調理器具と一緒に投げナイフが仕込まれていた。


失礼しつれぇい

 ゴブリンは据わった目のままとうもろこしの様な頭髪をかき上げた。

「俺の名前はバクスターだ。こいつらのかしらぁやってる。ディアゴスティーノさん、以後お見知りおきを」


「……人探しと言ったな? だが情報が欲しいってんなら、まずギフトと情報をそっちから差し出すのがビジネスのルールだぜ。ゴブリンに俺の事を教えやがったのはどこのどいつだ?」


 うんざりしたようにバクスターが言う。ビジネスのルールというディアゴスティーノの言葉が気に入らなかったようだ。

「ん~単純な話だぜ? ひとりひとぉりしらみつぶしに探っていったらここにたどり着いたんだよ」

 頬杖をついて思わせぶりにバクスターは続ける。

「アンタの名を出したのは……隣の街の酒場の男だったかな? フェルプールにエルフの仕事を回したことと、ここらじゃアンタそういうのを仕切ってるってのを聞いたんだ」


「この稼業の男が簡単に口を割るとも思えんが」


「い~や~、実に友好的だったぜぇ?」

 バクスターが指を振って合図をする。手下のゴブリンの一人が袋をカウンターの上に放り投げた。


「これがギフトか? 禁猟のウズラなら間に合ってるぜ? ここには大体のもんが揃って――」


 手下が乱暴に袋の中身をカウンターにぶちまけた。

 それは切断された人間の腕だった。

 切断面は何度も切り付けられたようにズタズタで、最後の部分は無理矢理に引きちぎられていた。彼らの仕事の雑さがうかがい知れるといったところだろう。


「簡単だったぜ? 右腕一本で友好的になってくれたのさ」

 バクスターの手下がゴヒャッゴヒャッと不快な笑い声を上げた。

「あ~、フェルプールは人間も食うんだっけかぁ?」

 眉間に人差し指を当て、思索している素振りをしながら陽気にバクスターが言う。


「やれやれ、マナーも悪けりゃ頭も悪いときたか」

 そう言いながらディアゴスティーノがゆっくり懐に手を伸ばした。


 だが、バクスターはそれよりも早くバタフライナイフをコートのポケットから取り出した。そして空中で器用に一泳がせしてから刃先をディアゴスティーノに向ける。

 遅れてバクスターの手下も鞘から小ぶりの剣を抜きだした。


「ビジネスだぁ!? うんざりなんだよぉ、勇者側てめぇらが勝手に作ったルールなんざぁ――」


 しかしバクスターがナイフをディアゴスティーノに向けた事がわかるや否や、後方の東方民族を始めとするテーブル席の常連客達が一斉に動いた。

 示し合わせたような、一糸乱れぬ動きだった。

 椅子を蹴り飛ばし、さらに一斉に武器を取り出した。

 木のぶつかる音と金属の擦れる音が、ほとんど時間差なしで店内に鳴り響く。

 楽隊の演奏はいつの間にか止んでいて、その代わりに彼らの取り出した刃の音色が鋭く残響していた。

 バクスターがバーテンに目をやると、彼もまた既に投げナイフの標準をこちらに向けていた。

 バクスターは店内の様子を見る。店の入口には190はありそうなゴツイ黒人の用心棒が腕組みをして立っていた。素手で十分という意思表示だろう。

 バクスターがディアゴスティーノに視線を戻した。隙をついてディアゴスティーノのダガーの刃がバクスターの喉元に当てられていた。

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