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 ――1ヶ月半前。ヘルメス領シトロエン


 エルフが統治するヘルメス侯国、その中で亜人のフェルプールが多く住むベンズ村の、さらに村はずれの丘にある納屋に女はいた。

 秋の収穫用の農具をしまっている納屋だった。その部屋の中央で、女は椅子に座らされ手首と胴を縛られていた。

 要するに、その日も女は縛られていたのである。 


 狭い納屋の中では、女を四人のフェルプール達が取り囲んでいた。

 フェルプールの体型はさほど人間と変わらない。何か彼らの大きな特徴を挙げるとするなら、猫目と頭部の猫耳だ。そしてその五感はネコ科の猛獣並みに優れている。

 だが、彼らの前で彼らの事を「猫耳」といった、猫のつく言葉で呼んではいけない。彼らはそれを他種族からの差別とみなすからだ。

 戦後に人間とエルフと付き合うようになって文明化されたといっても、彼らは元来魔物である。ひとたび侮辱を受けると、法も倫理も無視して相手の血を見るまで感情が納まらない場合もあるのだ。


 そして鼻が敏感なフェルプールの女は、室内に充満するフェルプールの猫臭さに、思わず顔をしかめた。


「オメェも馬鹿だよな、クロウ。のこのこ戻ってくるなんざぁ」

 と、女の正面に座る中年のフェルプールが言った。


 室内にいて、一人だけ異質な男だった。

 他のフェルプールたちのように、農夫用のズボンやサンダルではなく、その男は人間の金持ちが好むようなスーツを着ていた。

 さらに体のラインを強調するようなぴったりとしたズボン。そして脚を長く見せるよう野豚の皮でこしらえた鈍く光る黒いブーツ。頭にはブルーのフェルト生地の洒落た山高帽が乗せられていた。

 その男は服装だけを見ると裕福な商人に見えるが、手には鈍く光るダガーが握られていた。

 ダガーを手の中での動かし方から、男がダガーを脅しやのために持っているのではないことが分かる。

 男はディアゴスティーノ・クライスラーといった。

 寿命が人間の半分程度の短命なフェルプールでありながら金貸しを営み、持ち前の強欲さとずる賢さでシトロエン一帯を牛耳るヤクザだった。

 体は大きくなく、それどころか細身である。だが他のフェルプールたちは恐縮してそんな彼の周りに立っていた。


「母さんの命日だったんでね……墓参りさ」


 “クロウ”と呼ばれた女がそう言うと、ディアゴスティーノは「墓参り」と呟いて鼻で笑った。

 既にクロウは男たちのリンチを喰らったあとだった。

 左目の周りには薄らと青タンが浮かび上がり、鼻からは血が流れていた。

 殴られ、縛られ、男達に囲われ、それでも女の目には恐怖の色は微塵もなかった。


 ディアゴスティーノは深い緑色の瞳でクロウを睨んで言う。

「なぁクロウ、オメェは俺から借りた金を踏み倒すばかりか、俺の部下を半殺しにしやがったんだんだぞ?」

 ディアゴスティーノはダガーの切先でクロウを指す。

「それでも俺はオメェがハトコってんで、この町から出ていくことを条件に全部水に流してやったんだ。にも関わらずだ、今日オメェは夜鷹よろしく忍ぶわけでもなく、それどころか戦争で手柄立てたみてぇ堂々と凱旋してきやがった。俺のメンツはどうなるってんだっ?」


「お前さんの汚れたメンツか? 川で洗い流したらどうだ」 


「……そん時ゃオメェの血も流れるんだよ。クロウ、俺が慈悲深いうちに落とし前のつけ方を考えといたほうが身のためだぞ。俺だってマーリンとオメェの命日でペア作る何て事はしたくねぇんだ」


