1-8
ラクタリス、ベンズ村から大きな山を二つ越えたところにある場所だった。貴族の子息お坊ちゃま連れでも三日ほどの距離である。
だが、そこに老賢者がいると考えるのは甘い見通しだとクロウは考える。そこからさらに捜索を続けることを覚悟しておいた方が良い、と。
「期限は?」
クロウが言う。
「え?」
「期限があるだろう? 爺さんをつれてくるまでの。まさか、爺さんを連れて帰るまで親元に帰れないなんてことはないだろう?」
そこまできつい口調での質問ではなかったが、ロランは気まずそうにクロウから眼を逸らした。
ロランはしばらく思案した後、意を決したようにクロウを見る。
「彼を連れて帰るまでは……帰らない」
「何だって?」
「いずれ話す時が来ると思うけど、ぼくにはこれしかないんだ。諦めた時はすべてが終わる時だよ」
昨夜と同じ、ロランの幼い瞳の奥に隠れた強い光が表に出てきていた。
「……なるほど素晴らしい不屈の精神という事か。負けを受け入れるまで負けはしない、何かを成し遂げるには強い決意と意思が必要だ、お前さんはそれを持っているということだね。嫌いじゃないよ、そいういうのは」
クロウは拍手をするような素振りを見せた。しかし手は打たれなかった。
「……だがこれはビジネスだ」
「え?」
「それまで私を付き合わせるつもりかね? 下手したらひっそりと死んでいるかもしれないというのに、この先何年も何十年もお供をしろと?」
「あ、いや……」
「割に合わないってだけじゃないんだ。後継者争いってなら、他の兄弟もいるんだろう? そいつらに先を越されたらどうするんだ? 貰うもんはきちっと貰うが、骨折りに付き合いあうのは御免だ」
「それは……大丈夫だよ」
「どういうことだ?」
「他の兄弟は……いないんだ。一人は試練の最中に死んでしまったし、もう一人は病気で寝たきりなんだよ……」
「ちょっと待ってくれ。意味が解らない。じゃあ何のためにふるいにかけられるような真似を?」
「それは……実は、父はぼくを後継者にするつもりはないんだ。ぼくを後継者にするくらいなら娘婿を迎えようと思ってるだろうね。だから、例え争う兄弟がいなくても、ぼくには資格がある事を彼に見せる必要があるんだ」
クロウは昨夜嗅いだ、ロランの匂いを思い出した。
「ならそこはいいさ。では私を雇う期限だが、次の新月までというのはどうだ?」
もうすぐ満月で、彼女なりに十分な期間を提示したつもりだった。
「ああ、かまわない。それだけあれば見つけてみせるよ」
「もしそれ以降延長したいなら追加料金を払う事だね。追加料金は今後の経過を見て判断させてもらうが」
ロランは両手を挙げて「了解」と承諾した。
旅の支度をする為、クロウは家の中をひっくり返し始めた。
必要経費はロランが払うという話だったが、美しいエルフは嫌でも目立つ。買い物をしに商店街に行くだけでも用心しなければならなかった。
「そのプレートメイルは? 代々伝わる由緒正しきものかい?」
クロウはロランの胸部と肩を守っている純白と純銀の鎧を顎でしゃくりながら聞いた。
「いや、今回の旅の為に買ったんだ。見た目より軽いんで気に入ってるよ」
「脱ぐんだ」
「え?」
「変な意味じゃない、なるべく目立ちたくないんだよ。エルフってだけで目を引くのに、その上さらに気品まで漂わせたんじゃあ、襲ってくれって頼んでるようなもんだ。申し訳ない、とても似合ってるんだがね」
ロランはしぶしぶ鎧を脱ぎ始めた。
「道中の道具屋で中古の革の鎧を買おう。恰好はあくまで擦れすぎず垢抜けすぎず、透明人間を目指すように、だ」
――ルートは地図にある川沿いに山を越える。
――水に関しては革袋をお互いに持つ程度。
――荷物も必要最低限。
クロウは小ぶりのリュックにランプとフライパン、釣り糸にタオルケットを詰め込み、ロランのリュックにはパンやチーズといった食料を入れた。
「……そういやお前さん、武術の心得はあるのかね?」
身支度をしながらダメもとでクロウは訊く。
「頼りないと思ってるんだね? 大丈夫、剣術の稽古は子供の頃から欠かしたことはなかったよ。そこらへんのお……」
ロランの声が詰まり、クロウの猫耳は彼の鼓動が乱れたのを聞く。
「……お?」
「……そこらへんのお坊ちゃまには負けないくらいにね」
「なるほど」
