1-7

「何てことを……。」

 納刀しているクロウの後ろで、一部始終を見ていたロランが呟いた。


「ディアゴスティーノの手下をやってしまったのはまずかったかな。まぁ過払い分はこれでチャラということだ」

 クロウは納刀しロランの方へと振り向いた。

「長寿のお前さん達からしたら、行き倒れのフェルプールなんて珍しくないだろ? もしこれが初めてなら、今のうちに見慣れておいた方がいい」


「そうじゃない、君は……人を殺した。フェルプールだとかエルフだとかは関係ないっ」

 ロランは右手でヴォルクの遺体を示し、左手でクロウを非難するように指した。


「殺したんじゃない。こいつは殺されに来たんだ」


「そんな理屈……」


「いいか? こいつはどうしようもない阿呆だったんだ。どれくらい阿呆かとういうと、自分の命を危険に晒してみせることでしか何かを得られないくらいにな。命を使うことがこいつにとって最初にして最大にして最後の武器だったんだ。もし、私がこいつを見逃してやったらどうなるかな? こいつは自分の存在意義を失うってことなんだぜ? もう生きていくことなんてできないさ。こいつの武器は実はとんでもないなまくらって事になるんだからな」

 クロウはさっきとはうって変わって足音を大げさに立てながらロランに歩み寄った。

「お前さん、


「……母親を侮辱されたことと関係は?」

 

「……慣れっこさ」

 昂ぶって細くなった自分の瞳孔を悟られないために、クロウは肩をすくめ飽き飽きしたふりをして目をそらした。

「どうするね? こんな獣みたいな私を解雇するかね? どちらかというと、今ので腕の方は証明できたとは思うんだけどね」

 クロウはロランの胸を小突いて言った。

「さっきも言っただろう、お前さんが踏み入れたのはこういう世界なんだと」

 クロウが牙をチラつかせながら笑う。

 どうにもロランは彼女の加虐心サディズムをそそる顔をしていた。

 同時に、ロランに迫りながらクロウはロランのプレートメイルの下から、男からはしない独特の柔らかな匂いがすることに気づいた。


「……いや、やっぱり君が適任だ」


「そりゃどうも。さあ、とっとと宿に行こう。チンピラとはいえ斬ってしまったら後が面倒だ」


 ヴォルクの死体の前から二人は早々に夜の闇へと立ち去った。



 翌朝、クロウはロランの宿まで彼を迎えに行った。

 町の安宿だったが、その中でも一番上等の部屋をロランは借りていた。

 ロランはどうも昨夜のことが堪えたらしく、寝不足気味の顔を晒していた。

 しかしそんなやつれてしまっているにもかかわらず、整った顔立ちは崩れていなかった。それどころか険しさが陰影となり、独特の趣が醸し出されていた。


「体調管理までは面倒を見るわけにはいかないんだが?」


「ああ、うん」

 クロウの注意に、ロランは上の空だった。


 これからの旅の打ち合わせのため、クロウは自分の家までロランを連れて行くことにした。

 大金の動く仕事なので、用心の必要があった。うっかり話を聞かれ面倒が起こらないとも限らない。



 クロウの生家はベンズ村の外れにあった。一見物置のように簡素で小さな木造の家だった。中は長い間留守にしていたせいでかなり埃っぽかった。


「朝食の支度をする。表に川があっただろう? そこで顔を洗ってくると良い」

 クロウは羽箒でテーブルの上を掃除しながら言う。

「何なら水浴びをしてきてもいい。数日間、体を洗ってないだろう?」


 ロランは驚いたように自分の服の袖の臭いを嗅いだ。


「そんなに気にすることはない。私らの鼻が並はずれて良いだけさ」


 ロランがホッとため息をつくのをクロウは笑って見やった。

 服を畳むための籠を渡してロランを送り出した後、クロウは朝食の準備にとりかかった。

 窯に火を入れフライパンを熱して、頃合いを見て朝の市場で仕入れた脂のたっぷりと乗ったベーコンを放る。ベーコンの脂がフライパンの上に溶けて広がり香ばしい匂いが台所に充満した。

