記者マルグリット(3)

 疲れた……。


「もう一生分くらい驚いた気がする……」


 私とバススさんとイザベラさんの三人は、副都市バルバニアの外れにある小綺麗な歓楽街まで足を運んでいた。


「おいおい。この程度で驚いてたら、この先もっと驚かなきゃいけなくなるぞ?」


 バススさんが私に向かってそう言うけど、正直勘弁して欲しい。

 確かに『謎の孤児院』には取材に行ってみたいと思っていたし、私としても機会チャンスがあれば飛び込むつもりだったけど、今の段階になって何かヤバイ事に首を突っ込んだんじゃないかって思い始めてる。


「そうよ? 正直に言うとね、私は昨日初めてご挨拶をさせて頂いたのだけれど、玄関に入る前に腰を抜かしちゃって、バススさんに背負って貰いながらご挨拶する羽目になっちゃったの。恥ずかしいやら、みっともないやらで顔を上げれなかったもの」


 少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら言うイザベラさんに、私はそれはそれは大きな溜息を吐いた。


「はぁ……。帰りたくなってきた……」


 魔法師としてそれなりの実力者であるイザベラさんが腰を抜かすとか、私の場合、腰が自ら逃げて行くんじゃないの? そこに私がいても本当に大丈夫なの?


 そんな私の心配や不安を他所に、バススさん達二人は歓楽街に入ってすぐの位置にあった酒場の扉を押し開いて中に入って行った。


 あれ? そっち酒場だよね?


「おーい、マスター! 今日の玄関は何処だ!?」


 私が慌てて後を追いかけて中に入ると、バススさんが休憩中の札が掛けてあったカウンター奥の扉を叩きながら大声で話しかけている所だった。


「あのー……。これは一体?」


 酒場で『玄関』の場所を聞く。


 どう考えても違和感というか、おかしい所しか存在しないんだけど、そんな私の疑問にイザベラさんはしーっと薄い唇に人差し指を立てながら小声で答えてくれた。


「不思議に思うでしょ? でも、これがここのルールなの。私達はバススさんの後を黙ってついて行くのよ」


 そう言ったっきり静かに微笑みながら黙り込んでしまったイザベラさんに習って、何も分からない私は、バススさんとさっきから『マスター』と呼ばれている酒場の店主とのやり取りを黙って見つめる事にした。


「『玄関』だよ、『玄関』! 今日は何処から繋がってんだ?」

「あぁ? 玄関、玄関うるせぇな! 何処のバカが叫んでんだ!?」


 ガンガンと、それはもう酷い音を立てて扉を叩いていたバススさんは、扉の向こうから聞こえてきたダミ声に反応して一歩下がった。


「誰だ! こんな時間に酒場が開いてるわけねぇだろ! ちったぁ考えろや阿呆がっ!」


 そんな怒鳴り声と共に壊れるんじゃないかって思うくらいの勢いで扉が開き、中から禿頭で目元から頬にかけて切り傷のある大柄な男の人が出てきた。


 うわぁ……。

 今時、山賊でもこんなあからさまな人はいないと思うんだけど……。


「あァッ? なんでぇ、バス坊じゃねぇか」


 扉から出てきたその人は、バススさんの姿を見かけると目を丸くして驚いた様な声を出した。


「バス坊はやめてくれよマスター。と言うか、さっきから『玄関』の場所を聞いてるだろ。さっさと教えてくれよ」

「あ? オメェさんは昨日から帰ってたんじゃねぇのか? こんな朝っぱらからなにしてんだよ」


 頭を掻きながら大きな欠伸をした酒場のマスターは、どかりとカウンター席に座り込んで私達を見回して言った。


「それに、俺達みてぇな宵時に働く奴らは今からが寝入りなんだ。邪魔してくれるなよ」


 ぎぬろ、と言わんばかりの強烈な視線が私を射抜く。


「……」


 ちょー怖い。

 自慢じゃないけど、私はか弱い女の子だし、体術も魔法も全然ダメなんだけどなぁ。


「『師父シーフ』の許可はあるからよ、マスターは『玄関』の場所だけ教えてくれりゃあいいんだって」

「はぁ……」


 マスターはそれはそれは深い息をきながら言う。


「……あのなぁ、バス坊。俺がやってる事は、親父の親父のそのまた親父の代からなっがい事やってる『外』の門番みたいなもんなんだ。いくら出身者だからって、「はいそうですか」で通してたら役割の意味がねぇだろ」


 バススさんと酒場のマスターの会話は私にはよく分からないけど、要するに、『謎の孤児院』に行くためにはこの人から『玄関』なるモノの場所を教えてもらわなきゃ行けないって事だろうか?