 フェルプールというのは直情的で短絡的な反面、血族のつながりを大切にする習性がある。

 クロウとディアゴスティーノは両親がいとこ同士であり、借金を踏み倒した彼女がリンチでのにはそういう理由があった。

 そんな強欲で狡猾な一方、情にも厚く何よりも血の繋がりを重んじるという相反したディアゴスティーノの性質に、クロウは奇妙な魅力を感じていた。


「光りモンちらつかせながら慈悲ときたかい。ディエゴ、お前さんユーモアのセンスあるよ」


 クロウがそう言うや否や、ディアゴスティーノのダガーがクロウの顔をかすめて椅子の背もたれに突き刺さった。刺さったダガーは音を立てて震えていた。

 概して思いはすれ違うものだとクロウは確認する。


「タカくくってんのか? この状況でまだ何とかなるとでも?」


のは腹だよ。ベッドの上で安らかな最期なんて、ずいぶん前から考えちゃいない」


 クロウがそう言うと、ディアゴスティーノはまた鼻笑いをした。

 喉につっかえた淡を吐き出すような微かで不気味な笑い声と、鋭く真っ白な牙の覗く笑顔だった。

 その笑顔には慈悲などはなかった。それは獲物の品定めだった。


「オメェが死んでも自分から股を開いて許しを乞うなんざしねぇことは知ってる。だとしたらもうここでしかねぇんだぞ?」


「なるほど、しかしそのニュースを聞いて残念がってるのは私ではなく、そこにいる坊やじゃないのかね」


 クロウは自分の斜め後ろにいる、十歳(人間で言うところの二十歳程度)に満たない若いフェルプールを意識しながら言った。

 クロウを縛る時に蹴りをくらい、目の周りが青く腫れているそのフェルプールは、この中では一番若いようだった。


 ディアゴスティーノはその若い手下を見た。

「……何言ってんだオメェ?」


「鼻に意識集中してみろよ? 香辛料使いすぎたものばかりを食べてるから鈍ったか? そこの坊や、これから私をもんだと思ってたらしく、準備万端でナニがさっきから匂うんだよ」


 再びディアゴスティーノが若造の顔を見た。表情が「オメェ何考えてんだ?」と言っている。


「ちげぇよボス!コイツが勝手に言ってやがんだ。このアマ適当ぬかしてんじゃねぇぞ!」

 若いフェルプールがクロウに近づく。


「おい、ラフ。下がれ」

 ディアゴスティーノがラフという名のフェルプールをたしなめる。


「だってよぉ、ボス!」

 と、ラフは興奮気味に食い下がった。


 クロウはラフの方へ首を回した。

「残念だったね坊や。今日はお前さんの脱童貞の日ってわけじゃあなかったようだよ」


「お、俺は童貞じゃねぇ!」


 ラフがクロウの視界に入った。クロウの記憶通り、ラフの手には棍棒が携えられている。


「黙ってろっつってんだよラフ! しばかれてぇか!」

 ディアゴスティーノが叱責する。


「だってよぉ、ボス……」


 クロウはラフの足が間合いに入ったことを確認する。

「すまなかったよ、ラフ。童貞なんて言い方をしたのは私が悪かった。お前さんはただ、

 

 怒りと緊張を含んだ沈黙が室内を支配した。

 クロウは機が熟したことを知る。


 クロウは縛られたままの状態で、椅子の背もたれの下枠を掴んで椅子を軽く持ち上げた。

 そして十分に視界に入ったラフの足を、情け容赦なく椅子の足で踏みつけた。ラフの足の甲が骨折するくらいの勢いだった。


「いいいいいぎゃぁぁぁぁ!」

 ラフの絶叫が納屋に響き渡った。

 

 悲壮な悲鳴。

 自分で足を踏みつぶしておきながら、クロウはラフのことを気の毒に思った。


 ラフはをしながら飛び跳ねた部屋中を飛び跳ねた後、片足を引きずりながら棍棒でクロウに襲いかかった。

「テメェ!」


 ラフは棍棒を横にぶん回してクロウに殴りかかった。

 クロウは椅子をずらしてそれが背もたれの側面に当たるように仕向けた。棍棒で殴られ背もたれが砕け散る。

 クロウは縛られていた椅子から自由に動けるようになった。


「テメェ!」

 ラフは全く同じセリフを吐いて、クロウの頭をカチ割ろうと大上段から棍棒を振り下ろす。

 クロウは自分から後ろに倒れこんで足を開き、次は椅子の座板の部分に棍棒が当たるよう仕向けた。

 座板は振り下ろされた棍棒の衝撃に耐え切れず、背もたれ同様バラバラに砕け散った。

 クロウは仰向けに倒れた状態から、後ろ廻りの要領で床を転げ回った。

 ついでに背もたれに刺さっていたダガーを縛られたままの手で拾い上げ、そして床を回転しながら立ち上がる。


 抜け目のないディアゴスティーノが言う。

「おい、気をつけろ! 俺のダガーだ!」


 ラフはクロウに袈裟を切るように、棍棒を再び振り下ろした。

 クロウは低めの体制から突き上げるような後ろ回し蹴りを放つ。上段の攻撃を避けると同時に、ラフのみぞおちに足をめり込ませた。

 蹴りの衝撃とみぞおちへの苦痛、そして何より痛めた足のせいで、ラフは小屋の壁に叩きつけられた。

 手を縛られているせいで素早くひねった動きが出来ないクロウは、大股開きで体を回転させながらラフを追う。

 そして壁際のラフの体にピタリと自分の背を重ねあわせた。


「おおっと、動くんじゃない」

 クロウはラフの股間にダガーを押しあてながら言った。

「もし下手に動いたら、お前さんこれまでどころかこれからも童貞で一生を過ごす羽目になるぞ」

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