1-3

「お、俺は童貞じゃねぇ~」

 股間にダガーを押し付けられたラフはこの期に及んでその主張をする。


 体が密着していたのでラフからは見えてはいなかったが、実際は刃はラフの股間ではなく、クロウの手首を縛っている荒縄に当てられていた。

 そしてクロウは会話をしながら、少しずつ動かし切れ目を入れ始めていた。


「馬鹿野郎、下手ぁ打ちやがって。安い挑発に乗ってんじゃねぇよ!」

 ディアゴスティーノは怒りで湯気が立ちそうなほどに熱い溜息を洩らしていた。


「だってよぉ、ボスゥ」


 何度もラフが同じセリフを吐くので、こんな状況にありながらクロウは吹き出しそうになった。


「さて、ディエゴ。私も母さんとコイツの命日でペアを作るつもりはないんだ。得物を返しちゃあくれないかな?」

 そうこう話しながら、荒縄にはかなり深く切れ目を入れる事が出来ていた。後は手首を思いっきり捻りさえすれば両手が自由になりそうだった。

 クロウは自分の獲物を持っているディアゴスティーノの手下を見る。

 一時間ほど前、帰郷したばかりの彼女は、町の子供たちの小遣い稼ぎのささやかな大道芸の見物をしていた。ジャグリングや玉乗り、簡単な手品で、拙いながらも子供達は一生懸命だった。

 その最中、隙を見せた瞬間に彼らのチームワークにはまり、腰の刀をスられてしまったのだ。

 さすがの彼女も、まさか五、六歳(人間で言うところの10歳くらい)の子供たちがまでもがディアゴスティーノの息がかかっているとなどと思いもしなかった。

 最初は子供たちのいたずらだと思い笑いながら追いかけていた。しかし、子供たちが狭い路地に消えたと同時にチンピラたちが現れた時、彼女はようやく事態を把握したのである。

