記者マルグリット(4)
十五分ぐらいだろうか。
歓楽街を中心地に向かって歩いていた私達は、周りと比べても一際大きくて優美と言っても良いような薄赤い建物が見える所まで来ていた。
「確かこの辺りのはずなんだが……」
バススさんが溢す言葉を聞きながら、私は目の前に見えてきた建物を見上げていた。
「はぁー……」
『娼館』と言うのは、私達みたいな末端の記者からしてみれば酒場やスラム街と同じくらい情報に溢れている所だ。
それなりの伝手を持っている先輩記者とかは伝手を頼りにそちらに流れるだろうけど、私達は安上がりで済むそういう人達に話を聞くのが主流になっている。勿論、私も数回程度は娼婦の人達から話を聞いた事がある。
まぁ、私はお貴族様みたいな男娼なんていう高尚な趣味は持ち合わせていないから、実際、娼館というのは、見るのも来るのも今回が初めてになるんだけど。
「おおきいんですねー……」
これが普通……ではないんだろうけど、小貴族の館を軽く超えるような高さと広さに見える。
しかも、ぐるりと敷地を囲うように壁まである。
娼館の中でも、ここは異質な方じゃないかな……?
「失礼。今は営業時間外だが、どう言った御用件だろうか」
その薄赤い建物の真ん前まで歩いて行くと、薄紅色の胸当てをして腰に剣を帯びた二人の衛士の様な人達に声を掛けられた。
これは……何というか、既に娼館っていうレベルを超えてるでしょ……。
「特別今日に誰かが来るような言伝は承っていないんだがな」
バススさんを見ても全く物怖じしない人を見たのは初めてかもしれない。
これでもバススさんは最高位──即ち、特級冒険者だから、一騎当千を超えた猛者だ。
素人目にもバススさんの凄さは直ぐに分かるんだから、目の前の人達みたいな武人にそれが分からない訳ないと思うんだよね。
「マスターから聞いてな、『玄関』に用があるんだ。悪りぃんだけど、
「『玄関』……か。ふむ、直ぐに確認を取ろう。暫し待たれよ」
「その必要は無いわ。その人達を通してあげて」
バススさんと衛士の人が鉄格子状の門の前で問答を繰り返していると、その奥に見える建物の扉がゆっくりと開き、紅色のガウンを羽織ったとても綺麗な女の人が出てきた。
「ついさっき連絡を貰ったの。バスス様とイザベラ様に、マルグリット様ですね? 今、寮母でもある
「……分かりました。では、この度の事は特例事項として処理させて頂きます」
女の人が、バススさんと問答していた衛士の内の一人に目配せしながらそう言うと、された方の衛士は軽く頭を下げながら応えた。
その後、私達は門の方へと案内される。
「それでは、お通り下さい。……くれぐれも特例であるという事をお忘れなく」
二人掛かりで鉄格子状の門を左右に開いた衛士は、私達がお礼を言いながらその門を通る時にそんな注意をして来た。
なんか、思いの外仰々しい所なのかな……ココって。
「悪いな、こんな朝早くから」
私達三人が門を抜けてその女の人下まで行くと、その人は自分が「
「『屋敷』からのお電話ですもの。幾ら私を贔屓にして頂いているとは言え、無下にするなど畏れ多い事ですから」
コロコロと口元に手を
詰まる所、とても娼婦なんかには見えないという事だ。
何処かの貴婦人かと言われてもすんなりと納得しそう……。
「一つ気になったのですが……バスス様、貴方様はいつ頃の出身者なのですか?」
「俺か? 二十年くらい前だな。『屋敷』内では特別優れた奴は出ちゃいないぞ。一つ上に『
イザベラさんと二人、前を歩くバススさんと宵さんの話に耳を傾けていると、聞き逃しちゃならない名前が聞こえてきた。
『
どちらも冒険者の間で、
『
情報が乏しくてあまり知られていないけど、一説には特級危険種を超える特級厄災種を討伐したとも言われている。……けど、まぁはっきりとした事は分かっていない。
ただ一つだけ分かってるのは、王都の冒険者ギルドに飾られている十メートルを超える巨大な赤褐色の角は、風のように去った二人の英雄の仕業だと言われている事くらいだ。