 そんな感じの事を、目の前のやり取りを隣で静かに見ているイザベラさんに聞いてみた。


「えぇ、そうよ。あのマスターが許可を出さなきゃ私達はここで帰らなきゃならないの」

「その『玄関』ってのは普通に見つけられないんですか?」


 私がそう聞くと、イザベラさんは困った顔をしながら答えてくれた。


「そんな事はしないでね? もし見つけたりしてしまったら、国に捕まってしまうもの」


 ………え。

 なにそれ怖い…………。


 なんだか思った以上に殺伐とした所らしい。


 私、帰れるのかな……。


「あぁもう、うるせぇな! そんなに言うなら聞いてやるからちょっと待っとけ」


 バススさんと会話をしていたマスターが、徐に懐から『何か』を取り出した。


「ぇ……」

「あァ?」

「ぃ、いえ、何も……」


 今、一瞬しか見えなかったけど、あの人が取り出したのって『小型魔導通信機』じゃないの?

 国から国軍に配備されたって、最近発表があった『通信機器』の最新版。王都の魔導研究院が開発した、「『通信機器』における持ち運びの難題」を克服した画期的な魔導具。

 なんで一酒場のマスターなんかが持ってるの?


「あぁ、もしもし。今『外門そともん』の方にバス坊が連れで来てるんですがね、通してもいいんで?」


 あれって、王族の方と近衛隊長の他は、国軍総司令官と魔導学院・騎士学院・魔導研究院の学院長しか持ってないって、公式では発表されてたんじゃ……。


「え? あぁ、そうですかい。いや、それなら問題ないですね。……はい、それは勿論。それじゃあ、許可を出しますんで。………はい、失礼します」


 厳つい顔をした山賊のような人が敬語で挨拶をしながら話しているのを見ると、益々ますます行く気が無くなってくるような……。


 その後数分もしない内に、マスターはそう言って耳に当ててた『通信機』の魔力を切って懐にしまい込んだ。


「おぅ、許可は出たぞ。ただルールだけは守れよ、バス坊」

「わかってるよ。おい、嬢ちゃん」

「……はぃ!」


 突然呼ばれたから変な声が出た。


「魔法筆記具あるだろ? あれ全部ここに置いてきな」


 え? あれは記者としてのアイデンティティみたいなものなんだけど。


「嫌かもしれないけどルールだからよ。守らないと入れないし、中に入ってから守らなかったら一度殺されるぜ?」

「お、置いて行かせていただきます!!」


 不穏な言葉を放った時のバススさんの顔があまりにも真剣すぎたので、私は反射的にそう言わざるを得なかった。


 それより、一度って何? 『孤児院』では何回も死ぬ事があるの?


 私は猛烈に後悔をしながら、胸元やポケットなどにしまっていた魔法筆記具の数々をマスターの前に並べていった。


「よーし。まぁ後は向こうさんでも軽く確認するだろうが、そう身構えなくてもいいぞ。やっこさんらの親父さんが許可を出したなら、それは絶対だからな」


 ガハハと笑いながら私の背中を叩いてくるマスターに、私は掠れるような声で「はぃ……」と答えるのが精一杯だった。


 なによぉ……。

 一体どんなところなのよぉ……。

 もう、帰りたい……。


「で、何処だよマスター」

「あぁ、悪りぃ悪りぃ。今回はヨイの所だよ。『夢蝶々ゆめちょうちょ』のトップ嬢の」

「場所は?」

「確か娼館の隣のでっけぇ寮のはずだせ? 何せあの建物は男子禁制だからな。詳しい話はあっちでしてくれ」


 とんっとマスターに背中を押された私は、軽く躓きながらも小走りでイザベラさんの下まで走って戻った。


「そっか。サンキューなマスター。これは迷惑料に取っといてくれ」


 私と入れ違いにマスターに近づいたバススさんは、そう言いながらエメラルドグリーンの液体の入った酒瓶をマスターに手渡していた。


「おォ! 『世界樹の雫』か! どっちの奴だ? エルフ産か? 屋敷産か?」

「あっはっはっ。屋敷の方だよ。俺じゃあ大樹の方に行けねーからな」

「ガハハッ。そりゃそうか! まぁいい。やっこさんや親父さん達には礼を言っておいてくれ」

「おう。じゃあまたいずれ」

「あァ! あんまり無茶すんじゃねぇぞ、バス坊!」


 バススさんはマスターと握手を交わした後、私達の背中を押すようにして酒場の出口を潜った。


 もう嫌だ……。

 私が許容できる量を遥かに超えてる……。

 何よ、『世界樹の雫』って。

 『エリクサー』や『霊泉の湧き水』と並ぶ、『世界三大霊薬』の一つじゃない……。

 あんなに軽々しく渡すものじゃないし、取引すればどんな国でも宝物庫の品と交換してくれるわよ……。


「おーし、それじゃあ今から『屋敷』まで行くわけだが、準備はいいか?」


 良くないと言ったらバススさんはどうするんだろう。


 私がそう考えているにも、バススさん達は私の返事なんか聞かずに歓楽街の奥地へと行ってしまっていた。


 はぁ、覚悟を決めますか……。


 私も見失わないように二人の背中を追う事にした。

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