 フライパンの表面にまんべんなく油を広げ、やはり市場で仕入れてきた卵をその上に落とす。

 表面が白くなり、卵の端の部分がキツネ色に焦げ付いてくると、クロウはそのタイミングでナイフで卵をベーコンごとすくい上げた。

 小さなフライパンなので、もう一品同じものを作る合間に、沸騰させておいた小鍋のお湯を取り上げ、茶葉の入ったポットにそれを注ぎ込む。

 二人分のベーコンエッグの皿をテーブルに置き、パンをスライスしてその横に添えてカップにお茶を注ぐ。すると丁度そのタイミングでロランが戻ってきた。


「いい匂いがすると思ったら、ベーコンエッグか」

 ロランはテーブルの上を見渡し子供っぽい笑顔を浮かべた。

「すごいな、ぼくが水浴びをしている短時間でこれを?」


「左様でございます」

 クロウはうやうやしくお辞儀した。


「食べても?」

 そう言ってテーブルに着いたロランの濡れた銀髪から、真珠のような滴がしたたり落ちた。

 埃を軽く掃いただけのオンボロ長屋だった。しかし、ロランが佇んで何かをするだけでそこは高価なアンティークを並べた趣味の良いショップのようになってしまう。クロウは苦笑いを隠せなかった。


「もちろん」


 ロランはナイフとフォークを手に取ると、流れるような手つきでベーコンエッグを口に運び始めた。

 それの所作だけで、自分との育ちの違いをまざまざと見せつけられるようだった。


「うん、おいしいよ」


 クロウはお茶を飲みながら再度軽く頭を下げた。

「ありがとう。生まれつき手先が器用でね、大体のことはこなせるよ。もし衣類のほつれなんかがあったら言ってくれ。後で直しておこう」


「きっと君は良い母親になるんだろうね。君の夫や子供が羨ましいよ」


 とっても愛らしい、無邪気な笑顔でロランは言った。

 しかし、クロウはそれに微笑みすら返さなかった。


「……何か気に障った?」


「いいや」


「本当に君はすごいよ、何でもできるんだ」


「ああ、昨晩見た通りだ。


 ロランの笑顔が遠慮がちになった。

 おかげで食事に集中できると、クロウは黙々とベーコンエッグを食べ始めた。


「……何故、この仕事を?」

 ロランがお茶を飲み終わった口を上品にナプキンで拭う。


「エルフの年齢のことは良く分からないんだが、知りたがりの年頃なのかな?」

 クロウはパンで皿に残った黄身をすくい上げて口に運ぶ。


「……。」

 クロウに突っぱねられると、ロランは尖った耳を垂らして俯き、今にも悲劇の舞台が幕を開けそうな切ない顔をし始めた。オーケストラすら聞こえそうだった。


 どうやら、この繊細な花弁を取り扱うにはもっと細心の注意を払わなければないらしい。クロウは取りつくろううように説明した。

「別に、必要に迫られたことを一つ一つこなしていったらこうなっただけだよ。料理を覚える必要があったから包丁を手に取り、裁縫を覚える必要があったから鋏を手に取り、身を守る必要があったから剣を手に取ったんだ」

 クロウはカップに残ったお茶を飲み干し、目の前の皿を片付け始める。

「自分であろうとしただけだよ。そしたらこうなったんだ」


「自分であろうと……」

 ロランがまっすぐにクロウを見る。


「そんな大げさなことじゃない」



 食器を片づけた後、クロウはまだ温かさの残るテーブルに地図を広げ、この村の位置を指で指し示した。

「私たちがいるベンズの村がこの辺だ。で、お前さんの実家の都市がここ。お前さんの探しているご老人の居場所の目星はもちろんあるんだろう?」


「ラクタリスという土地に彼の住まいがあるから、まずそこで手がかりを見つけようかと思ってるんだ」


「ラクタリス」

 と、クロウが呟いた。

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