 しかし、彼女は子供たちを恨もうとは思えなかった。むしろ、彼らの見事な手際におひねりを包んであげようと思ったくらいだ。


「……別に、役立たずの命なんて惜しかねぇよ」

 一抹の心配か、ディアゴスティーノがちらりと刀を見た。

「やりたきゃあやれよ。その瞬間スリーカードが出来上がるがな」


「そのシナリオはちと違う。この小屋にいる奴を全員ぶった切ってフルハウスの成立だ」


 クロウがそう言うと、ディアゴスティーノは噴き出して笑った。そして大きく、ゆっくりと、しかし音のほとんどしない拍手をし始めた。

「まったく、たいしたアマだぜ」

 ディアゴスティーノが自分の隣の手下を見ながら言う。

「あの土壇場をここまで覆しやがった。お前らにできるか? ああん?」

 ディアゴスティーノにそう聞かれた手下は、少し困ったように首を傾けた。


「なぁディエゴ、まだカーテンコールじゃあないんだ。拍手は気が早いぞ」


「いいや、オーディションはもう十分だ」

 そう言うとディアゴスティーノの表情が変わり、部屋の張り詰めた空気が少し緩くなった。

「今晩、ウィンストン通りにある“四季亭”って酒場に来い。仕事の内容を伝える」


 クロウが故郷を追われた身でありながら白昼堂々と帰ってきたのは、自分の腕に絶大な自信があったわけではなかった。

 ディアゴスティーノが自分をリンチ以外の目的で探しているという噂を聞きつけたからだった。

 要するに、一連の出来事は適度にリンチにかけてメンツを立てた上で、さらに仕事を依頼できるかどうか査定しようというディアゴスティーノの目論見があったのだ。


「まったく、他にもやり方があっただろうに……そんなに手下へのメンツが大事か?」


「別に、単にこれが俺のやり方なだけださ。街でいい女を見つけたら貢いで口説いたりなんかはしねぇ。さらってぶん殴って股を開かせる」


「ディエゴ、お前さんは早々にくたばるべきだね」


「心配しなくても、オメェと比べりゃそうなるさ。だいたい、オメェだって素直に頭を下げたって首を縦に振りゃしねぇだろうが」


「たとえ無理でも挑戦してみるのが男ってもんだろう」


「くだらねぇ。俺らの時間は短いんだ、無駄な事なんてやってられるかよ」


「そろそろ返してくれないかな?でも片身なんだ」

 クロウは腕をひねって荒縄をねじ切ると、ディアゴスティーノの隣で得物を持っているフェルプールに言った。

「で、どういう仕事の依頼だ?」

 クロウは手下から刀を受け取り、刀をベルトに差しながら言う。

「わざわざ自分の手下にではなくて私に依頼するんだ、こんな面倒な真似までして。それはそれはやっかいな仕事なんだろう?」


 ディアゴスティーノが牙を覗かせて笑った。その通りということらしい。

「さっき言ったように、内容は酒場でオメェだけに伝える。こいつらは信頼できるが馬鹿だ。もしかしたらってこともある」


「随分と余裕を見せてくれるじゃないか。私がその間に街を去らないとでも?」


「オメェが俺のメンツを本気で潰すってんなら、俺も本気でオメェに落とし前をつけさせる。どういう意味か分かるな? 底なし沼を墓場になんてしたくねぇだろ?」


「自分の行く墓場の心配をしていたのなら、こんな生き方しちゃいない」


 ディアゴスティーノは強めの鼻笑いをすると、顎をしゃくって扉を指した。手下たちを数人先に出て行かせ、自分はその真ん中を歩いて行った。

 納屋を出る前に、ディアゴスティーノは一旦山高帽を取って、手ぐしで麦畑のような金髪をかきあげた。


 ディアゴスティーノたちの後に扉を出ると、初夏の陽気を孕んだ日差しがクロウの生傷に染み込んだ。

 外では中にいた手下よりも遥かに品性と知性に欠けた顔をした男たちが控えていた。


「別に、余裕をかましてたわけじゃないぜ。商談がうまくいかなかったら、こいつらにオメェを喰わせるつもりだった。言葉通りな。ちょいと手に余るやつらだったんでな、お留守番をしててもらったんだ」


 そのディアゴスティーノの言葉に合わせて、タチも頭も悪そうなその男たちはヒキガエルのような不愉快な笑い声をあげた。

 クロウは自分の血に嫌気がさしていた。人間と比べると、終生不良のようなこのフェルプールの血が半分流れているということに。

 ディアゴスティーノをはじめとする他のフェルプールが去っていく中、一人だけ屈強なフェルプールがクロウに何か言いたげに残っていた。


「どうした? ご主人様は遥か彼方だぞ?」

 と、クロウが言う。


 生傷の耐えない人生だったのだろう、男の口の上は刃物で切り裂かれた跡があった。その古傷が男の笑顔をヘラコウモリみたいに醜くしていた。


 男は口を曲げて顎を突き出し自分を大きく見せるように言った。

「“ファントム”・クロウ……。」


 クロウの体が硬直した。


「ボスはお前のことを買ってるらしいがな、どうせ噂話に尾びれが付いただけなんだろ? お前を一晩買ったら、翌朝には幽霊みたく跡形もなくトンズラこいて消えちまうって噂によぉ」


「……噂話が大好きなんだね。何ならその噂を今ここで確認してみるかい? もっとも、誰にも事の真相を語ることはできないがね」

 クロウの外套に覆われた右手の先は、刀の柄に触れていた。


 男は「ケッ」と唾を吐くように笑い、腰履きしているズボンのポケットに手を突っ込みクロウに凄んだ。

「いいか? 元々今回の仕事は俺が引き受けるはずだったんだ。それを故郷を逃げるみてぇに出て行った女なんぞに依頼するとはな。ったく、ボスは一体何を考えてるのかねっ」


 間合いだということをまるで分かっていないヴォルクの間抜けさに辟易しながらクロウは言う。

「単純な話じゃないか。私がお前さんより腕が立つってことさ」


 夏を迎える前のひと時の穏やかな風が、二人の間に吹き抜けた。

 しかし、その涼しい風は熱を冷ますのには優しすぎた。


「……ヴォルクってんだ、俺の顔を覚えとくんだな。街で俺を見かけた時は道の端を歩けよ?」


「もちろんだとも、道端の牛の糞に集まるのは蠅くらいのもんだからな」

 と、クロウは悪態をついた。

 さんざん殴られたあとで、彼女も不機嫌だった。


「何だとコラ!」


 一触即発の中、ディアゴスティーノたちの方から指笛を吹く音が聞こえた。ディアゴスティーノの手下の一人がコイツを呼び寄せる合図だった。

 ヴォルクは気に入らなさそうな目でしばらくクロウを眺めていた。

 しかし、主人の命令もなく動くわけにもいかず、ヴォルクはそのままディアゴスティーノの方へ合流していった。


「覚えてろよ」

 と、言い残しヴォルクは去っていった。


 ありがちなようで中々聞けないセリフだな、とクロウは少し感動していた。

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