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 “四季亭”はシトロエンの中心部にあった。

 そこは、この地区の人口のほとんどを占めるフェルプールよりも、戦後に力を持った人間やホビットの商人たちが利用する高級なバーだった。

 元々は貴族たちの社交場を、街の人間が買取り改装した建物で、木造建ての町の安酒場とはまるで違い、青レンガ造りの重厚な外見をしている。


 クロウは指定された酒場に時間より少し早く到着していた。建物の構造やその周囲、さらに店内の物の配置などを把握するためである。

 ビジネスを口にしたディアゴスティーノが妙な気を起こすことはないだろうが、ことが起こった場合には少しでも有利にする必要があった。

 クロウが重々しい両開きの扉を開ける。扉のベルに合わせて数人の客が彼女の入店に注目した。

 クロウはトラブルを起こさないよう、視線に気づかないふりをしてまっすぐカウンターへと向かう。頭上には、貴族が置き忘れていった手入れの半端なシャンデリアが輝いていた。


「何になさいますか? ミセス」

 クロウがカウンター席に座ると、紳士的なバーテンダーが話しかけてきた。


「そうね……火酒は何があるかしら」

 バーテンダーの丁寧な物腰に触発され、思わず普段と違う自分の言葉遣いをしていた。クロウは飲む前だというのに少し顔が赤くなった。


「はい、本日はトウモロコシの蒸留酒の36年ものがございますので、それがオススメです」


 クロウはフェルプールの寿命並に古い酒に少し苦笑する。彼女はそれを何も割らずに持ってくるよう頼んだ。

 バーテンダーは念のため氷か水で割る事を勧めたが、クロウはそれを断った。バーテンダーはほんの少し驚いてみせたが、その顔も実に紳士的だった。

 バーテンダーが去った後、クロウはマッチを爪の先で擦ってシガレットホルダーに差し込まれた煙草に火をつけた。

 緑翼竜ワイバーンの牙で作られた細長いシガレットホルダーは、一年ほど前、一緒に旅をした男から送られたものだった。

 クロウはあまり高価な贈り物は好まなかった。しかしそのシガレットホルダーは象嵌ぞうがんの具合が気に入っていたので、今に至るまで彼女の旅の供になっていた。彼女の持つ、唯一高価なものだった。

 バーテンダーが酒を持ってくる間、クロウは再び店内を見回し客層を確認する。

 あの用心深いディアゴスティーノが身内のいないこの店を指定するのには理由があるはずだ。伊達でこんな場所を選んだとは考えにくい。クロウはそれとなく周囲をうかがった。

 フロアの中央のテーブルでは、キャラバン隊の東方民族が物々しく今回運ぶハーブやスパイスのサンプルをテーブルに広げていた。

 隣では演芸組合のホビットたちが賑やかに酒を飲みながら次回の興行の打ち合わせをしていた。

 場の雰囲気がそうさせるのだろうか。誰もが自分たちが他とは違う高尚なことをやっているつもりで、演技がかった素振りで話をしている。

 黄色い声、きらびやかな眼差し、戦後の富の集中が分かりやすくそこにはあった。

 そんな喧騒の中、店の入口の扉が開く音と共に店内が静まり返った。

 入口から誰かが入るなど珍しい事ではなかったが、一瞬店内がそこに釘づけになってしまっていた。

 エルフだった。

 ただ扉を開けて入店しただけのことなのに、その瞬間はまるで装飾の施された額縁に収まっている絵画のようだった。試練を与える老賢者の迷宮に挑まんとする勇敢な若者、そんな物語が自ずと思い起こされそうな類の絵画だ。