クロウは部屋を見渡し、過不足がないかを確認した。
「では行こう。気候も天気も丁度いい、急ぐ必要はないから無理せずお前さんのペースを守ってくれ」
「分かった、そうするよ」
ロランを先に出してクロウは部屋を改めて見渡した。次はいつ帰ってこれるかわからない生家。次に帰ってくるときは硬く冷たい体になっているかもしれない。しかし、それが彼女が選んだ生き方だった。
未練もなくクロウは外に出た。
クロウが外に出るとロランが緊張した様子で立ち尽くしていた。
「どうしたん……おやまぁ」
目の前にはずらりとディアゴスティーノとその手下たちが並んでいた。
全員の目がすわり、かなり殺気立っていた。
「珍しい事もあったもんだ。ディエゴ、旅の見送りに来てくれたのか?」
それに対してディアゴスティーノは噛み煙草吐き出して返答した。
残念ながら不正解か、クロウは微笑んだ。
「ヴォルクの野郎が今朝がた死体で見つかったよ」
「ヴォルク?」
「とぼけんじゃねぇよ、オメェがやったんだろ」
クロウは正解、と微笑みで返答した。
「あの……誤解、というと少し違いますが、仕掛けてきたのは彼なんですディアゴスティーノさん」
勇敢なのか無謀なのか、ロランが割って入ってきた。
「彼がこの仕事を彼女から奪おうとしたんです。止むを得ない状況だったといいますか……」
「坊やは黙ってな、こいつぁもうビジネスじゃねぇんだ」
ロランが息をのむ。昨日まで商談交わしていた男がヤクザに変貌していた。
「余分に取っていっただろう? それでチャラにしてくれないか?」
「オメェなめてんのか?」
「まぁ、後、なんだ、これで私の腕が十分見込まれたという事で」
「ああそうだ、だから今日は大勢連れて来たよ。オメェを殺るための戦力が分かったんでな」
「まいったねぇ……。」
ヴォルクと違って今度は不意打ちが効きそうにない。クロウは頭を掻いて首を振るそぶりをしながらディアゴスティーノたちを観察した。
人数と装備、周囲の状況。仮にやり合うなら、逃げながら戦うという方法になりそうだった。
「ビジネスではないなら何だっていうんですか?」
計算するクロウの調子を狂わせるようにロランが言う。
「メンツだよ。エルフのボンボンにゃあ分かんねえだろうがな、身内を侮辱されときたら俺らフェルプールは黙っておく訳にはいかねぇんだよ」
ディアゴスティーノの口調は完全にロランをも標的にするほどに熱い敵意を含んでいた。
「だとしたら、やはり責められるべきは彼です」
「なにぃ?」
「彼、ヴォルクさんが彼女を侮辱したんですから。その、彼女の母君を……娼婦だと」
「……本当か?」
ディアゴスティーノの目が別の意味で据わった。
「言葉は正確に」
クロウは子どもに言い聞かせるように優しく言った。
「売女です」
ロランはきっぱりと言った。
ディアゴスティーノは「あの野郎」と呟いた後しばらく呼吸を整え、そして顎をしゃくって手下たちに指図をした。
「帰るぞ」
「いいんですかいボス?」
ディアゴスティーノほどに切り替えの早くない手下は戸惑いながら聞く。
「アクシデントだよ。あの馬鹿は嵐の晩に釣りに出かけたんだ、タフぶってな」
ディアゴスティーノは手下の先頭を歩き丘を下り始めた。
少しすると思い出したように立ち止まって二人に振り返った。
「旅の無事を祈ってるぜ、心からな」
ディアゴスティーノは本心からそう言っていた。
「殺すと言って舌の根も乾かぬうちに祈りを口にするとはな。ディエゴ、やっぱりお前さんユーモアのセンスあるよ」
「うるせぇ」
ディアゴスティーノ達を見送りながらクロウは言う。
「ありがとう。思ったより機転が効くし肝がすわってるんだな」
「何故母親の事をすぐに?」
「……私からは言えんさ」
「……そうか」
「お前さんが気にすることじゃない。……では行こうか。今から行けば日が暮れる頃には中腹の村に着くだろう」
「ああ」
こうして、彼らはラクタリスを目指して出発した。
それは行楽日和でさえある穏やかな朝だった。
しかし、これの旅の行く末がどうなるか、この時は誰も予想していなかった。
三人の命が失われ、やがてこの土地に姿なき墓標が溢れかえるということに。
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