当時の魔法新聞社でも随分と話題になったみたいだけど、冒険者ギルドの長がこちらの取材に応じなかった為、やむなく取り止めになったと聞いている。
「あら。それでは、冒険者ギルドでのお噂は聞いておられるのかしら?」
「角の奴か? あぁ、多分あれは『
さらっと重要な事が耳に入ってきた瞬間、私は魔法筆記具を取り出す為に胸元に手を伸ばしかけて止まった。
………そうだった、預けたまんまなんだった……。
「アイツがこっちに出て来たのが十年前くらいか? 多分、『
目を細めて懐かしむように話すバススさん。
宵さんも神妙な面持ちで話を聞いている。
「そもそも、心配なんてしてないんけどな。さっきも言ったけど、俺らの時期は優れた奴が出ちゃいねー。だからまぁ、『
「そうなんですか……」
宵さんが軽く目を見開き、隣のイザベラさんも動揺して驚きを隠せないでいるけど、十分に驚いていい事だと思う。
バススさん本人は謙遜するかもしれないけど、この人は明確な序列がない王国冒険者の中でも、上位十番以内には入る程の実力者だ。
そのバススさんよりも強いとなると、王国では勝てる人が殆ど居ないという事になる。
「あぁー、なんだっけ。『特級厄災種』だっけか? 多分、アイツらなら『特級天災種』ぐらいまでなら勝てるんじゃねーかな」
今度こそ、宵さんもイザベラさんも私も、開いた口が塞がらなかった。
「『天災種』を………ですか?」
恐る恐るといった風に聞き返した宵さんの言葉は、私達三人の心の内を代弁していた。
「『危険』『厄災』『天災』『魔王』『神災』だったか? 二人の『屋敷』でのランクは
「…………」
興味本位で聞いた事を後悔しているのだろうか、宵さんはすっかり俯いて静かになってしまった。
私としては、驚きを通り越して諦観の域に入って来たから、もうこれから先は全てが初体験だと割り切っちゃったんだけど……。
「でも、何だってそんな事を聞くんだ?」
顔に疑問を浮かべながらバススさんが問いかけると、宵さんは軽く頭を振って顔を上げた。
「いえ……。遠い昔、まだ私が幼い頃に、『屋敷』出身のバススだと名乗る殿方に救われた事が有るだけですわ」
「いつの話だ、それ?」
「二十年くらい前でしょうか? そのご様子だと、貴方様ではないようですね」
「あぁ、俺がこっちに来たのは二十年前だが、人助けなんてしてる余裕は無かったからな」
「違うだろうと思ってはいましたが……。では、一体誰だったのでしょうか………」
それ以降は特に話題が続くことも無く、私達四人は娼館の隣にあった建物の一室に来ていた。
思いの外、距離があったなぁ。
隣の娼館からこの建物まで、軽く十分くらいは経ったと思う。
それだけで、どれだけ敷地が広いか分かってもらえるんじゃないだろうか。
「ここか?」
宵さんの案内で、最上階に一つだけあった扉の前に来た私達は、バススさんの言葉に宵さんが首肯したことで気を引き締めて扉に向き直る事になった。
「はい。元は私の部屋に繋がる扉ですが、『屋敷』に繋がる鍵をお持ちならば、ここから行く事が出来ます。勿論、出口は貴方様の任意の場所になりますが……。出来れば出て行く時は酒場の方にして頂きたいですね」
「分かってる。じゃあ、行くか。案内感謝する」
一言そう言ったバススさんは、懐から銀色に輝く三センチほどの小さな鍵を鍵穴に差し込み、こう言った。
「『解錠』」
そうして扉が開いた先に見えた鈍色の空間に、バススさんは躊躇う事なく入り、イザベラさんも後を追うように消えて行った。
私も恐る恐るだったけど、二人に遅れないように進もうとしたその時、微かに聞こえるような声音で宵さんが不吉な事を呟いているのが聞こえた。
「どうか、ご無事で………」
え?
何事かと問い返す前に、私の体は既に気味の悪い色をした空間に吸い込まれていた。
うわぁ〜。そう言う注意はもう少し早めにして欲しかったな……。
そんな考えを最後に、私の意識は一瞬だけ途切れる事になる。
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