 銀色の髪は歩くたびに音色をあげるかのように美しくなびき、うっすらとした褐色の肌は下手な白い肌よりも純潔さを漂わせていた。

 白銀のプレートメイルからは細いながらも引き締まった腕はブロンズ像のように光沢を帯びていた。

 さらに彼の中性的な艶のある顔立ちのせいで、フロアのほとんどが男だったにも関わらず、全ての視線が彼に集まっていた。

 店内の雰囲気を出すために竪琴奏者も、エルフが席に着くまでの間は演奏がおぼつかなるほどだった。彼は全てをかき乱していた。


「ミセス、火酒をストレートでお持ちしました」


 クロウも惚けていたせいで、しばらくバーテンダーの声が遠くに聞こえていた。

 慌てて彼に礼を言うと、クロウはついでに自分が未婚である事を教えた。調子を取り戻すために、クロウは火酒を少し多めに口に運ぶ。

 その火酒は口に含んだ瞬間、味を感じるよりも早く舌の上で燃え広がるようだった。下手な悪酔いならば覚めてしまうだろう上質の酒だ。

 飲み込んだ後には、ほんの少し古いタルの香りが鼻腔に吹き抜ける感じがあった。

 美しい男、美味い酒、上質のもてなしに気を良くしていた彼女の機嫌はすぐに壊れてしまった。

 ディアゴスティーノが入店してきたのだ。

 ディアゴスティーノは脇目もふらずまっすぐにクロウのいうカウンターまで歩いて来た。

 クロウの隣に来ると、飛び乗るようにディアゴスティーノは椅子に座った。黒豹みたくしなやかな身のこなしだったが、それはこの酒場ではかえって下品に思えた。


「逃げずに来るとはな。念の為に街道に手下を配置しといたんだが、無駄になったな」


「帰る度にお前さんとをするなんてのもうんざりだからね」


 ディアゴスティーノは「へっ」と嫌な笑いを浮かべると、カウンターを叩いてバーテンダーを呼びつけた。


「何にいたしますか、ミスター?」


「とりあえず麦酒」


「どの麦酒にいたしましょうか? 例えばモリッツ産の……」


「混ざりもんがなけりゃなんでもいい。あと適当につまむもんなっ」


 雰囲気を壊すディアゴスティーノにうんざりしながらクロウが言う。

「……お前さん、この店に来たことないのか?」


「常連だぜ?」

 おかしな事を聞かれたとでも言うようにディアゴスティーノは言う。

 

「……別にお前さんと楽しく飲もうなんて思っていないんだ。仕事の話をとっととしてくれないか?」


「まぁ待てよ」

 ディアゴスティーノは麦酒が注がれたグラスが運ばれると、お冷を飲むように喉を鳴らしながら半分までを一気に飲み干した。

 そして口についた泡を袖で拭い愉快そうに笑う。

「オメェ、中々活躍してるみたいじゃねぇか。ここいらにも聞こえてきたぜ、“ファントム”クロウってな」


「そいつぁどうも」

 クロウは小さく頭を下げた。


「でだ、オメェの腕を見込んで頼みがあるんだ」


「おべっかはよせ。腕を見込むも何も、大して見てもないだろ」


「めんどくせぇ女だな」

 ディアゴスティーノは煙草を取り出し口にくわえ、マッチをブーツの底で擦って火をつけた。

 タバコを咥えた口でディアゴスティーノが言う。

「護衛をやった事は?」


 クロウもシガレットホルダーを口にくわえ数回煙を吸った。

「あるけど? それが今回の依頼ってわけかね? それだけのことを随分と持って回るんだな」


 ディアゴスティーノは周囲を軽く見渡し、そしてクロウに少し顔を近づけた。 

「馬鹿野郎。こんなところで話すんだ、どういうことかわかるだろ?」


「もちろんだ……だがねディエゴ、お前さんいつからそんな大げさな仕事まで手を回すようになったんだ? 棺桶を豪勢にされると担ぐ側が苦労するんだぞ」


「俺だって安易に手広くやんのは身の破滅を招くことくらい知ってるさ。ただ、今回はたらい回しで俺ん所に舞い込んだんだ。オメェがたまたま帰ってきてなかったら断ってた」


「手下がいるだろう。お前さんの命令とあれば喜んで無茶をしそうなのもいた」


「費用対効果って知ってるか? そりゃあ俺の手下を数人つぎ込みゃあ出来る仕事だろうよ。でもな、その分失うのも多いんなら意味がねぇんだ」


「ああなるほど、私ならしくじってどこかで野垂れ死にしてもお前さんの失うものがないものな」


「そう言うなって。……実は今回の依頼者ってのが、さる貴族のご子息様なんだ。それをちょいとあるところまで連れて行って欲しいんだよ。もちろん貴族絡みだ、報酬はこれまでのことをチャラにしたってまだお釣りが来るってもんさ」


 二人の後ろの方では、先ほどのエルフにウェイターが注文をとっていた。彼の美しさに感化されたそのウェイターの声は少し上ずっていた。

 ウェイターはエルフが気に入るようなメニューを数品あげたが、エルフはそれを全て断りハーブティーを注文した。

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